09/03/27 11:01:21 VXyyR9Pi0
>>672
倭人伝に狗奴国は奴国の南って書いてあるからそう考えると
熊本方面としか思えない
678:名無しさん@九周年
09/03/27 11:09:10 NnfIL9yp0
>>677
邪馬台国の辺境(最南端?)にあった奴国と
女王国への経路の途上にあって福岡付近にあったと推定される奴国が
同一の国とは限らんだろ
679:名無しさん@九周年
09/03/27 11:11:53 XCDMDM4Z0
>>678
奴国は二回出てくるよ
680:名無しさん@九周年
09/03/27 11:15:14 NnfIL9yp0
>>679
そう。
だから普通に解釈すると二つの奴国があるんじゃないの。
681:名無しさん@九周年
09/03/27 11:20:33 VXyyR9Pi0
そもそも、北九州~近畿東海が勢力範囲の邪馬台国連合がクマソと
争っていても何ら不思議はないだろ
682:名無しさん@九周年
09/03/27 11:28:40 PLFPKK6nO
>>676
少女卑弥呼を共立したら大乱が収まり、
卑弥呼亡きあと男王が立つも再び荒れ、
代えて台与(13♀)を立てたら、あっさり収まる。
明らかに萌え歴史です。
683:名無しさん@九周年
09/03/27 11:47:28 T5iDSEQN0
>>682
卑弥呼ってババアじゃなかったっけ?と思っwikiってみたら
>既に年長大であったが夫を持たず(年已長大 無夫壻)、
>弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある(有男弟佐治國)
ショタですね。推定するに18~20歳くらいで女王になったのか?
>少女卑弥呼を共立したら大乱が収まり、
卑弥呼が女王になったから収まったんじゃなくて、卑弥呼を擁立する
ことで収めたんだよ。
684:名無しさん@九周年
09/03/27 11:48:54 RRDyEK5n0
>>663
URLリンク(homepage1.nifty.com)
漁師だけが刺青をしている、とは書いてないぞ。男は全員、と書いてある。
685:名無しさん@九周年
09/03/27 11:49:54 K7LfeMVv0
トヨタン・・・・・・・・・・
686:名無しさん@九周年
09/03/27 11:55:07 pHFWP+e50
男王のときにこさえちまった後宮は
女王のあいだはどうすんだろな?
687:名無しさん@九周年
09/03/27 12:07:25 aWNb2mZS0
>>672
「熊襲」というのはヤマトに従わない「クマ」と「ソ」を一括した呼称といわれてる。
「クマ」は熊本や球磨郡エリア、「ソ」は大隅半島の曽於郡のエリア。
688:三河農士 ◆fZjiKO5lZ2
09/03/27 12:18:57 Pgi3q7z7O
邪馬台国なんて支那の史家が伝聞で書いた資料に惑わされてないで
大和朝廷初期の遺跡として検証しろよ。
纏向は第十代崇神天皇から第十二代景行天皇までが都を置いた地域だ。
日本武尊だって纏向で生まれたんだぞ。
卑弥呼と比定されている倭迹迹日百襲媛命は第七代考霊天皇の皇女で
桃太郎こと大吉備津彦命の実姉だ。
ここから宮殿跡が出たという事は記紀の記述の信憑性が増したという事ではないか。
689:名無しさん@九周年
09/03/27 12:23:39 PLFPKK6nO
>>683
統治開始が180年前後で亡くなったのが248年頃とすれば、20歳は越えないようにみえます。
>>684
一説に水稲耕作を列島へ持ち込んだとされる苗族は刺青の文化を持たなかったそうです。
690:三河農士 ◆fZjiKO5lZ2
09/03/27 12:28:23 Pgi3q7z7O
>>689
卑弥呼が同一人物を指す固有名刺ならね。
691:名無しさん@九周年
09/03/27 12:40:15 T5iDSEQN0
>>688
邪馬台国ってことにしなきゃ金が集まらないんだよ。
2chのスレだって、スレタイに「邪馬台国」ってあれば大入りになるのに
纒向だけだと閑古鳥。
692:名無しさん@九周年
09/03/27 12:45:35 /bCPmrbL0
>>689
