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仕事や住まいを失った派遣労働者らを支援するため、昨年末、東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」が、30日で活動を終える。
村は、この不況で最も追い詰められた人々の現実を社会に印象づけた。開村から半年。新たな仕事を見つけて再出発した人もいれば、
自立を模索中の人もいる。入村者の「その後」は一様ではないが、「派遣村が訴えた問題を忘れないで」との思いは同じだ。【工藤哲、東海林智】
午前6時半。人影まばらな都内の食品工場のゲートに、岩手県出身で、カズさんと呼ばれる男性(29)が現れた。
緑の作業服を着て取りかかったのは、建物周りの清掃作業。竹ぼうきで植栽の落ち葉やごみを掃き出していく。
作業はきついが、「自立したい」との思いが体を動かす。
東北地方の工業高校でインテリアの勉強をし、将来は建築の仕事に携わりたいと思い描いた。しかし、98年の卒業当時は就職氷河期。
非正規社員として社会に出ざるをえなかった。職場を何度か替えた末、期間従業員として地元の自動車工場に勤務したが、体を壊し、
上司から「1カ月でラインに入れる体にならないならクビだ」と言われ、辞表を出した。昨年暮れ、所持金が15万円になり「路上生活か」
とあきらめかけたころ、派遣村を知り、駆け込んだ。
毎日新聞
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年越し派遣村から新しい家に引っ越したばかりのころのカズさんの部屋。
この時はカーテンもなかった=東京都葛飾区で2009年3月、三浦博之撮影
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