09/05/05 19:03:16 NnGjhZAR0
小学生のころ、部落差別について学校で授業を受けました。
その時は、自分はまったくそんな物を見たことも無いし、時代錯誤で非現実的な授業をなぜ
行わなくては成らないのかという感想文を書きました。
中学になってなぜか特定地域出身の人たちばっかり問題行為を起こしまくるようになりました。
でもまだその時点では気が付きませんでした。
高校卒業後あたりにようやく気が付きました。
今では私も差別をしています。結婚で避けられる原因の一つもなんとなく分かりました。
彼らは血が濃くて障害を持った人間が発生する確率が多かったんだなーといま小学校の同級生を
思い出すと感じます。
鶏が先か、卵が先かの議論かもしれませんが。
大人になって学んだのは世の中綺麗事じゃないって事です。
差別すべき時の、断固とした差別こそが賢明な大人の行為であり正義です。
子供のころのつまらない苛めと違います。
被差別者を作ろうと思ってから差別を始めたのではありません。
差別する事が賢明である相手だと学んで差別するのです。
彼らの育った環境、健康的な問題も含めて差別するのです。
自分と自分の子孫のために。