09/05/15 00:14:24 gh8cmZs/0
>>333 の続き)
カブラルは中国人が逸楽にふけり、臆病であるので征服は容易であると述べ、
その例証に13人の日本人がマカオに渡来した時に、2~3千人の中国人に包囲されたが、
その囲みを破り、中国人の船を奪って脱出した事件があり、
その際に多数の中国人が殺されたが、日本人は一人も殺されなかった事件をあげている。
「私の考えでは、この征服事業を行うのに、最初は7~8千、
多くても1万人の軍勢と、適当な規模の艦隊で十分であろう。
日本に駐在しているイエズス会の神父達が容易に2~3千人の
日本人キリスト教徒を送ることができるだろう。
彼らは大変勇敢な兵隊であり、わずかな給料で陛下にご奉公するだろう」
しかし、宣教師の裏の目的に気付いた豊臣秀吉は、1587年バテレン追放令を出す。
これは宣教師を追放し布教を禁じたもので、商人の来日は許された。
また日本人がキリスト教を信仰することも自由とされた。
さらにこの追放令の中に「日本人を南蛮に売り渡すことを禁ず」というのもある。
すでに九州などから日本人が奴隷として外国に売られていた実態があった。
バテレン追放令当時のイエズス会日本準管区長はカブラルの後を継いだガスパル・コエリョだった。
コエリョは、キリシタン大名だった有馬晴信のもとに走り、
他のキリシタン大名達を結集して、秀吉に敵対するよう働きかけた。
そして自分は金と武器弾薬を提供すると約束し、軍需品を準備した。
しかし、この企ては有馬晴信が応じずに実現されなかった
コエリョは、フィリピン総督にスペイン軍を送るよう要請したがこれも実現しなかった。
最近、秀吉の朝鮮出兵はスペインに対抗するためだったのでは
という説が出されている。
スペインが明を征服したら、元寇を上回る大軍で日本に押しよせてくるであろう。
秀吉は朝鮮出兵中に、フィリピン総督に手紙を送って
「日本軍が中国に至れば、フィリピンはすぐ近く予の指下にある」
と警告している。
(つづく)