09/04/30 20:11:50 C537X+ip0
頭の中はまことステレオタイプ、日本の子供は塾づけで死んだ魚のような目をし、
途上国の子供達は物質的には貧しくても精神的には日本より豊かで生き生きしている、
というお決まりのパターンから自身が抜け出せないのみ
震災で「被災者の話を聞いて、毎日泣きました」ミニコンサートでは「みんな喜んだくれた」
毎度決まりきったセリフをはく
北京コンサートの日記では「歌うまいねと褒められた」と書く
悲しいニュースがあると「私は涙がとまらない、泣きました」は必ず書く
反論されると弱い女子を演じて泣いてみせて同情をかってきたがもうその手は通用しない筈
「自分はこんなにいい人、こんなにいいことをしている」っていう自己陶酔で涙を流す
以前、曽野綾子がアフリカの子供たちがうつろな目をしていた、と書いたらアグネスに
「私が見た子供達はみんなキラキラしていた。曽野さん、何を見ていたんですか」と書かれ、
「私にできることは見たものを見たように書くことだけ。なぜ見もしない光景を書かなけれ
ばならないのか」と反論されていた。
自分の意見や考えに反対する人や、いい評価をしない人に対してこの人はそういう見方をする。
講演会で何人かのパネラーと意見が違い、自分の意見が孤立したとき
楽屋に戻ってから手をつけられないくらい荒れたのは有名な話
すべて自分の物差しで測りそれを人に押し付けるのでは?