【考古学】卑弥呼宮殿の一角か 特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡★2at NEWSPLUS
【考古学】卑弥呼宮殿の一角か 特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡★2 - 暇つぶし2ch457:名無しさん@九周年
09/03/25 21:00:58 sCpF223p0
>>453
邪馬台国が九州にあって、それを滅ぼしたって文献は無いだろ

458:名無しさん@九周年
09/03/25 21:05:51 JkeKuufY0
>>456
講談社日本の歴史でもそういうふうにあったな
九州にも目を配りつつ畿内説だから穏当なのかな

459:名無しさん@九周年
09/03/25 21:06:51 85glyTiI0
梁書倭国伝では光和中(178~184年)に倭国大乱があったと書かれているね。

460:名無しさん@九周年
09/03/25 21:29:27 0sUzOGL00
邪馬台国に鳥居はあったのかな

461:名無しさん@九周年
09/03/25 21:33:08 lN+NEJ7WO
みんな詳しいねw

462:名無しさん@九周年
09/03/25 21:34:39 4jW7iSQB0
邪馬台国→やまたいこく→山田異国
これはつまり山田長政が大臣を務めたアユタヤ王国のこと

463:名無しさん@九周年
09/03/25 21:39:38 Ygzrl73g0
卑弥呼はブス

464:名無しさん@九周年
09/03/25 21:48:49 zkHRAVr90
URLリンク(uproda11.2ch-library.com)

やっぱり沖縄だよ。

465:名無しさん@九周年
09/03/25 22:05:39 JBO11KiN0
向こうに追い抜かれたなw

466:名無しさん@九周年
09/03/25 22:14:09 Xihfltpz0
現在の考古学的状況から見て、邪馬台国畿内説しかありえない。


467:名無しさん@九周年
09/03/25 22:19:53 Spst/qlp0
ゴッドハンドを見抜けなかった考古学界恐るに足らぬ

468:名無しさん@九周年
09/03/25 22:57:32 k0g7aj6f0
大陸から九州島に入り、そこで興った勢力が東遷し畿内に入った
これはほぼ確実でしょう
その東遷した勢力が邪馬台と関係がある勢力なのか
狗奴国なのか、それともそのふたつとはまったく関係がない勢力であるのかは議論の余地がありますが
とにかく三国志にあらわれる邪馬台がどこにあったにせよ
大陸→九州島→畿内へと有力な勢力の大きな移動があったことは確かなことなのではないでしょうか


469:名無しさん@九周年
09/03/25 23:00:56 8gW9x/1d0
>>468
どうしても何事も朝鮮由来にしたい在日の方ですね?わかります。

470:名無しさん@九周年
09/03/25 23:11:56 4imDV8KTO
>>467
ゴットハンドにばかり働かせて責任取らない大学教授や院生に穴堀りさせろ、就学金返さない糞どもだから、タダ働きでいいよ。

471:名無しさん@九周年
09/03/25 23:14:06 V8v6Qc6Y0
>>469
まあそっとしといてやれ。日本神話にもアメノヒボコとか出てくるし。
大国主に負けてるけど

472:名無しさん@九周年
09/03/25 23:41:36 4jW7iSQB0
>>471
天日鉾の話って日本に亡命してきた新羅人がファビョって兵庫県出石に隔離されたって
間抜けな話だけどな。

473:名無しさん@九周年
09/03/25 23:44:16 2HXTm0Df0
大陸から人が来たのは確かだよ。
ただし、半島からじゃない。
沖縄経由で中国江南から来た。

稲のDNAの追跡で、もはや常識。

474:名無しさん@九周年
09/03/25 23:45:43 k0g7aj6f0
>>469
今の朝鮮人と当時の朝鮮人はほとんど関係がないのではないですか?
対馬海峡をはさんで半島南部から九州北部にいたのが「倭人」だと思いますよ
その「倭人」がつくった国こそ百済、倭、そして日本ではなかったでしょうか
百済と日本の関係には深いものがあるでしょうが
その百済を残虐に滅ぼした北方からの侵入者、新羅には日本人は不快感しか持たないでしょう
中世など新羅は幾度となく九州北部に侵入しては虐殺、略奪、拉致などを繰り返してきました
今の福岡の人たちにはいわゆる嫌韓が非常に多いですが、それにはこういった歴史も関係しているのだと思われます

475:名無しさん@九周年
09/03/25 23:47:23 DwjA8UQQ0
独島から来た人たちが邪馬台国を作ったんだよね。

476:名無しさん@九周年
09/03/25 23:48:48 /oDLlfPl0
なんで古代歴史のニューススレにはやたら詳しい人がくるんだろう?
読んでて面白いけど半分くらいわけわからん

