09/06/17 11:45:13 NmNUC1BD0
別に何の信仰を持っていても良いと思うんだけど(勝手だから、そんなの)、
あからさまにおかしいことやおかしいものを「信じている」人たちがいるのは、解せない。
芸能人なんかはお勉強が嫌いだろうから仕方がない部分があるんだが、
政治家になろうとか、なってる人たちが、合理的な説明を拒否することがあってはならないし、
不合理な物を体験したとしても、どこまでも合理を求めるべきでしょ、としか思えない。
安倍元首相と慧光塾の関係というのは、ある種のスキャンダルだったんだと思うのだが、
なぜそれがスキャンダルになったかというと、合理的な説明がそこにないから何だよね。
あるいは、合理的な説明をなす努力がなされていないから。
時の首相が特定の宗教集団にはまり込むのはまずいとは思うけど、あえていうならば
本当に何らかの価値をそれに見出しているならば、言語化する努力はあってしかるべきだろう、
と思うんだわ。でも、そういうアプローチが政治家の側から積極的になされたことってあるのかな。
石原慎太郎は法華経を語っているみたいだけど、けっこうなインテリだから出来たことで、
政治家の中ではかなり例外じゃないのか? とか思ったりするし、宗教がもたらす影響力から
心理的にフリーになれる人たちが、実のところ政治家には少ないのではないのか? とかも思ったり。