09/05/23 00:25:27 DNPE7mWM0
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( =゚-゚)<昭和13年1月4日のニューヨーク・タイムズの記事におもろい記述がw
「南京の金陵女子大学に避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、
逃亡中の大佐1名とその部下の将校6名をかくまっていたことを発見し、心底から当惑した。
実のところ教授たちはこの大佐をそのキャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。
この将校たちは支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。
彼らは大学の建物の中にライフル6丁と、ピストル5丁、砲台からはずした機関銃1丁に、弾薬をも隠していたが、
それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのものであると自白した。
この将校たちは南京で略奪したことと、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、
その翌日には日本兵が襲った風にしたことを、アメリカ人たちや他の外国人たちのいる前で自白した。
この元将校たちは逮捕された。戒厳令に照らして罰せられ、おそらく処刑されるであろう。」
( ^▽^)<1月25日号 上海のアメリカ系の英字新聞チャイナ・プレス
12月28日までに、将校23名を含む1575名が安全地帯に機関銃やライフルを隠して潜伏しているのを摘発された。
その中には南京平和防衛軍 Nanking peace preservation corps 司令官王信労(ワン・シンラウ 音訳)がいた。
彼は陳弥(チェン・ミイ 音訳)という偽名で国際委員会の第4部門を率い、
3人の部下とともに「略奪、扇動、強姦にたずさわった」。
他方、飯沼守少将の陣中日記(1月4日)が「八十八師副師長」を逮捕と記す
当の第八十八師副師長馬包香(マア・ポウシャン 音訳)中将は、安全地帯で「反日攪乱行為の扇動」を指揮していた。