そこまで言い切った説はないのでは。苗族そのものではなく同源の文化を共有している可能性があるだけだ。
大陸系の歴史は融合よりすげ替えが多い、つまり元はちりじりになるか滅んでる可能性が高い。
693:名無しさん@九周年
09/03/27 12:49:30 TxVCBhxzO
長江には銅鼓をシンボルとする船上生活の部族が古代にいたが消息不明。
一部は陸に上がり今にいたる。舟形の棺を崖に吊す風習あり。
こういうのが渡ってきた可能性もある。
長江辺りからは複数の集団が時期違いで渡来して、刺墨を入れる海人もいたのだろう。
694:名無しさん@九周年
09/03/27 12:53:48 /bCPmrbL0
刺青はもっともーっと古いから同時期と考える方が不自然。
695:名無しさん@九周年
09/03/27 12:54:18 pHFWP+e50
>>688
崇神天皇の頃から大発展したらしいとする
古事記日本書紀研究と一致するんだよな。
卑弥呼は崇神天皇と同世代。倭迹迹日百襲媛命は時期が違う。
696:名無しさん@九周年
09/03/27 13:03:03 aWNb2mZS0
>>695
崇神天皇と倭迹迹日百襲媛命は同世代だよ。
倭迹迹日百襲媛命の方がかなり年上だったとは思うけどね。
崇神天皇に頼まれて神がかりをして神託を受けてる。
697:名無しさん@九周年
09/03/27 13:06:05 d+JHSCb/O
ちなみに九州説を唱えてる学者は遺構より思想を優先しています
698:名無しさん@九周年
09/03/27 13:06:14 pHFWP+e50
>かなり年上だった
それを「世代が違う」という。
2世代くらいの差がある。
699:名無しさん@九周年
09/03/27 13:09:53 aWNb2mZS0
>>698
2000年の話で歳の上下で顔をあわした差なんて
同世代でいいんじゃないw
700:名無しさん@九周年
09/03/27 13:11:34 PLFPKK6nO
>>692
うんまあ、クリカラもんもんの集団もいれば、カタギの人たちもいたってことで。
701:名無しさん@九周年
09/03/27 13:15:28 4SKnjt2RO
これは見に行きたいな
702:名無しさん@九周年
09/03/27 13:22:30 094CL2yo0
>>700
だから倭人伝に書かれてるのは宮崎の風俗だって言ってるんだよ
古来から隼人(海人)とヤマト族がガンガン交流していたのは
宮崎ぐらいしかない
703:名無しさん@九周年
09/03/27 13:42:56 6nVu96b/0
今回の纏向遺跡の研究の成果は
リアルタイムに近い年代で書かれた中国の魏志倭人伝と
それよりも、もっと詳細に書かれているが、書かれた年代がずっと後だった
日本書紀や古事記の記述内容が
はじめて一致する出来事なわけで。
704:名無しさん@九周年
09/03/27 13:45:13 6nVu96b/0
>>696
ヤマトトトヒモモソ媛命は、崇神紀に登場する。
系図のとおり、崇神天皇が、大叔母様のモモソ媛命の占いをきいて
意思決定している、日本書紀によると。
だから、崇神紀の時点では、かなりの老女と思われ
皇室の長老的な存在だったことも分かる。
705:名無しさん@九周年
09/03/27 14:21:44 094CL2yo0
>>703
そうだね
いろんなことがすっきりするし
だからモモソヒメ=卑弥呼説には説得力がある
あとはマキムクと同じくらいの年代だと言われる宮崎との関係がわかれば
かなりはっきり日本古代史が見えてくる
706:名無しさん@九周年
09/03/27 14:22:56 ZzDu+XB40
>>703
景初の頃、日本書紀では誰が天皇だったの?
707:名無しさん@九周年
09/03/27 14:26:24 L87eQvjS0
年表にすると、だいたいこんな感じか。(年齢は半年=1年で計算)
146年 倭国大乱 (~189年?)
148年 考霊天皇 即位?
175年? 倭迹迹日百襲媛命がこの辺りで生まれる
186年 考霊天皇 崩御
189年? 倭迹迹日百襲媛命が女王になる?
239年 親魏倭王の金印を与えられる
245年 崇神天皇 即位?
246年 倭迹迹日百襲媛命、三輪山を祀る
248年 倭迹迹日百襲媛命 死去
後継者争いが起きる?