477:名無しさん@九周年
09/03/25 23:54:22 JBO11KiN0
半分くらいわけわからん内容だから、心配しなくてよい。

478:名無しさん@九周年
09/03/25 23:57:29 V6vbg8nNO
奈良…あぁあのキモいキャラクターに大金使ったところか。

479:名無しさん@九周年
09/03/25 23:58:55 TQD+jHzCO
へぇー

480:名無しさん@九周年
09/03/26 00:05:56 euyRtbhk0
正直俺もわけ分からんネタが多いな。
建築物出土は良いとしても、卑弥呼に繋げる論理が見えない。

そもそも、何が出たら卑弥呼の宮殿と比定できるのか分からない

481:名無しさん@九周年
09/03/26 00:10:36 SLYrJDpb0
>>469
ついでに言えば私は大陸から来たとは思っていますが朝鮮から来たとは思っていませんよ
倭人は呉の太伯の子孫だと言っている、とあるとおり
中国江南地方から九州島に入ってきた可能性がもっとも高いと思っています
邪馬台も狗奴も、どちらも江南地方にルーツを持つ国家ではないでしょうか
卑弥呼にしろ卑弥弓呼にしろ、その呪術はどこからきたのかを考えるとき江南にその源流を見るような気がします

482:名無しさん@九周年
09/03/26 00:12:45 N/y5SiTV0
>>472
それを信じてるの?
天皇家にその血が入ってることになるよ

483:名無しさん@九周年
09/03/26 00:13:16 2KDVk4pr0
何が出ても比定できるのかもね。

「邪馬台国」とか「卑弥呼」って言葉自体、
歴史学者と考古学者で違った意味に使っている感じ。
あるいは学者と万世一系論者とか。

484:名無しさん@九周年
09/03/26 00:24:50 5gU4eaYW0
えぇ!小野妹子よ。

485:名無しさん@九周年
09/03/26 00:34:54 I2oBpdtj0
大そうなものが出てきたらとりあえず「邪馬台国」と書いておけ
というのがマスコミなのか

486:名無しさん@九周年
09/03/26 00:36:35 MYe7KpUj0
てst


487:名無しさん@九周年
09/03/26 00:46:10 EK3m5yk10
>>482
神々の系図はあくまでも、八百万の神々はすべて天照大神の下にあるって事を
示すための、いわば序列だからねぇ。だから国津神と天津神がごちゃ混ぜに
なってるし。大相撲の番付表みたいなモンで、横綱は大関の父親じゃない。

記紀と実際の天皇家との整合性や政治的意味までは俺には解らないや。

488:名無しさん@九周年
09/03/26 00:51:57 /IIzy5KhO
卑弥呼三才時の頭蓋骨が出土すれば、そこが邪馬台国に間違い無い。

489:名無しさん@九周年
09/03/26 00:59:45 k/3QJuWc0
今回はさらに「小さい」

490:名無しさん@九周年
09/03/26 01:06:20 8o0xwIY30
>>488
俺、卑弥呼5歳の頭蓋骨持ってるよ。中国の露店で買った。

491:名無しさん@九周年
09/03/26 02:02:38 y66lH7310
中国人は嘘をつくが、練習は嘘をつかない

492:名無しさん@九周年
09/03/26 02:25:12 RntQSD4m0
>>456
>2世紀半ばの倭国大乱を経て、それまで北九州国家(奴国・伊都国)が掌握していた
>外交権(=倭国の盟主権)が畿内(邪馬台国)に移動したんだと俺は理解してるけど。

そのことは、3世紀初頭では畿内や吉備の土器は北九州へ移動してるけど、
その逆はないことからも裏付けられるそうだ。

最新のデータではないけど、纒向遺跡から出土する土器のうち、
15%が外来のもので、そのうち50%が東海系、17%が山陰・北陸系、
10%が河内系、7%が吉備系だという。今は外来系土器の割合は
もう少し高くなってるかも。

493:名無しさん@九周年
09/03/26 03:06:26 NS57Qx8z0
>>476
日本古代史は日本史板の花形だから
日本史板からいろんなヤツが出張してくるのよ

