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列強は植民地支配への反乱については、きびしい弾圧と虐殺でのぞんだ。
イギリスは、1857年に起こったセポイの反乱に徹底的な弾圧を加えた。当時の
イギリスの『タイムズ』紙は「キリスト教会の破壊1に対し100のヒンドゥー寺院を
たたきこわせ。白人殺害1に対し、老若男女を問わず1000人の暴徒を死刑にせよ』
と報復を訴えた。事実、イギリスは、みせしめのため捕虜の集団銃撃や焼き殺しなど、
珂責ない弾圧と虐殺を行った。
フランスのベトナム支配は、監獄をつくることから始まるといわれた。1940年のメコン
河流域の住民蜂起では、6000人のベトナム人が逮捕され、サイゴンの監獄は満員となり
多くの囚人が死亡した。1945年、ホーチミン国家主席が読み上げた独立宣言に
その怒りが込められている。
「…彼らは学校より多くの監獄を建て、容赦なく愛国者を殺害し、蜂起を血の川に溺れさせた。…」
アメリカとて例外ではない。米西戦争に勝ったアメリカは、フィリピンに戦争を仕掛けて8万人の
陸軍部隊を送り込み、全域を制圧した。また、1906年、アメリカ式の土地制度などに反発したイスラム系
住民の反乱の時は、米軍は彼らの砦を包囲し、戦闘員から女子供を含めて6百人全員を皆殺しにしてしまった。