09/04/20 15:29:46 RVInZ+Uh0
スカルノの死後、デヴィ夫人は完全にバリ社交界のヒロインになったと自慢しているが、実際はどうだったのか。
「バリの社交界には二種類あって、彼女が入り浸っていたのはドミモンドという裏社交界の方。
本当の社交界には元大統領夫人でも貴族じやないと入れないんです。
まあ、裏といってもお忍びで貴族も遊びにくる、いわば、貴族たちの遊び場みたいなパーティなんです」
(パリ事情に詳しいジャーナリスト)
71年、デヴィは、そこで知り合ったスペイン人官豪のバエサと婚約。盛大に婚約披露バーティを開催したという。
「このパエサは当時、有名な投資会社の経営者だったんですが、どうも大金持ちを捕まえたというより、
逆に当時、20億円相当といわれたデヴィ資産目当てに近づかれたようです。
実際、当時、デヴィ夫人はパエサの投資会社に金をつぎ込み、大損をしたといわれていましたから」
(前出・パリ通のジャーナリスト)
体よく騙されたデヴィ夫人は、金策がてら日本に戻ってくる。そして六本木にディスコを開店。
「東京にパリの社交場を作る」と大見得を切ったものの、たった2力月で閑古鳥が鳴く有り様。
その際、常泊していた帝国ホテルのホテル代100万円が払えなかったと当時の週刊誌ネタになっている。
以後、金がなくなるとスポンサー探しに「来日」するのがパターン化していたともいわれるが、
さすが元売れっ子ホステス元大統領夫人。
キャバレー王の小浪義明、丸源ビルの社長などに次々と気に入られ、援助を受け続けたようだ。
いわば天性の”ジジ転がし”こそが、デヴィ夫人のいう「一流の生き方」を支えてきたというわけか。