ここは任那府みたいなもん

494:名無しさん@九周年
09/03/26 03:11:38 JBFxG4350
日本史板の邪馬台国関係は何年も前から異様な状態。

一方考古学板は何年も前に板自体が死亡

495:名無しさん@九周年
09/03/26 03:29:06 d12DfogUO
女王と言っているのは「斎王」ではなかろうか。
女王国が斎都なら、当初はマキムクで倭百襲姫が三輪の神の妻となり、姫の死後にはオオタタネコなる男子
が祭司を行い、その後伊勢が斎都となり女子が斎王になっている。
だいたい、男の王とあるのも世俗王とは限るまい。
各国の長は「官」と表記されている。魏にとって倭王は一人しか認められない。
世俗王が他にいても官とされたかもしれない。斎王が倭王ならば。
マキムクは三世紀末に消滅しているようだが、垂仁天皇から景行天皇の頃だから辻褄は合う。
祀る神も変わったのは争いがあったからでは。
崇神天皇の頃は四道将軍の話、宇治、河内の木津川を勢力とする皇族の謀反があった。
吉備はマキムクに参加した勢力だ。そこに将軍を派遣している。
後の日本史を見てみても、鎌倉時代の武士は鎌倉に参加した後家人ばかりではない。
南北朝時代も綺麗に南北に勢力が別れたわけではない。モザイクだ。


496:名無しさん@九周年
09/03/26 03:36:44 FK69XvWC0
ここ見てると、畿内説の人たちは冷静ですね。

497:名無しさん@九周年
09/03/26 03:54:21 2VrTzlGi0
京大の皇国史観の敗北だな

古墳の年代を 1世紀さばを読んだ



498:名無しさん@九周年
09/03/26 03:59:43 z/NSpHwv0
考古学的な証拠もなしに

ひたすら東遷説を唱えるのもね

悔しかったら反論してみ


499:名無しさん@九周年
09/03/26 04:00:59 VK8ePjq30
>>497
お前アホだろ?
元々九州説は皇国史観丸出しの本居宣長が言い出したのは周知されるところ。
明治以降も例えば畿内説の内藤湖南は九州説を本国中心主義として批判してきた。
てめえの脳内イデオロギー闘争の構図で適当に語るな馬鹿w

で、「1世紀さばを読んだ」?
じゃあ実年代の確実な基準があるわけだよな?

それは何に基づくのか言ってみろ。

先に言っておくが 一昔前の年代観=小林説 なんて馬鹿は言うなよw




500:名無しさん@九周年
09/03/26 04:10:17 VK8ePjq30
>>498


  東遷説 = ウリナラ起源説




501:名無しさん@九周年
09/03/26 04:18:19 UXHmNBc9O
俺の予想では、邪馬台国は埼玉

502:名無しさん@九周年
09/03/26 04:18:23 t13Nq6aMO
沸いてるねえ。
なにしろこんなに好き勝手が言えて、さも学問があるみたいな(ホントは無い)話題は他にあまりないからなあ。
2chでも理系は基礎がなきゃすぐ破綻するからなあ。
文系古代史厨が沸くこと沸くこと。

503:名無しさん@九周年
09/03/26 06:44:51 SLYrJDpb0
「いかなる才能もただそれを鼻にかけ人のために役立てようとしないのであればまったく評価に値しない」   陳寿 

504:名無しさん@九周年
09/03/26 07:02:33 0/m5iHq30
纒向が初期大和朝廷の遺跡の可能性は高いと思うが
なんでそれが卑弥呼の宮殿になるんだ?
その飛躍的発想はさっぱりわかんねーよ

505:名無しさん@九周年
09/03/26 07:04:51 jWTVfeFt0
いきなり卑弥呼宮殿は無理があるんでないか?

506:名無しさん@九周年
09/03/26 07:09:07 80iraO5nO
>>499
先に言っておくが 一昔前の年代観=小林説 なんて馬鹿は言うなよw


↑予防線張るなよチキンw

507:名無しさん@九周年
09/03/26 07:27:13 6bh3bWGr0
纒向が卑弥呼の前なのか後なのか。
倭国大乱で卑弥呼が擁立されて纒向に都を作ったのか、
卑弥呼が死んだ後の乱れの後にトヨが擁立された時に纒向に都を作ったのか。
卑弥呼の後に倭国はもう一回乱が起きてるからな。

508:名無しさん@九周年
09/03/26 07:37:51 S3lzPDKe0

トヨタン・・・・・・・・・・


509:名無しさん@九周年
09/03/26 08:24:30 ozH652kk0
卑弥呼で街おこしですか

510:名無しさん@九周年
09/03/26 08:40:36 R11ldw/WO
ところで、トルコで世界最古の鉄器が発見されたそうな

511:名無しさん@九周年
09/03/26 08:42:33 Eb3tXoH10
>>482
在日って
皇室に朝鮮人の血が入っているとか
芸能人が実は在日だとかの話が日本人にショックを与えると思っている節があるけど…

日本人は朝鮮人みたいな変な拘りがないから「だから何?」って話なんだよなw

512:名無しさん@九周年
09/03/26 08:43:13 jstKfw5O0
卑弥呼で予算獲得

513:名無しさん@九周年
09/03/26 08:52:15 zKWmkS1e0
マスコミがニュース番組でやっている
「卑弥呼の宮殿」の想像図CGが
宮殿というにはあまりにも素朴すぎる
丸太を組んだだけみたなのは
「日本の古代なんでたいしたことありませんよ」
という左巻きの洗脳か?

