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(前略)
GMの創業から破(は)綻(たん)に至る1世紀は、米自動車産業、ひいては米製造業の栄光と
凋落(ちょうらく)の時代と重なる。
中流層の成長と大量消費時代を迎えた1950年代には、GM、フォード・モーター、
クライスラーのビッグスリー(米3大自動車メーカー)の米シェアは90%台に達した。
「GMにとって良いことは、国家にとっても良いことだ」。当時のチャールズ・ウィルソン社長は
胸を張ってこう語った。しかし、クライスラーに続き、GMまで破綻に追い込んだものは、
この時代に醸成された“おごりの体質”にほかならない。
自動車は個人の富と自由の象徴だった。GMはそんな消費者の意識に乗じてキャデラックを
頂点にビュイック、ポンティアック、シボレーなど、所得水準や社会的な地位に応じた
重層的なブランドを展開した。
70年代後半の石油ショックを契機にして消費者が燃費の良い日本メーカーの小型車に流れ、
シェアが初めて80%を割った。すると、ビッグスリーは議会や政権を動かし、
日本に米向け輸出の規制を迫った。
一方でビッグスリーは小型車への転換を拒み、燃費が悪い大型車の生産に固執した。労使交渉で
上昇を続けた賃金を販売価格に転嫁しても、大型車の方が利益が大きかったからだ。こうした労組との
慣れ合いで膨らんだ年金や医療保険など、巨額の「負の遺産」はGMなどの経営を圧迫し、
日本メーカーに比べて品質や価格競争力で劣る原因となった。
自らも米国車に見切りをつけ、日本車に乗り替えたヒルズデール大(ミシガン州)の
バート・フォルソム教授は「GMは新たな市場を求めるよりも過去に手に入れたものを
守るのに懸命だった」と指摘する。
(中略)
米製造業の代名詞でもあったGMがついに経営破綻に追い込まれた。世界に広がるその衝撃を追う。
*+*+ Business i 2009/06/01[21:28] +*+*
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