09/04/14 22:20:49 /miZ4FIn0
クルーグマンの小泉批判(1/2)
(・・・)だが、私は日本の状況に対してあまり良い感情を持てないでいる。
もし善意と情熱だけでマクロ経済の問題が解決できるのであるなら、景気回復は間近であろう。小泉純一郎首相は、前例のないほど国民の大きな支持を受けて政権を手にし、
それによって野心的な「構造改革」を実現しようとしてきた。小泉首相は、改革が成果を上げるまでの数年間は痛みを伴うと明言しているにもかかわらず、
国民の支持率は依然として非常に高いのである。
しかし、「構造改革」というキャッチ・フレーズが本当は何を意味するのか聞いてみると、疑問が沸いてくる。
いままでのところ、その言葉には、主に二つの意味があるらしい。
一つは、銀行に強引に不良債権の処理をさせることであり、もう一つは、雇用を確保するために毎年行われてきた、巨額の公共事業を縮小することである。
この二つの政策は、まったく理に適ったものである。遅かれ早かれ、日本の銀行は財務内容を正直に報告しなければならなくなるだろう。
日本の公共事業プロジエクトも、非効率と言うだけでなく、巨大な腐敗の温床となっている。
とは言え、ここにこそ問題が存在する。
日本経済が現在直面している明確な危機とは、非効率性ではなく、十分な需要がないことなのである。
すなわち当面の問題は、資源を効率的に使っていないことではなく、持っている資源を十分に活用できないところにある。
小泉改革には、そうした問題をさらに悪化させる可能性がある。