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昭和16年前半、いわゆる「日米交渉」が行われていて、アメリカと妥協することには、当時の近衛首相や
東条英機ら陸軍の幹部も賛成していたが、松岡洋右外相以下の外務省が交渉をぶっ壊した。
その後昭和16年末になって、開戦前ギリギリの日米交渉が行われていたとき、アメリカから
「ハルノート」が送られてきた。
“Strictly Confidential, tentative and without commitment(これは草案で、拘束力はない)”
という書き出しで始まる、アメリカの言い分をまとめた交渉のたたき台の文書にすぎなかったが、
東郷茂徳外相以下の外務省は「tentative and without commitment」の部分をカットした文書を
昭和天皇に見せて、「アメリカから最後通牒が来たので、戦争しかありません」と報告した。