249年? 豊鍬入姫命が祭祀となる
279年 崇神天皇 崩御
291年 倭姫命が祭祀に。伊勢神宮創建。
708:名無しさん@九周年
09/03/27 14:29:07 Oz1mJTqP0
>704
つまり、ホトをついたときは、かなり乾いていたわけだな…
709:名無しさん@九周年
09/03/27 14:52:41 eODjnyx20
>>543
> そして2世紀代から3世紀初頭あたりには吉備やら出雲やら丹後やらに
> それぞれ強大な王権が存在していたものが、3世紀になると大和・巻向に集約されはじめ、
> 3世紀代のうちに各地の王権は終焉を向かえ大和に一元化される。
> これが大和朝廷だろうとは誰しも思うし、これはもう動かない。
吉備は四世紀以降が確実。
丹後も四道将軍を実話と考えない限り、四世紀前半以降。
畿内説でも五世紀以前に畿内を大和が掌握していたと考える人は少なくなってきた。
710:名無しさん@九周年
09/03/27 14:55:27 eODjnyx20
>>601
庄内式が出るのがほぼ太田地区だけなので、
巻向遺跡の最初は太田微高地と考えられている。
布留式がよく出る範囲がまだ広がると考える人は少ない。
711:名無しさん@九周年
09/03/27 15:02:16 6nVu96b/0
>>707
崇神天皇の娘の豊鍬入姫命=トヨが13歳(実際は7歳?)で継承したと考えたら
まあ、崇神天皇が西暦248年時点で25歳~30歳くらいと計算し、
崇神天皇は西暦220年代の産まれの可能性がある。
だとしたら、この時代は結婚が早いだろうし、
叔父と姪の結婚もあったぐらいだから、おそらく、親子の歳の差が小さかったと思われ。
つーことは、開化天皇は西暦200~210年の間くらいの生まれと考えられ
孝元天皇は西暦180年代後半~190年代の生まれ
孝霊天応は西暦160年代後半~西暦170年代の生まれということになる。
こういうふうに考えると、倭国大乱の初期である西暦150年代の天皇は
第5代目の神武皇統の孝昭天皇ぐらいからじゃないの?
この天皇は婚姻関係も意味深で、
火明命の後胤であり、尾張氏の先祖に当たる、天忍男命の娘と結婚している。
つまり、彼が祭祀王の座を尾張氏から奪う動機が生まれやすい人物なんだわな。
また、後世、天皇につけた名前も
この孝昭天皇から孝元天皇(ヤマトトトヒモモソ媛命の兄妹)までの
四代の天皇に、たてつづけに「孝」という名称がついているのが意味深だわな。
この4代の天皇の時期が、倭国大乱の時期じゃないの?
712:名無しさん@九周年
09/03/27 15:05:45 6nVu96b/0
>>709
そんなことはない。以上です。
邪馬台国畿内説だと、
纏向遺跡では、九州から関東まで広域圏をつくっていたわけだから。
その四世紀というのは、埴輪のことでしょう?
713:名無しさん@九周年
09/03/27 15:09:18 eODjnyx20
>>712
小林行雄の亡霊かよ。
近江でさえ、五世紀六世紀にならないと、
大きな前方後円墳は作られないんだが?
> 纏向遺跡では、九州から関東まで広域圏をつくっていたわけだから。
庄内式、布留式は、尾張でさえまともに出たことないよ。
714:名無しさん@九周年
09/03/27 15:21:31 Go+HEn1H0
昔はアマチュアレベルでは九州説一色だったんだよね。
でも90年代に年輪年代学が実用されてから、
邪馬台国時代にすでに箸墓などの古墳が造られていたことがほぼ確実となり、
235~244年の紀年鏡が畿内を中心に出土することも証拠となり、
学界レベルでは「九州説は終わったw」にきまってるんだよ。
このスレでも九州説は相変わらず「こう読めば魏志に矛盾がない」といった主観的な謎解きに終始するばかりで、
何の説得力もない。
しょうがないから都合の悪い出土物を後世の偽作と決めつけたり
挙げ句の果ては光谷氏への個人中傷に走る始末だ。
もはや九州説論者は犯罪的と言ってもいい。
715:名無しさん@九周年
09/03/27 15:28:35 m0iEqpoPP
おい、専門的な言葉で議論されても素人の俺にはさっぱりわかんねーから
ガンダムか三国志に例えて説明してくれ
716:名無しさん@九周年
09/03/27 15:30:25 WOcZ++If0
箸墓古墳掘るまで信用しない
717:名無しさん@九周年
09/03/27 15:38:40 Go+HEn1H0
安本美点も結局は記紀神話の自己流の解釈に終わったよな。
彼のやり方は真理の解明には何の役にも立たなかったって事。
718:名無しさん@九周年
09/03/27 15:40:12 GeaUPbnr0
モモソヒメが陰を突いて亡くなったという件は天岩戸神話とちょっと被るかな?
