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世界自然遺産の景観、韓流ドラマのロケ地巡りやゴルフを楽しむ日本人でにぎわう韓国・済
州島。この島が旧日本軍の要塞(ようさい)だった史実はあまり知られていない。(略)三島市
のNPO法人「グラウンドワーク三島」(GW三島)は済州特別自治道に、日本の修学旅行生の
受け入れを提案し先月、現地を歩いてまとめた企画書を提出した。
(略)
私設の「平和博物館」(略)館長の李英根(イヨンクン)さん(56)が資料を集め、私財と借金で建
てた。88歳になる李さんの父親はこの地下壕建設で2年半、強制労働に従事させられたという。
地下壕の構築には犠牲者が出た。「けが人は担架で2キロ離れた病院に運ばれ、死者はたき
ぎで火葬にされた」。近くに住み、終戦時10歳だった文聖翊(ムンソンイク)さん(74)の話だ。
URLリンク(mainichi.jp) 抜粋
済州島の日本軍戦跡に光が当たり始めたのは最近のことだ。この島では1948年4月3日の
武装蜂起をきっかけに島民約3万人が軍や警察に殺害されたとされる「4・3事件」があり、
2003年に当時の盧武鉉大統領が公式謝罪し、2005年には国が「世界平和の島」に指定し
たことで、タブー視されてきた過去の歴史の見直しが始まった。
文聖翊さん(74)は(略)父は飛行場建設に従事させられたが、日本軍と島民の関係は比較的
良好だったといい、「いじめられるようなことはなかった」と証言する。(静岡新聞3/16、17記事より URLリンク(www.gwmishima.jp) )
李英根館長(56)が補足した。「済州島では反発や恨みは日本に向かうよりも直接、指示を出した
地域の有力者や警察官ら同胞に向けられがちだった」
博物館では、日本軍が、現地の人たちから真ちゅう製の食器を供出させた代わりに配った陶製の
器も展示し、来館者への説明を心掛けている。「侵略や供出を免責したり、正当化したりするつもり
はありません。ただ、被害者側は「とられた」と一方的になりがち。事実をありのままに伝えたい」
と李館長。(東京新聞3/7記事より URLリンク(www.gwmishima.jp) )
★1(4/08 19:56)スレリンク(newsplus板)