09/05/06 17:25:47 3N5PYkY00
>>7
物心のつく前に死んじまったのでよくわからないが、親父の話では中国にいってたらしい
列車に乗っていたらゲリラに襲われたり市街戦で足を撃ちぬかれたりしたそうな
よく生きて帰ってきたもんだと思うよ
869:名無しさん@九周年
09/05/06 17:26:44 HWn2Oi5w0
>>7父が二飛曹で偵察員。爆撃照準器の使い方の説明を聞いたことがあるが実物がないからよくわからなかったな。
870:名無しさん@九周年
09/05/06 17:28:56 P2KDcbtD0
親父が戦争行ってた世代ってもう初老じゃないの・・・?
871:名無しさん@九周年
09/05/06 17:37:41 HWn2Oi5w0
(´・ω・`)ショローン
872:名無しさん@九周年
09/05/06 18:01:11 XOSW1KKq0
>>866
昭和恐慌の時、国民が大陸に過剰な期待を抱いたからこそ
日中戦争にもつながったんだろうよ
873:名無しさん@九周年
09/05/06 19:54:05 eI0Uh1fI0
>>872
ありもしない「日中戦争」なる用語を使う根拠を説明しろよw
874:名無しさん@九周年
09/05/06 19:57:55 R0rwiGFEO
「陸軍での経験が役にたった」…84歳家に侵入した強盗を猟銃で射殺、市から感謝状
875:名無しさん@九周年
09/05/06 19:58:53 wfYTdjJ70
うちのじいちゃんは魚雷にやられた
876:名無しさん@九周年
09/05/06 20:09:37 N02Moxju0
靖国神社に8月15日に行くと参拝の先頭に軍服姿で昔の軍人の人がたっている。
「ありゃキチガイだ」と笑う奴もいる。しかし齢80歳を越えてもなお、
背筋は鋼(はがね)がはいったかのように一直線にのび、長時間、微動だにせず
直立不動の姿勢を保ち、行軍かくあるべしの見本のように凛として前に進む。
規律のない堕落を自由と言い換えている戦後左翼には到底到達しえない世界がある。
877:名無しさん@九周年
09/05/06 20:23:10 uaSMeU3k0
■ 戦後史の真相 ◆-朝鮮人の政党間移動の歴史-■
戦後、在日朝鮮人は、日本の諸政党の間を移動しながら、反日活動を展開してきた。
最初は日本共産党に所属し、日本国家の転覆、共産党政権(朝鮮人政権)の実現を目指した。
戦後史に詳しい方なら、戦後、日本共産党を再建したのは、在日本朝鮮人連盟であることをご存知のはず。
1945年から1953年までの8年間、日本共産党は在日朝鮮人が支配していました。
自称沖縄人の朝鮮人=徳田球一をリーダーとする日本共産党内の朝鮮人グループ、いわゆる『行動派』が、
1950年から展開した軍事方針と称する武装闘争戦略は、朝鮮人勢力による「日本国家乗っ取り運動」でした。
この戦略はけっきょく失敗し、日本共産党のイメージダウンを招いただけで終わりました。
宮本顕治をリーダーとする日本共産党内の日本人グループは大反撃に転じて、朝鮮人グループに握られていた
共産党の指導権を取り返し、権力闘争に勝利しました。すると、朝鮮人グループはあっさりと日本共産党と
袂を分かち、全学連を結成して反国家活動=日本国家乗っ取り運動を続行しました。
同時に、日本共産党から日本社会党への「民族大移動」を敢行しました。こうして、日本社会党内に誕生したのが
「社会党・左派」です。つまり、日本共産党・行動派と日本社会党・左派は、実は同じグループなのです。
単に看板を変えただけであり、その正体は暴力革命を目指す朝鮮人グループなのです。
日本社会党および現在の社民党が、むかしから朝鮮総連と深い関係にあるのは、そういう裏事情があるためです。
これは重要な事実ですので、しっかりと頭に入れておかなければなりません。
URLリンク(www.kase-hideaki.co.jp)
878:名無しさん@九周年
09/05/06 20:55:54 Cb/LcD2f0
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879:名無しさん@九周年
09/05/06 20:56:15 6zL6bQbPO
>>873
気持ち悪いぞ
880:名無しさん@九周年
09/05/06 20:58:24 /N/5ctSXO
すごすぎる
881:名無しさん@九周年
09/05/06 21:04:17 F72O/xslO
戦後半世紀経ってなお薄れぬ鋼の精神に敬礼!!
882:名無しさん@九周年
09/05/06 23:50:19 UcfuQSNeO
(`・ω・)ゞ
883:名無しさん@九周年
09/05/07 00:24:49 xm0n68nYO
>>7
畑を耕してたところに召集が
↓
涙の出立
↓
戦地に着いたその日に終戦
↓
ばあちゃんドッチラケ
884:名無しさん@九周年
09/05/07 00:31:12 nz008v7pO
>>883
何だろう、ほっとした
885:名無しさん@九周年
09/05/07 01:22:27 XAwH5QZG0
勇気あるじいさんだな、さすが海軍だぜ
>>7
職業軍人だったから終戦まで約20年海軍にいた
明るくてお茶目で超かっこいいじいさんだったよ
886:名無しさん@九周年
09/05/07 01:44:08 qaL+6JycP
>>883
でも、無事に帰ってこれたのならラッキーだったよ。
多くの人が戦地に着く前に敵の潜水艦に船ごと海に沈められた。
また無事戦地に着いても飢餓に苦しみ餓死するか、ありえないくらいの
劣勢な状況で玉砕して果てた人が多かった。
無事終戦を迎えても、途中暴漢に襲われたり、病気で命を落として帰還
できなかった人も多い。
887:名無しさん@九周年
09/05/07 03:54:00 dTrI5SFg0
>>883
すげぇタイミングw
888:名無しさん@九周年
09/05/07 05:14:13 sfB97tnZ0
うちは父方・母方とも徴兵年齢超えてたのかな。
終戦当時40代だったから。でもよくわかんないや。
自分が小さい頃に両家とも亡くなっちゃってるから。
伯父が行ってるのかも知れんが、いかんせん無口なので何も話してはくれない。
うちの親父は当時まだ子供だったから、あんまり良く知らないしな。
ただ、満州帰りの親父の叔父から
「水餃子はウスターソースで食べるもんだ」
と教えられたらしく、子供の頃はソースで食べさせられていた。
戦時につき、情報が錯綜していたんだと思われる。