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★立命館大教授・加地伸行 教員は幼稚園に学べ
・幼稚園児の孫の卒園式に出席した。ジジ馬鹿丸出しである。
式典が進行し、ハイライトの在園児送辞、卒園児答辞となる。もういけません。眼頭が熱くなってきました。
そして終盤に、園児全員の斉唱がはじまった。スクリーンにさまざまな情景が次々と映るなか、「思い出の
アルバム」の歌声が流れる。
この唱歌、私は大好きである。「いつのことだか、思いだしてごらん。あんなこと、こんなこと、あったでしょう」に
はじまり、「春のことです…夏のことです…」と歌い継ぎ、最後に心を揺さぶる名句が現れる。
「もうすぐ、みんなは1年生」-涙があふれた。彼らの希望に輝く門出を祝わずにおれようか。
幼稚園には教育の原点がある。いや、人生の原点があると言っていい。この子たちは、これから
人生を自分の力で切り開いてゆくことになるが、それを大きく受け止めて協力するのが、われわれ
大人の役目である。
全国の新小学校1年生の中から、天下の大秀才が、他者の幸福のために生きる逸材が、高い志を
抱いた教養人が登場することであろう。頼もしいかぎりである。
それに比べて、教員にはお粗末なのがいる。例えば大阪の門真市立第三中学校の教員ども。
昨年の同校卒業式において、国旗に対して起立表敬をせず、国歌も唱和しなかった。理由は自分の
良心に反するからだと。彼らの扇動があったのだろう。生徒も起立しなかった。1人をのぞいて。
彼らの愚劣な行為の中で、たった1人で起立した生徒はお美事(みごと)。
そして今年、なんと教員も生徒も全員が起立したと伝えられている。
おかしいではないか。去年、起立しなかった教員は処分を受けたとのことであるが、それが怖くて
今年は起立したのか。己の良心に反するから起立しなかったと言うのであるのならば、今年も
起立すべきではない。
なぜなら、良心は法律よりも上だからである。たとい処分を何度受けようとも、信念を持って良心に
従って生きるべきである。
ところが処分が怖くて起立したと言うのならば、その良心など口先だけの吹けば飛ぶような代物である。
(>>2-10につづく)
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