古事記ではあまり触れられてませんね。
719:名無しさん@九周年
09/03/27 15:44:12 anpKyZz50
>>717
決定的な証拠はどこにも無いのだから、それなりの論拠を積み重ねていけば幾らでも仮説は作れるよ
そうした仮説の山の中で、いろいろと否定を繰り返す論争を続けて否定できなくなった最後の一つが定説になるのだ
仮説そのものを否定する事は出来ないよ
まあ。しばしば新たな証拠が出て定説が覆る事もあるから、それも絶対ではないのだが
720:名無しさん@九周年
09/03/27 15:47:34 anpKyZz50
>>718
あそこを櫛で貫いたくらいでは人は死なない。
当時、女性のあそこは、女性の生命そのものだと考えられ、男性のあそこと共に神聖視すらされていた
だからこそ、そういう神話が出来たのだ。
モモソヒメの死の理由はどうあれ、彼女の墓とされる箸墓は、当時最大規模の墓だ。
彼女が崇神天皇の姉というだけではなく、何か特別な力をもった姫巫女であったのは誰も否定は出来ないだろう
考古学で重要なのはその点ですね
721:名無しさん@九周年
09/03/27 15:53:38 FgEN+How0
霊視できるひとも奈良って言ってたなぁ
722:名無しさん@九周年
09/03/27 15:54:47 Go+HEn1H0
>>717
安本は「猫も杓子も」を「禰子も釈氏も」の意味であるとする(証拠のない)考え方を、
言語学で言う「語源俗解」として、学者としてやってはいけないことの例としてあげている。
でも皮肉なことに、安本が記紀神話でやったことも、紛れもない「語源俗解」の歴史学バージョンなんだよなw
まあ、これを「神話の合理的解釈」というんだが、たとえば「国うみ神話」を「国土開拓の事実を反映させた」とする解釈である。
これは神話学じゃやっちゃいけないことの筆頭なのに、安本はやっちゃってるんだw
たとえばアマテラスとスサノヲの喧嘩を邪馬台国と狗奴国の戦争の「反映」としたりねw
正直こんな解釈が許されるなら、もうなんでもありなのよw
実際、邪馬台国が畿内だったとしても、それに「合わせて」記紀神話を「解釈」することはいくらでも可能だし、
すでに一部のアマチュアがやってるよなw
要は、こんなやりかたは決して真実の解明に役に立たないと言うこと。
723:名無しさん@九周年
09/03/27 16:19:57 GeaUPbnr0
>>720
勉強になりました。
724:名無しさん@九周年
09/03/27 16:30:11 Oz1mJTqP0
>720
櫛?箸じゃなくて?
725:名無しさん@九周年
09/03/27 16:38:37 DuCc9HMm0
>>720
バイ菌入って感染症起こしたら死ぬやろ
726:名無しさん@九周年
09/03/27 16:38:39 o4S9gV1B0
>>715
ボルジャーノンは見つかったけど・・・
いや、例えが違うな
727:名無しさん@九周年
09/03/27 18:50:13 1S9HIwHG0
心理学者ユング流にいえば 火の玉の神に変容した 中山国交大臣の予言
「民主党が政権とれば、日教組、自治労の支援を受けているので日本が大阪府みたいになる」
スレリンク(wildplus板)
屠殺場といえないMBS毎日変態放送の平松・大阪市長 なんにもいえね
独島 みのもんたの朝ズバッ! 朝5時30分からプロパガンダ
またこりずに坂本弁護士親子を惨殺したワイドショーの復活
火の玉ボーイ 中山国交大臣に 気色ばむ与良正男 - 毎日変態新聞論説委員
立正佼成会カルトの酋長 庭野日鑛(にわの・にちこう)会長を国会証人喚問へ
質問 1立正佼成会大聖堂(東京都杉並区)を白真勲の政治活動につかったの?