514:名無しさん@九周年
09/03/26 08:56:25 DnReCbIb0
>>513
真実を素直に見られる日本人の民度の高さが、壇君なる神話の王墓をコンクリートで捏造しちゃうような民度の低い朝鮮人には理解できないんだろうな…

515:名無しさん@九周年
09/03/26 08:59:51 X3QE5mcPO
大阪西成区にあったんだよ邪馬台国は

516:名無しさん@九周年
09/03/26 09:02:03 1Ovw2T+H0
卑弥呼というAV女優がいてだなry

517:名無しさん@九周年
09/03/26 09:03:33 OELKYEnp0
>>513
仕方が無いでしょうに...
当時は文献資料が無いわけだから
伊勢神宮のあれぐらいしかモデルが無い。

そもそも、日本は山岳部が多いわけだから、木造を頻繁に利用するのは
なんとなく創造できる。

518:名無しさん@九周年
09/03/26 09:11:42 fQEDSJn30
正直、ここは宮殿とかそんなもんじゃないと思うな。
旧河道にはさまれた狭いところだからそんなに広くは取れないし、
氾濫したら危ない。一時的な祭祀の施設じゃないかね。

重要でないとはいわないが。

519:名無しさん@九周年
09/03/26 09:17:33 Q3nMYA8c0
>>518
>一時的な祭祀の施設

卑弥呼は鬼道なる宗教で祭政政治を行っていたんだよ。
宗教施設=卑弥呼の宮殿という解釈でも良んじゃね?

520:名無しさん@九周年
09/03/26 09:18:17 OELKYEnp0
纏向遺跡って、後の藤原京なみの大きさなんだよな...
でかい。
同じ時代だと、魏の洛陽なみの大きさ。
むろん、朝鮮半島、満州、ベトナムには、こんな大きな都市は存在しない。

521:名無しさん@九周年
09/03/26 09:21:43 OELKYEnp0
天皇制度は、中国の律令体制を導入してからの制度。

日本古来からの制度は、祭祀王と政事王の二つが並立している制度。
で、身分の高さでは、形式的に、祭祀王>政事王
だが、実権は、政事王が握っていた。

魏志倭人伝での倭王というのは、祭祀王のほう。
ヤマトトトヒモモソ媛命は祭祀王のほう。
この祭祀王の座をめぐって倭国大乱が起こった。

522:名無しさん@九周年
09/03/26 09:28:01 MJi0ZycY0
>>513
>日本の古代なんでたいしたことありませんよ

何処と比較して大したことないの?
そもそも外国と比較する必要なんてあるの?
それとも「自分の祖国と比べて大したことない」とでも言いたいの?

523:名無しさん@九周年
09/03/26 09:34:14 OELKYEnp0
>>513
そもそも、中国的な建物がすばらしいという考えが
偏見なんだけど。

前近代の技術なんて、
今の先進国と後進国ほど技術格差なんて存在しない。

纏向遺跡は、その規模からして、
中国の洛陽に匹敵する都市。

524:名無しさん@九周年
09/03/26 09:34:19 NQkOD8Nk0
>>513
俺もマスゴミや各地の遺跡の再現に使われている住居は実際とは
かなり違ってる気がする。
家の近所で言えば、弥生の遺跡である田能の住居がありえない程
チープだよ。
猪名川と藻川に囲まれた湿地帯で地面に穴を掘って竪穴式住居を
作って住めるか?

525:名無しさん@九周年
09/03/26 09:59:16 mtEBsqsx0
他に有力な候補地がない現在、
纏向=邪馬台国の報道は当然だと思うんだが、
それにヒステリックに噛み付いている奴らって何なの?

