09/05/15 10:31:47 gzE581rH0
>>488つづき
私は学校を卒業して外務省の方に臨時雇になった。
それは記録課の仕事で、幕府以来明治8年までの外交文書を整理して編輯することであった。
機密書類ではないが、外交文書と、通商に関するものとがごちゃごちゃになっていた。
私は冷淡に事務的にやっていたが、そのうちについその事件の中に釣り込まれて、
私は踏みにじられた弱い日本のために、泣いたり口惜しがったりした。
幕末より明治初年へかけての外交は、否今日でも恐らくそうだろうが、
屈辱の歴史といっても差支えなかろう。
その文書に現れたところで見ると、何しろ実にみじめなものであった。
神戸や長崎のはあまり事件も多くなかったが
(もっとも私の見ただけの僅かなところの話だけれども)
横浜のと函館のは非常に事件が多かった。
そしてスウェーデン、ノールウェーだの、デンマーク、
イタリー、ベルギー、オランダ等の小国の商人までもが、
随分日本人を侮辱し苦しめたものだ。
どんな喧嘩をしても必ず彼らが勝つときまっていた。
ドイツもかなり苛酷に日本をいじめた。
だが何と言っても一番日本を怖れさせ、また口惜しがらせたのはイギリスであったろう。
今こそアメリカがやかましい小姑のようになっているが、明治初年の外交文書で見ると、
アメリカが一番深切な小父さんであった。郵便制度のことから、海底電信を引くことから、
船の検疫のことから、何から何まで深切に日本に教えてくれたのはアメリカであった。
また外国とごたごたが起った時、仲へ這入って口をきいてくれ、日本の損にならないように
してくれたのもアメリカであった。
それともう一つロシアが日本に深切だった。
イギリスは獅子であったかも知れないが、外交文書に表れたロシアは決して血に渇いた
鷲ではなかった。ロシアの商人はつまらぬことで日本の商人と悪竦な談判をしはしなかった。
以下にその実例をあげよう。