09/03/26 11:08:43 hBLokPjm0
女王国までの距離は最後にちゃんと書いてある。
『帯方郡より女王国にいたるまで1万2000余里』
帯方郡→末盧国まで足すと1万里 (7000+1000+1000+1000)
末盧国→奴国 700里 (500+100+100)
すると、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。
対馬国→一支国が1000余里。
これが対馬と壱岐であるのはほぼ確定だから
両者の距離は68km。これが1000余里ということになる。
奴国が福岡あたりだとすると、そこから車で1~2時間くらいの
ところに邪馬台国はある。
末盧国なら2000里。唐津あたりから数時間。
ここで、1300里を水行陸行1ヶ月かかるわけないという反論が出てくるが
1300里を30分で移動したなら、有り得ないと言えるが、1ヶ月かけて
移動した可能性は否定できないだろう。
距離は短くても、険しい山越えをしたかもしれないし
(末盧国の描写で、草が生い茂って前を行く人の姿も見えないとある)
魏使が来たのは夏。台風で増水やガケ崩れなどで足止め、遠回りしたかもしれない。
だから時間がかかってるから遠くまで行ったなどとは断言できない。
それに、日数は郡からの全行程にかかった時間だという説だってある。
いずれにせよ途中から距離を書いてないのだから仕方ない。
そして「郡から女王国までは12000余里」とハッキリ書いてあるんだから、
むしろ日数を主張する人はこれをまるで書いてないかのように完全無視してる方が
おかしい。