526:名無しさん@九周年
09/03/26 10:08:49 mpgV57630
ヤマトトトヨモモソヒメがトヨのことだったかもしれない

527:名無しさん@九周年
09/03/26 10:11:19 ANOsPsL/0
7万戸が35万人を表すとすると
江戸時代の農業技術で35万石相当の面積が必要だと言うことだ。
弥生時代にはそれよりは農業生産は低かっただろうから
70万石とか100万石相当の土地が必要だったと考えられる。

さらに、非生産の支配階級を食わすためには、かなりの
輸送能力が必要。

あのあたりで70万石の領地となるとどのくらいまで広がるんだろう。

528:名無しさん@九周年
09/03/26 10:14:05 KkWLKQhf0
>>527
ウィキペディアによると
薩摩藩島津家 - 薩摩国・大隅国の2国、及び日向国の一部、南西諸島を領有。薩摩国鹿児島城(鹿児島市)。77万石。
らしい


529:名無しさん@九周年
09/03/26 10:20:10 93ZxqKHQ0
>>527
纏向って関東から九州までの土器が見つかってんだろ?
これって関東から九州までの領地から年貢が送られて来ていたってことじゃねーの?
素直に考えればココが魏志の書く邪馬台国だとしか思えないんだけど…

530:名無しさん@九周年
09/03/26 10:30:14 e1tZl3oC0
ヒント!参勤交代

531:名無しさん@九周年
09/03/26 10:35:49 OELKYEnp0
>>529
だから、それで決まりだ。
邪馬台国九州説論者は、在野の学者や作家とかが中心。
専門の学者さんらは考古学も歴史学も、ほぼ邪馬台国ヤマト説。
九州大学ですら、ほぼ邪馬台国ヤマト説。
かつては、九州説の中心だった東大ですら、ほぼ邪馬台国ヤマト説。

532:名無しさん@九周年
09/03/26 10:49:16 OELKYEnp0
>>528
もし、それだと、狗奴国はどこになるんだ?
よって、邪馬台国を九州にもってくるのは無理。

533:名無しさん@九周年
09/03/26 10:49:25 sRdOauuV0
邪馬台国が畿内だとすると、もう卑弥呼時代には大和王権の原型が
東海から北九州までの連合勢力として成り立っていたことになるよな
てことは、日本の国家としての成立や神武東征の時代が卑弥呼以前に遡ることになる?

534:名無しさん@九周年
09/03/26 10:49:47 2JYDHioJ0
卑弥呼のAVビデオ持ってるよ、これまじ年代モノ

535:名無しさん@九周年
09/03/26 11:01:45 cUUj1e6e0
>>533
年表作って

536:名無しさん@九周年
09/03/26 11:08:43 hBLokPjm0
女王国までの距離は最後にちゃんと書いてある。

『帯方郡より女王国にいたるまで1万2000余里』

帯方郡→末盧国まで足すと1万里 (7000+1000+1000+1000)
末盧国→奴国 700里 (500+100+100)

すると、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。

対馬国→一支国が1000余里。
これが対馬と壱岐であるのはほぼ確定だから
両者の距離は68km。これが1000余里ということになる。

奴国が福岡あたりだとすると、そこから車で1~2時間くらいの
ところに邪馬台国はある。
末盧国なら2000里。唐津あたりから数時間。

ここで、1300里を水行陸行1ヶ月かかるわけないという反論が出てくるが
1300里を30分で移動したなら、有り得ないと言えるが、1ヶ月かけて
移動した可能性は否定できないだろう。
距離は短くても、険しい山越えをしたかもしれないし
(末盧国の描写で、草が生い茂って前を行く人の姿も見えないとある)
魏使が来たのは夏。台風で増水やガケ崩れなどで足止め、遠回りしたかもしれない。
だから時間がかかってるから遠くまで行ったなどとは断言できない。
それに、日数は郡からの全行程にかかった時間だという説だってある。

いずれにせよ途中から距離を書いてないのだから仕方ない。
そして「郡から女王国までは12000余里」とハッキリ書いてあるんだから、
むしろ日数を主張する人はこれをまるで書いてないかのように完全無視してる方が
おかしい。

537:名無しさん@九周年
09/03/26 11:10:23 Wx9YbPe10
>>533
卑弥呼以前というか正に卑弥呼の時代そのものだと思うけどな。

卑弥呼(モモソ)の死後、後継者問題で乱が起きて、台与(トヨスキイリ)が後継者となって
更に倭姫命に継ぐか継がないかぐらいの先のゴタゴタが沈静化して久しい頃に
やっぱ男を王にしようぜ、って閣議決定して
崇神天皇がトップに就いて、以後天皇が続いていく・・・なんて俺は妄想している。


538:名無しさん@九周年
09/03/26 11:14:14 n8Wy37nr0
邪馬台国=ヤマトとして
神武はやっぱ九州隼人でおK?

