09/06/21 14:39:02 0
(>>1の続きです)
ホテルの正面玄関が丸木を使って内側からガッチリと封鎖されたことに遺族と民衆は激怒し、
入り口を叩き壊して開けた。
6月18日、遺族は、もし自殺であることを認めるなら3万5千元(訳者注:日本円で約50万円)
の賠償を払うが、もし自殺と認めないなら今日夜8時に遺体を強制的に火葬するとの
通達を受けた。警察は執拗に塗遠高さんの遺体火葬を要求したが、
遺族は不審点が明らかになるまでは決して応じないと、火葬を拒否した。
父親がホテル1階にガスボンベを持って来て、遺体を強奪しようとする者を巻き込んで
死のうとしたため、同情した人たちがホテルの入り口に集まってきた。
19日、20日になると、声援を送る民衆は増えていき、遺体を奪い去ろうとする警察と
何度も衝突があった。目撃者の話によれば、現場の民衆は多いときで7万人にも達したという。
荊州の新聞社は報道するつもりで現地に向かったが、政府は船便を休止させ、
一切の外部メディアからの接触を絶ち、情報封鎖を試みた。
事情を知る者は、当局は1個師団の軍を呼び寄せ、さらに多くの部隊が石首市に向かっているという。
■目撃者:現場の民衆は団結して抵抗した
2009年6月19日午前1時頃、パトカーと霊柩車がホテルに到着し、遺体を運び去ろうとしたが、
現場の数千人の民衆はホテル入り口に立ちふさがり阻止した。
6月19日午前8時、塗遠高さんが死亡してから36時間が経過したが、怒る民衆は依然として
ホテルに残っていた。数百人の石首市民は、自発的に遺体を護衛して丸々一夜を過ごした。
8時すぎ、ホテル入り口には同情した人によって、垂れ幕と民衆の署名入りの手紙が掲げられた。
ほどなくして警察が現場を再度訪れ、またも遺体の強奪を試みたために民衆と衝突が起こった。
十数人の同情した人と見物人が殴打されたが、これらの人は病院には搬送されず、
直接牢獄行きとなった。このため、民衆と警察の感情的な対立はますます深刻化し、
さらに多くの民衆が現場に集まった。人海戦術によって民衆は衝突において優勢となり、
民衆は警察を撃退し、途遠高さんの遺体は奪い去られずにすんだ。(まだ続くです)