09/05/15 03:04:44 URbfXR7N0
>>34
薩英戦争で、江戸幕府から金品をたんまり積んだイギリス軍艦は、
薩摩を舐めきっていて、ちょっと脅してやれば済むと思っていた。
そして、当たり前のように薩摩藩士の身柄引き渡しを薩摩へ要求。
しかし、これに激怒した薩摩藩は大砲でイギリス戦艦を撃破。
このとき、イギリス艦隊の船長、副船長が即死。
一方薩摩藩もイギリス艦隊からの砲撃で城の一部が崩壊。
船長を失ったイギリス艦隊側は日本から撤退したが、薩摩藩はイギリス側から放たれた砲弾の形状が
日本の丸い形と違って尖っている事に驚愕。
イギリス側の砲弾を見て、イギリスとは敵対せずに同盟関係になり、武器の西洋化をした方が得策だとわかり、
勝った薩摩藩はイギリスに賠償金を請求せず、逆にお金を払い同盟関係を築く。
そして、統幕 - 日本の夜明け「明治維新」へと時代が動く。