539:名無しさん@九周年
09/03/26 11:17:59 ANOsPsL/0
九州から大和までの広範囲が国の勢力範囲だと考えれば
神武東征も素直に納得できるな。

九州から大和まで、戦い倒して大和に達して、建国したんだろう。
だから、その道のりは大和の勢力範囲と言うことになる。

540:名無しさん@九周年
09/03/26 11:23:09 cagXffS40
>>533
卑弥呼と神武は、ほぼ同時代じゃないか。
邪馬台国とヤマトに連続性はないと思うね。
魏書が述べるクナ国王がナガスネヒコではないかと思うのだが。

>>536
邪馬台国は点じゃないだろ。
邪馬台国の範囲・大きさがわからないと距離もあてにならないな。


541:名無しさん@九周年
09/03/26 11:27:52 1EZzOJvL0

180~190年頃 倭国大乱(後漢書)
          邪馬台国の卑弥呼を擁立し、連合王国による新体制が発足

          神武天皇(1)東征。大和地方にて長髄彦の抵抗に遭う。
            長髄彦の死去後、一族は四国や伊勢を経由して科野に逃れる。
            伊勢攻略。伊勢津彦は科野(関東?)に逃れる。

    300年頃 崇神天皇(10)の命で各地に四道将軍が派遣され、各地の勢力に恭順を迫った。

          景行天皇(12)の皇子・倭健命による出雲攻略。出雲健命を討つ。

          成務天皇(13)の時、五百建命が科野国造に任ぜられる。

     456年 雄略天皇(21)即位。物部氏らに命じ、地方勢力の鎮圧に乗り出す。
           吉備・播磨を討伐し、474年には伊勢の朝日郎を討ち取る。
           この時、伊勢を追われた伊勢舟木氏は科野に逃れたとされる。

542:名無しさん@九周年
09/03/26 11:32:41 Zu5Ksooa0
>>532

>>528 は石高の例として江戸時代の薩摩藩を出しているだけで、別に邪馬台国薩摩説を書いているわけじゃないと思うんだが…

543:名無しさん@九周年
09/03/26 11:37:39 NyG2wdwi0
>>533
そうだね。

邪馬台国問題から離れて、当時の状況は、土器の活発な移動のありようから、
北部九州、吉備・瀬戸内、畿内、山陰、丹後にわたる経済圏が
弥生後期後半(2世紀後半から3世紀)にはできあがっていたことが分っている。
そして2世紀代から3世紀初頭あたりには吉備やら出雲やら丹後やらに
それぞれ強大な王権が存在していたものが、3世紀になると大和・巻向に集約されはじめ、
3世紀代のうちに各地の王権は終焉を向かえ大和に一元化される。
これが大和朝廷だろうとは誰しも思うし、これはもう動かない。

問題は、九州で最も繁栄していた前原、博多というところが
この経済圏の中にどっぷりと入ってしまっているという点。
上の大和朝廷成立の動きと邪馬台国とは別物だとするのもいいけれど、
その場合には、九州い随一の目玉である前原、博多と言ったところを、
邪馬台国を中心とする倭国の版図から外さなければならない。
九州のほかの場所に都があるなら、そこまでこの経済圏の影響が及ばないのは、
普通に考えておかしいので。

前原は伊都国、博多一円はナ国に比定することを
認めない人はほとんどいないわけで、
前原、博多を失うと、倭人伝を解釈するにも相当無理しなきゃならなくなるし、
考古学的な裏付けはほぼ皆無になってしまう。

こんな状況で、なんで、そうまでして九州にこだわりたいの?

って言うのが素朴な疑問。

544:名無しさん@九周年
09/03/26 11:51:07 Lt6seNi30
>>541
>伊勢津彦は科野(関東?)に逃れる。

科野=信濃、関東じゃないよ

545:名無しさん@九周年
09/03/26 11:55:57 rQRkaRG9O
こんな昔のことがなんでニュースになるの?
これが分かってたら何?って感じ。日本の歴史なんてどうでもいいよ。

546:名無しさん@九周年
09/03/26 11:57:30 Lt6seNi30
>>545
「どうでもいい」なら
こんなスレ覗くなよw
まして書き込む必要なんてあるのか?

