09/04/12 16:00:13 YiHB8A/k0
350年にわたりインドネシアの香辛料など独占的に収奪したオランダは、
19世紀に入ると、強制的栽培制度を導入し耕地の5分の1(実際は半分)
にわたって、コーヒー・砂糖・藍などのヨーロッパ市場向け作物を強制栽培させた。
これによる巨額な収益は国家予算の3分の1を占めた。
インドシナ半島東部を支配したフランスは、無主の土地に没収令を出して、
申告のない土地を収奪しフランス人らに無償で与えたため、農地を奪われた
農民は小作人からさらに債務奴隷へと没落した。
イギリスは、インドの綿織物輸入で利益を上げていたが、産業革命で自国
の綿製品が盛んになると、インドの綿製品には課税しイギリスの綿製品には
免税して逆輸入させてしまった。これによりインドの紡績業は大打撃を受け、
織物都市のダッカの人口は激減した。また、茶の輸入により入超になった
イギリスは、中国へ流出した多額の銀を取り戻すためにインドにけし栽培を強制し、
大量のアヘンを中国に密輸して暴利を得た。
財政悪化を招いた清はアヘンの密輸を取り締まったため、イギリスはこれを
口実に戦争を仕掛け、香港を租借した。これが悪名高いアヘン戦争である。