09/05/10 17:51:52 LR7en2410
>>623
ふーん。どこがどう違うの?
商業的な動機は、芸術性の否定にはならない。
浮世絵が芸術として発展できたのは、その商業性と密接に関係がある。
シェイクスピアは商業性と芸術性の緊張の中で作品をものしたからこそ、
今日まで大衆的に親しまれる芸術家になった。
むしろ、ゲームのように新しいインターフェースこそ、芸術にとっての処女地、伸びしろだと思うけどね。
例えば、ゲームで言えば、それこそ児童ポルノ的な内容を含む作品だが、
哲学者の東浩紀が「ポスト・モダンの寓話」として称揚した「この世の果てで恋を歌う少女YU-NO」や、
「CROSS†CHANNEL」は、ある種の芸術性を持っているのではないか?