547:名無しさん@九周年
09/03/26 11:58:13 1EZzOJvL0
>>544
もちょっと具体的にお願い

548:名無しさん@九周年
09/03/26 11:59:32 j6A0F9jC0
>>543

九州説の人は、考古学的な発掘成果を知らないから、
九州と本州は、何の交流も無かったと、いまでも信じてるわけだよ。
九州島だけで邪馬台国・クナ国があり、本州は別の倭人の地だと、倭人伝から解釈してる。
だから「経済圏」と言われても理解できないだろう。

実際は、九州~出雲、九州~吉備に活発な交流・交易が弥生時代からあった。
出雲からは銅剣が出てるのに、九州説の人はそれをすっかり忘れてる。
九州と出雲が交流してたとしたら、そこから九州説が破綻するから、目を背けてるのかも知れないがな。
九州説の大原則は、とにかく、魏志倭人伝の邪馬台国は「九州島の内部だけの話」なんだから。



549:名無しさん@九周年
09/03/26 12:00:04 Lt6seNi30
>>547
wikiで「信濃国」を調べろよw

550:名無しさん@九周年
09/03/26 12:05:36 2KDVk4pr0
武光誠氏(ちくま新書、2000年)は筑後川流域説だお
発掘成果もちゃんと把握してるお

俺は筑後川はないと思ってるけど

551:名無しさん@九周年
09/03/26 12:07:40 RRNFUTjLO
まぁ普通に>>536がFAだね。
畿内説のみなさん乙。

552:名無しさん@九周年
09/03/26 12:12:49 j6A0F9jC0
>>550

東大のしがらみで、九州説を捨てられないんだろう。
でも、九州の邪馬台国が、その後に滅んだと考えてるところは、
東遷説よりかなりマトモ。

553:名無しさん@九周年
09/03/26 12:16:39 RFswPbuD0
>536
>551

魏時代の一里は0.435kmだから
1000里 = 435km

12000里 = 5220kmとなる。

なので、それを九州に収めるには
怪しげな「短里」を導入するか、距離の拠点の読み変えをするか、云々

という果てしない堂々巡りに入っていくのですが。

554:名無しさん@九周年
09/03/26 12:16:59 HZAwEDGF0
男じゃヤダヤダ→内戦状態

そして13歳の娘をトップに選んで丸く収まる日本人のセンスは今も昔も変わらぬ!

555:名無しさん@九周年
09/03/26 12:18:47 j6A0F9jC0
>>551

一瞬で論破されてやんの。

九州説乙。


556:名無しさん@九周年
09/03/26 12:19:09 1EZzOJvL0
>>549
調べたけど何が言いたいのか解らないんだよ。
科野(関東?)←科野か関東方面に逃れたって記述の何が
おかしいと指摘されてるのか解らない。

557:名無しさん@九周年
09/03/26 12:23:36 j6A0F9jC0
>>556

「科野」は、信濃(長野)の山奥だから、関東と言われると違和感があるんだよ。

558:名無しさん@九周年
09/03/26 12:25:13 wdxZVc6D0
畿内説だと邪馬台国は纏向遺跡ってことなんだよね?
九州説だと邪馬台国の遺跡ってのは何処なの?

559:名無しさん@九周年
09/03/26 12:28:49 P38M717U0
距離からすれば、新潟か青森だな。
気候からすれば、九州だな。

560:名無しさん@九周年
09/03/26 12:32:14 d12DfogUO
当時、水行の距離を正確に出せたのだろうか?
当時の魏の里を推定して計算するとフィリピンの向こうまで行ってしまうとの話もある。

561:名無しさん@九周年
09/03/26 12:36:41 cWuFqz1d0
>>559
九州でも博多あたりなら平均気温はそんなには変わらないよ。
南九州なら別だけどね。

そもそもさ、この記録を書いたであろう人達は、
ピョンヤンあたりからきてるわけなんで、
そこと比べたら、西日本はどこでも温暖だよ。

562:名無しさん@九周年
09/03/26 12:40:32 ZTr4NNJO0
>>559
どこやねん www

563:名無しさん@九周年
09/03/26 12:41:39 d12DfogUO
さて、疑問がある。
卑弥呼は「鬼道」をよくするとあるが、台与はどうなのだろう?
間の男王はどうなのだろう?
卑弥呼の前の倭王はどうなのだろう?
魏志からこれらに解答を得たとの話を知らない。

564:名無しさん@九周年
09/03/26 12:42:35 j6A0F9jC0
距離を正確に測れたという前提で話してるやつは、
いったいどういう測量技術を使って距離を計ったのか言ってみろ。

古代日本に、正確な測量技術なんて無い。
船で1日で渡れる距離を、1000里と見積もった、というだけかもしれないだろ。
徒歩で、里を計ったなら、実測とはかなり違うものになる。