2官ガンスの政治活動に宗教施設を貸したことが」あるの?
一方で戦後急激に拡大した教勢に対しマスコミの耳目を集めることになり、
1956年に読売新聞が本部用地の取得にあたって不正が行われたと報道。
庭野が国会に召喚され事態を説明するに至っている。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
立正佼成会カルト 庭野日鑛(にわの・にちこう)会長証人喚問へ
URLリンク(www.kosei-kai.or.jp)
プラズマ (
堂本暁子千葉県知事やアイ
728:名無しさん@九周年
09/03/27 23:03:30 W8Nx8QtEO
>>720
普通の箸じゃなくて囲炉裏をつつく棒みたいなもんじゃなかったのかな。
まぁ普通に殺人。
アマテラスバージョンは機織り機の男根みたいなヤツだったっけ?
痛そう…………………
729:名無しさん@九周年
09/03/27 23:29:49 S/a7ww2f0
>>707
>>707
その「146年 倭国大乱 (~189年?)」で天皇家は無事だったのかなw
ちっとも「大乱」ではないなw
730:名無しさん@九周年
09/03/27 23:58:47 6A7XE/3y0
>>729
自分は>>707の年代はちと無理だと思う。
731:名無しさん@九周年
09/03/28 02:00:08 1ccIDigu0
ただまあ
ここが卑弥呼の宮殿なら
崇神天皇の都だったことはほぼ確実で
その後の景行天皇の九州平定なども
史実と考えられるわな
732:名無しさん@九周年
09/03/28 02:13:26 lmfZ68/b0
邪馬台国はかつては九州にあって、東遷し大和になったのかもしれない。
けど、卑弥呼がいた場所こそみんな知りたいわけだから、
卑弥呼以前以後の邪馬台国の場所は核心でない。
733:名無しさん@九周年
09/03/28 02:23:55 F9r9zW/u0
日本書紀ですら魏志を引用するしか手立てがなかったんだし
根拠としている資料は現在と大して変わらん
8世紀でさえ史実や伝承もほとんどなかったのだろう
邪馬台国(ヤマタイコク)や卑弥呼(ヒミコ)の実在を証明することなど不可能だよ・・・
734:"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q
09/03/28 02:57:40 xBLPjXei0
古代日本を勉強するオヌヌメの本は何じゃろか?
735:名無しさん@九周年
09/03/28 04:08:55 CuQmiXhD0
>>734
ふつうだけど、
各社で出してる「日本の歴史」などのシリーズ物とか
概説書から読んだほうがいいと思う。
新しいのがたくさん出てるから。
このスレに沿っていうなら…
邪馬台国の候補地・纒向遺跡 シリーズ「遺跡を学ぶ」051
(石野博信、新泉社、2008年)
URLリンク(www.7andy.jp)
最初の巨大古墳・箸墓古墳 シリーズ「遺跡を学ぶ」035
(清水眞一、新泉社、2007年)
URLリンク(www.7andy.jp)
ヤマトの王墓・桜井茶臼山古墳・メスリ山古墳 シリーズ「遺跡を学ぶ」049
(千賀久、新泉社、2008年)
URLリンク(www.7andy.jp)
上に挙げたの三冊は薄くて安い本だけれど
オールカラー図版で非常に分かりやすく書いてあるし
最新の研究結果が載せられてる。
736:名無しさん@九周年
09/03/28 04:35:48 jmVGVDnh0
なるほど
737:"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q
09/03/28 04:36:15 xBLPjXei0
>>735
探してみるっス。
738:名無しさん@九周年
09/03/28 04:59:02 r5E+P5f90
>>735
>最初の巨大古墳・箸墓古墳
>清水眞一
俺も持っているがその先生今じゃ九州説に立っているんだよなw
纏向を実際に発掘した人間なんだし九州説にとっては貴重な戦力かな?wwww
739:名無しさん@九周年
09/03/28 05:29:21 CuQmiXhD0
そうなんだ。
清水氏は箸墓は魏志の記述から卑弥呼の墓ではないという立場だったね。
740:名無しさん@九周年
09/03/28 05:33:23 r5E+P5f90
>>739
ここ見てみそ。
URLリンク(www2.saga-s.co.jp)
まあ九州説の学者の泣き言も見られるからwwwwwwww
741:名無しさん@九周年
09/03/28 05:36:51 R0xmNxzb0
卑弥呼リンクで話題とお金を引っ張るのか
卑弥呼なんて一か所と1時代だけだろ
なんで全部卑弥呼関連だよwwww
742:名無しさん@九周年
09/03/28 05:37:33 xD5TvK23O
やっぱり畿内なのかぁ~
743:名無しさん@九周年
09/03/28 05:41:46 UqO3cDb10
なんだおめーらその真面目さは、他所で使え!
