09/04/16 15:42:28 BHDDArl1P
日経BPより
「牛丼に託した「革命」の夢 ~ゼンショーの小川賢太郎社長」
銀行は言った、「牛丼ビジネスはもうピークを越している」
吉野家では経理部で働き、社内で一番数字に強い男と目されるまでになった。
だが70年代後半の吉野家は、無謀とも言える店舗拡大戦略、味の変更と値上げによる客離れなどがたたり、危機的な状態に陥っていく。
大株主の新橋商事から経営再建のための役員が送り込まれてきた。
小川氏はその役員の下で、数人の社員とともにプロジェクトチームを作り、経営再建計画を練った。
さらに財務担当として、先頭に立って銀行との交渉を重ねた。しかしその努力は虚しく終わる。
最終的には銀行から見限られ、80年に会社更生法の適用を申請。吉野家は倒産した。
新橋商事からやって来た役員は、小川氏を新橋商事へ呼び寄せた。
小川氏はその役員に連れられて、吉野家を離れた。
だが、牛丼への思いを消し去ることはできなかった。
吉野家の経営再建を図っている時、銀行からは「牛丼チェーンの展開なんてビジネスとしてはピークを過ぎている」とさんざん言われたという。
銀行だけではない。倒産間際の吉野家では誰もが自信を失い、「牛丼はもうダメだ」と考えていた。
その中で小川氏は最後まで「牛丼はまだまだ伸びる」と主張していた。「当時の吉野家はまだ店舗数が200店を超えたばかり。
200店とか300店の規模でピークを過ぎたとか、市場が飽和したとか言われても、まだそんな段階じゃないだろうということです」。
小川氏は、牛丼を米国のハンバーガーに重ね合わせていた。
「ハンバーガーはパンの間に牛肉を挟んで食べる。牛丼は米の上に牛肉を乗せている。両方ともシンプルで飽きがこない。
シンプルだからローコストで作れて、安く提供できる。だから牛丼はハンバーガーみたいにもっと普及するはずだ」。
業界はこれから絶対に成長する、という確信があった。
そして、いつの日にか牛丼を世界中の人に食べてもらい、世界から飢餓と貧困をなくせるのではないか。
革命への思いは色あせていなかった。
ついに小川氏は新橋商事を飛び出し、自ら牛丼店を開いた。
それが「すき家」である。