09/05/22 12:57:14 7R9pNciNO
「リメンバーしまね」
人権擁護法案や竹島問題等において一貫して筋の通った主張をしていた島根県は
民主党政権下での小沢による天皇処刑命令を批判した事で自衛隊によって火の海にされた
一部民間人などは自衛隊が火器を使えない出雲大社に逃げ込んだが、
そこでは同じく民主党指揮下にあるオウム真理教による毒ガス攻撃が行われた。
この民主党指揮下の一連の虐殺は「島根の悲劇」と後に語られるが、
当時はマスコミに徹底的に黙殺され、ネット経由で情報は広まっていった。
この民主党の「護るべき国民を撃て」との命令に、自衛隊からは離脱者が続出、
市ヶ谷からは皇室を連れて島根県に逃げ込んだ者も居た。
これにより中央政府、各都道府県共に官軍となった島根県義勇軍側につき戦況は一変
自衛隊の一部と人民解放軍からなる小沢軍は岩手に逃げ戻る途中で、
官軍側についた宇都宮駐屯地や三沢基地からの攻撃を受け、
岩手到着時にはわずか兵43名、車両5台となっていた。
こうして小沢一郎の野望は途絶えたのであった。
この事件から「政治のポピュリズムは国民の悲劇を産む。
島根県の悲劇を繰り返さない為に政治に関心を持たなければならない」と言う考えが広まり、
「リメンバーしまね」を合い言葉に日本は本当の民主主義への道を歩むこととなった。
「その時歴史が動いた~リメンバーしまねと民主主義の目覚め~」より