744:名無しさん@九周年
09/03/28 05:45:33 nDiY1EEPO
便乗でおいらも教えてもらえないでしょうか?
アマテラスとかニニギノミコトとか天の岩戸とか、
その辺の神話を勉強するにあたって入門できる本を教えてくださいm(__)m
できるだけ、真面目な(?)ものが良いのですが…。
例えば天皇家や当時の権力にどう繋がっていく(事実はともかく)のか
把握できるような。
このスレの方々なら詳しそうなので、
何卒お願いします(´・ω・`)
745:名無しさん@九周年
09/03/28 05:48:22 kdUoCagGO
>>740
であれば、その次の古墳時代に入って、纏向の地に100メートル以上もの巨大古墳が、なぜ突如として築造されるのか。これは、大和の地に別の地域の人々が入って来たと考えざるを得ない状況であるとみた。
では、誰が何処からきたのか? 考古学の資料からは、特定の地域が限定できない。となれば、卑弥呼の邪馬台国は、北部九州のどこかではないかと思われる。
↑
結論が強引すぎでワロタww
まず結論ありきww
746:名無しさん@九周年
09/03/28 05:53:50 kdUoCagGO
あと
>>740
今、九州内外を問わず著名な考古学者はほとんど畿内説である。考古学の世界では畿内説が九州説を圧倒している。しかし…
↑認めてはいるんだ
747:名無しさん@九周年
09/03/28 05:54:23 SbxpaaFT0
たどり着くまでの航程がおかしいのって、意図的に遠回りして
正確な場所を特定できないようにしたからじゃないの?
そもそも統一国家でもなかったんだし、敵対勢力下を避けて
より安全なルートを選んで進めば、結果的に時間もかかるわ
道順も滅茶苦茶になるだろう。
748:名無しさん@九周年
09/03/28 05:58:57 uhnG6hz/O
ヒミカ
749:名無しさん@九周年
09/03/28 05:59:51 SbxpaaFT0
魏志倭人伝での位置表記に疑問を呈しているのって、
全部最短コースを辿った場合に合わないってだけだよね?
いつも疑問に思ってた。
なんで最短ルートを選ぶんだろうか? とか。
当時の日本人は侵略される脅威とか考えなかったのか? とか。
遠回りして同じ場所をグルグル回って正確な位置をわからないようにさせて
邑を守ったと考えるのも有りだと思うんだが。
750:名無しさん@九周年
09/03/28 06:00:08 CuQmiXhD0
>>740
安本氏や高島氏は常連だね。
七田さんという人は「古墳文化にひきずられないで」とか言ってるが
古墳を無視するわけにはいかないと思うけどな。
吉野ヶ里に関わってる人じゃ仕方ないか。
つか清水さんの論もずいぶんな飛躍があるような。
纒向に突如巨大古墳出現
↓
外部勢力がヤマトに入ってきた?
↓
考古学的資料からはどこからか特定できない
(普通はここでひとやすみ)
↓
↓
卑弥呼の邪馬台国は北九州のどこかだ(゚∀゚)!
751:名無しさん@九周年
09/03/28 06:05:55 r5E+P5f90
まあ清水氏の場合、邪馬台国をそれこそ弥生前記中期から続くような環濠集落が巨大化したモノ
…ってイメージで捉えているんだろうか?
もしそうなら畿内(纏向)説は無理で九州説にならざるを得ないとは思う。
もうそれは最初から前提条件が違うから仕方が無い…
しかし良く分からないのは、なんで巨大古墳造営の要因を九州勢力の流入に求めるのか?
