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■3.蒙古襲来■
蒙古は国号を元と改め、度重なる使いを日本に送ったが、時
宗が黙殺を続けると、ついに文永11(1274)年10月、蒙古2
万、高麗8千の軍勢が900艘の大船で、対馬、壱岐を襲った。
高麗は長年の蒙古との戦いに国土を荒らされていた上に、大
船の建造で、山という山は丸裸となり、さらに大軍の糧食の徴
発も行われた。遠征軍は船に鋤や鍬などの農具も積んでおり、
日本占領後には、屯田兵として定住するつもりであった。
対馬では守護代がわずか80騎の手勢で、上陸した千人近い
元軍に果敢に挑んだが、1、2時間で全滅した。元の兵は島民
の多くを殺し、家を焼いた。壱岐では100騎余りが桶詰城に
立て籠もって、まる一日ほど善戦したが、ついに全滅した。
住民の男は見つけ次第に殺され、女は捕らわれて掌に穴をあけ
られ、それに綱を通して、船べりに吊り下げられたという。