09/05/21 14:07:42 0
心の救済と裁くことは両立できるか‐。
21日に始まった裁判員制度での法廷参加をめぐり、宗教者の間で判断が揺れている。
「社会を守るため」と肯定的にとらえる人もいれば
「協力したいが、宗教の教えに従えば人を裁けない」との葛藤(かっとう)も。
死刑制度に反対する宗派もあるが、法務省や裁判所は宗教上の理由だけでは辞退を認めない方針だ。
■「社会を守るため参加」「死刑だけは避けたい」
「人は誰でも罪を犯すものであると教える宗教者が、人を裁くことに疑問を感じる」。
福岡県筑後地方の浄土真宗(真宗大谷派)の寺の男性住職(58)は、
裁判員に選ばれれば参加するのは仕方がないと考えているが、戸惑いを隠さない。
真宗大谷派は死刑制度に反対を表明している。
本山の東本願寺(京都市)は参加について反対はしないが
「選任されたら、死刑判定は出さないという態度を求める」との見解。
筑後地方の住職も「選ばれたら死刑だけは阻止しようと思っている」と話す。
長崎市にあるキリスト教のカトリック教会の神父は、参加は「事件によって判断したい」という。
「キリスト教は人をゆるすのが原則。
死刑判決を出さなければならない事件の裁判員はやはり難しい」との認識だ。
新約聖書には「人を裁くな」と書いてある。
それでも福岡市西区のプロテスタント教会の40代の牧師は
「聖書の『裁くな』は、人を心の中で非難してはならないという意味。
法律上で裁くのは問題ない」と話す。キリスト教も一様ではない。(>>2-以降に続くです)
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