考古学者なら九州に前方後円墳に繋がるような埋葬文化の無いことは分かるだろうに…。
吉備や出雲ならまだしもwwwwwwwww
752:名無しさん@九周年
09/03/28 06:36:23 CuQmiXhD0
>>715
ジオン公国(九州説)が地球連邦政府(畿内説)に宣戦布告。
画期的兵器モビルスーツ(邪馬台国東遷説、吉野ヶ里遺跡など)により
連邦軍を圧倒し、またたくまに地球圏を制圧。
しかし連邦もレビル将軍主導による新型モビルスーツの開発
(纒向遺跡、新しい土器の編年、年輪年代法)により
徐々に劣勢をもりかえしついに地球からジオン軍を駆逐し、戦局を逆転させる。
いまはア・バオア・クーまで追い詰められている状況。
本当はジオンのほうが好きなんだけどな…
753:名無しさん@九周年
09/03/28 08:05:01 Urw5djYu0
ジオンのほうがかっこいい!
ザクは強いけど、GMなんて弱っちくて最低じゃないか!
754:名無しさん@九周年
09/03/28 08:29:39 CuQmiXhD0
>>744
鈴木三重吉の『古事記物語』はどうでしょう。
児童向けとはいえ大正時代から読み継がれるクオリティ。
>>753
いやいや、ジムスナイパーカスタムなんかは渋くて玄人好みだとry
755:名無しさん@九周年
09/03/28 08:34:21 1ccIDigu0
児童向けの本は
ヤマトタケルの凶暴さとかが伝わらんけどな
756:名無しさん@九周年
09/03/28 08:39:26 cOH8IDT40
古典はとりあえず岩波文庫。それから色々おもしろ解釈本読むといいのでは。
757:名無しさん@九周年
09/03/28 08:53:11 kdUoCagGO
邪馬台国はまちがいなく四国にあった: 大杉博著
をまずは読むべきだろ
758:名無しさん@九周年
09/03/28 08:55:09 n+GOlT//0
これが見つかったら邪馬台国
みたいな、決定的なものってあるのか?
結局証明不可能なんじゃないのかな。
759:名無しさん@九周年
09/03/28 08:59:13 AvxkaBbc0
>>758
どっちもやまと国でいいじゃん
どうせ首都機能が移転しただけだろ
760:名無しさん@九周年
09/03/28 10:12:21 11RT8E2aO
>>758
数学じゃないのだから証明は無理ですね。
761:名無しさん@九周年
09/03/28 11:22:26 MrH/MBXU0
卑弥呼がヤマトトトヒモモソ媛命ならば
ヤマト王朝の全国統一ってスンナリいかなかったんだな...
統一しても、すぐに地方が独立化
で、また平定しても、また反抗。
それの繰り返し。
中世に足利尊氏が中央政府を作っても
地方の大大名(山名氏清、大内義弘、足利持氏など)などが
足利幕府と戦争していたように。
762:名無しさん@九周年
09/03/28 12:14:31 yH9dxQUn0
>>744
口語訳 古事記―神代篇 (文春文庫) 三浦 佑之 (著)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
口語訳 古事記―人代篇 (文春文庫) 三浦 佑之 (著)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
著者は国語学者だったかな。
763:名無しさん@九周年
09/03/28 14:08:48 GCVkYQqa0
>>758
『親魏倭王』の金印の埋まった古墳。
764:名無しさん@九周年
09/03/28 14:21:53 Ghw0i0d40
九州論者は九州説を言い続けないと、立場と研究職と金づるを失うんだよ。
生きていくためには言い続けないといけない。仮に畿内で確定しても、
「それでも私は~」って言い続けるよ。
765:名無しさん@九周年
09/03/28 14:32:55 92PDTsig0
>>763
それもダメだな。
機内で見つかったら、邪馬台の変遷の証拠だ、神武東征の証拠だ!!
