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長岡市内の中学生が戦災地を巡り、長岡空襲の悲惨さを知る
「聞かせて! 長岡空襲のこと―失くしてはならない記憶を未来へ」が26日、開かれた。
約100人が参加し、戦争の体験者から平和の尊さを学んだ。
長岡青年会議所が主催。県内で唯一空襲を受けた同市の子どもたちに、
戦争の記憶を風化させず伝えていきたいと企画した。
長岡空襲は1945年8月1日、米軍機が長岡市中心部に焼夷(しょうい)弾を投下、
多くの建物を焼き、1477人が死亡したとされる。
この日、中学生は、大型の防空壕(ごう)の中で多くの市民が犠牲になった同市表町1の
平潟神社と、炎から逃げようと多くの人が飛び込んで亡くなった市中心部の柿川を見て回った。
両所では、戦争の体験者が当時の様子を語った。
爆撃を受けた当時、坂之上町から平潟神社に逃げた石沢郁子さん(75)=加茂市在住=は
「窓という窓が、オレンジ色に、ぱーっと光り、一瞬で長岡が火の海になった」と説明。
「みなさんにはこんな経験をしてほしくない。自分の力で平和や幸せを守っていってほしい」と訴えた。
子どもたちは、石沢さんの目をじっと見詰め、真剣に聞き入っていた。
最後に、子どもたちは、戦災犠牲者の慰霊のため8月1日に毎年柿川で行われている
「灯籠(とうろう)流し」で使う灯籠を3つ作成。
「平和を守りたい」「戦争の先には悲しみしかない」などとメッセージを書き込んだ。
新潟大学付属長岡中1年の中村百花さん(13)は「戦争を経験した人は本当につらかったと思う。
平和のために、食べ物を大切にするなど、いま、自分ができることをまずしていきたい」と話した。
ソース:新潟日報
URLリンク(www.niigata-nippo.co.jp)
画像:長岡空襲の体験者から当時の様子を聞く中学生ら
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