09/04/16 17:16:48 0
(>>1の続き)
もし、そうした理屈が通じるのならば、私は児童公園や市立の保育園や幼稚園、小中学校の全面閉鎖を求めたい。
なぜなら、子供を持たない私が、子育てという個人の趣味を、税金を通して負担してやる理由はないからだ。子育て
というのは、個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為であるのだから、当然負担も受益者負担
であるべきだ。そう主張したい。私には「個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為」と「個人が自
らの幸福を追求するためにタバコを吸う行為」に、大きな違いがあるとはまったく思えない。「子供を育てる行為は、
子供を育てない人に迷惑をかけていない」と思うかもしれないが、家族を守ることが絶対善であるという社会通念に
よって、単身者がいかに不利益を受けているかを考えれば、煙なんかよりもはるかに迷惑な存在なのである。
それでも私が、学校の全面閉鎖などを求めないのは、たとえ迷惑であっても、それを互いに我慢していくことによっ
て、始めてみんなが幸せな社会が実現すると考えているからである。それが誰もが自分にとって不愉快なことを
声高に主張し始めてしまったら、社会は成り立たないだろう。
「子供がうるさいから公園を撤去しろ!」などという主張が通ってしまうような社会を、私は許容したくはない。タバコ
もそれと同じである。人は誰しも、他人に何らかの迷惑をかけながら生きている。人権を主張することも大切だけれ
ども、だからこそまずは他人の権利を認めることから始めてみてはどうだろうか?
(終わり)