と九州説が騒ぎだす。
持ち運びができるものは不可。
最低でも好太王の碑文、稲荷山の金文程度じゃないと無理。
766:名無しさん@九周年
09/03/28 14:46:03 UKSTB2Qk0
邪馬台国畿内説の学者さんは
漢字の遺物の発掘を推測しているらしい。
まあ、普通に中国と外交していたわけだから
漢字を知らないと駄目でしょうと。
あと、倭人伝では戸数まで記されているわけだし
767:"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q
09/03/28 14:59:02 xBLPjXei0
>>762
俺、それ読んだけどちょっと解釈が恣意的過ぎるところがある。
フラットな視点に立てない点で入門書としてはイマイチだろ。
768:名無しさん@九周年
09/03/28 15:38:26 Ghw0i0d40
>>767
イマイチどころか、完全に著者のファンタジーだと思うけど。
発売当時、研究者の間ではボロカスに言われてた。
なんで今さらこれを進めるのか、そっちの方が恣意的。
769:名無しさん@九周年
09/03/28 16:04:28 yH9dxQUn0
>発売当時、研究者の間ではボロカスに言われてた。
そうなんですか。そこまでは知らなかった。
畿内説に立ってる注釈はありました。
770:名無しさん@九周年
09/03/28 17:23:21 dnILrPIM0
あれだな。魏志は「東至投馬国」と書くべき所を写本の過程で、隣の行にひかれて
「南至投馬国」と書いたのだろう。
この一文字を訂正するだけで、投馬国=出雲 邪馬台国=大和
句奴国=クマソ 東海渡倭種の国=東海地方とすべてが説けてしまう。
晋書に邪馬台国を東倭と表現してることからしても、これが真相だろう。
771:名無しさん@九周年
09/03/28 18:04:56 2dyUe7ak0
>>770
狗奴国は、許乃(コノ)国で、武埴安彦命だろう?
結局、当時の中国人は、北九州は近いのである程度、詳しかったが
近畿地方の地理間は、凄く曖昧だったんだろう?
772:名無しさん@九周年
09/03/28 19:20:23 r5E+P5f90
>>752
物語は最終局面。
ザビ家のキシリアとギレンの骨肉の争い。
古田と安本どちらが先に逝くか?w
「ふふふっ、先生もお甘いようで」
ドン!
773:名無しさん@九周年
09/03/28 19:36:23 riAFv6GqO
>>766
魏の文書が出ると面白いな
邪馬台国の外交担当は漢字を読み書きできたはず
あと、邪馬台国と半島の関係も興味深い。
半島から文物が出ることはないんだろうか
774:名無しさん@九周年
09/03/28 20:24:02 Urw5djYu0
可能性はほとんど無いのかもしれませんが
呉の文書が出てくれば面白いでしょうね
邪馬台は魏に使者を送ったタイミングから見てある程度大陸情勢に通じていたように思われます
呉にも使者を送っていた可能性、そうでなくとも
狗奴が呉に使者を送っていた可能性は充分にありそうにも思うのですが
775:名無しさん@九周年
09/03/28 20:31:36 OK+0YdXz0
>>774
おおお
おれも同じこと考えてた。
呉の職人が畿内にいた可能性はあるし
国交というか人的交流はあったように思う。
クナのようなアンチ邪馬台国の勢力が
交流していた可能性もある。
しかし呉の史書が出てくる可能性は
実際どうなんだろ。
776:名無しさん@九周年
09/03/28 20:35:10 lW1SHh3k0
最近はそもそも邪馬台国なんてなかった説が最有力だよね
777:名無しさん@九周年
09/03/28 21:02:23 KpUc6o1U0
山一證券国
778:名無しさん@九周年
09/03/28 21:04:44 gEUQCYDe0
「邪馬台国」「卑弥呼」なんて魏志倭人伝の中でたった一単語出てきてるだけなんだろ?
どうせそれすら伝言ゲームだろうし。
何でも言ったもん勝ちだよ。
779:名無しさん@九周年
09/03/28 21:07:10 PwprwMqj0
でもやっぱり邪馬台国までの行程が暗号のようにわかりづらく書いてあるところが想像力を書き立てるよね
780:名無しさん@九周年
09/03/28 21:08:37 OK+0YdXz0
まさかおれ達が読んで悩んでるとは
思ってなかったろうよ。
781:名無しさん@九周年
09/03/28 21:13:15 3q1K7iuu0
まぁ、現代に数年前のコピペの元ネタ探すだけでも一苦労だし分からんものだって沢山あるんだ。
いわんや2000年前をや。