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同一政府に服する被治者全員が、自分たちにとって何が有用であるかを
考えるだけであるなら、また被治者全員が同じものを有用であると考え、
さらに同じ方法によって同じものが得られると考えるならば、憲法の機能
する部分だけで十分であり、威厳をもった付随物などは必要でないことは
明らかである。しかし我々の住む社会は、そう簡単にはできていないのである。
いわゆる哲学の体系は、青年や無思慮な人間を引き付けやすいが、現実
の世界は、このような抽象原理では説明しきれないほど矛盾に満ちている。
教養ある人間は、たとえ演繹的な哲学体系ではなくとも、暗示や示唆から、
小さな真実であろうと汲み取るものである。
共和制は理解され難い観念だが、立憲君主制は理解され易い観念である。
即ちそれは、少数の者だけが探求できる複雑な法律や観念を包蔵している
とともに、多くの一般大衆にも理解し易い要素を持っているのである。
人間の感情は強く、理性は弱い。したがって、この事実が存続する限り、
君主制は広く多くの者の感情に訴えるために強固であり、共和制は
理性に訴えるため弱体であると言えるであろう。