たとえば、1日で歩けた距離を○里と計算するなら、
中国みたいな平らな平原を直線で歩けば、実測距離は長くなる。
日本みたいな藪やくねった山道を歩けば、実測距離は短くなる。

これを、短里だ長里だと言ってるやつもどうかしてるんだけどね。


565:名無しさん@九周年
09/03/26 12:43:59 nG8wJ2EG0

トヨタン・・・・・・・・・・


566:名無しさん@九周年
09/03/26 12:47:29 1NKIwFTj0
13歳ハァハァ


567:名無しさん@九周年
09/03/26 12:48:16 nG8wJ2EG0

・・・・・・・・・・


568:名無しさん@九周年
09/03/26 12:51:53 VtaqEOoc0
>>566
タイ-ホ!

569:名無しさん@九周年
09/03/26 12:53:58 cBeeIF/60
台与って、その後どうなったんだろうな。

570:名無しさん@九周年
09/03/26 12:56:31 p6Qq9tmd0
>>493
>ここは任那府みたいなもん

上手いな。
ん?ニュー速+は半島なのかw

571:名無しさん@九周年
09/03/26 12:56:34 NS57Qx8z0
中国は白髪三千丈(9km)の国


572:名無しさん@九周年
09/03/26 13:05:57 scYuRq710

★台与

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)

『日本書紀』の神功紀に引用される『晋書』起居註に泰始2年(266年)に倭の女王の使者が朝貢したとの記述があり、この女王は台与と考えられる。
この年は、中国では曹操に始まる魏王朝の曹一族に世継ぎができなかったため、親族の幼少の皇帝が3代続いた時代で、外戚の司馬氏が建てた晋に禅譲革命が行われてゆく途上の年であった。

この朝貢の記録を最後に中国の史書から邪馬台国や倭に関する記録が途絶え、次に現れるのは150年の後の義熙9年(413年)の倭王讃の朝貢(倭の五王)である。

台与と後のヤマト王権との関係は諸説あってはっきりしない。
人物の比定については諸説ある。
URLリンク(ja.wikipedia.org)


573:名無しさん@九周年
09/03/26 13:10:04 e1tZl3oC0
中曽根さんって長髄彦の子孫

574:名無しさん@九周年
09/03/26 13:16:48 Wx9YbPe10
>>569
台与を豊鍬入姫命とするなら垂仁天皇25年に
倭姫命に譲るまでその座には就いている事になる。
魏志倭人伝の年代に合わせていくと、だいたい316年辺りでバトンタッチっぽい。

575:名無しさん@九周年
09/03/26 13:41:18 2KDVk4pr0
>>553
狗邪韓国まで7000里は3000kmになっちゃうお。
3000kmって、今度は狗邪韓国はどこ論争になっちゃうお。
狗邪韓国が関東あたりで、対馬国が明神礁辺りで、一大国が小笠原で、
末盧国はマリアナ諸島か……w

何でかはわからないけど、狗邪韓国が半島の南端に収まるような
そういう単位を使ったと読むしかないお。
ちなみに倭人伝だけじゃないお。
同じ巻に「韓」は帯方郡の南にあって約四千里四方だって書いてあるお。

>>558
距離から言っても気候から言っても南九州だお。>>536参照。

>>564
有効数字1桁、プラマイ1割程度の誤差はあると見れば
大方使えるお。陸上はまあ歩数かな、海上は穏やかな日に
オールでこいで時間計れば経験的にわかりそうなもんだお。

576:名無しさん@九周年
09/03/26 13:49:21 4M6wB//+0
>>561
冬でも夏野菜のくだりは?

577:名無しさん@九周年
09/03/26 14:06:45 Wx9YbPe10
間違った。291年辺りだった。

578:553
09/03/26 14:20:02 RFswPbuD0
>>575
>狗邪韓国まで7000里は3000kmになっちゃうお。

そうだよ。だから、距離に関する記述は厳密に解釈する意味がないってのが、一般的でしょ。

>何でかはわからないけど、狗邪韓国が半島の南端に収まるような
>そういう単位を使ったと読むしかないお。

でも、「里」はそんな単位じゃないでしょ。
そこであったかどうかも定かではない「短里」なんてものをひっぱり出してきて九州説は論争しているんじゃない。

「短里」は存在しない→いや周代の本に若干記述がある→魏代には使われてないでしょ
→いや朝鮮半島や倭国では使われてかもしれないし、他の三国志の記述もそれっぽいのがある。
→同じ本の中で断りもなく二通りの単位が、同じ表現で出てくるの?
→使者が使ったのをそのまま書いただけかもしれない
→それだったら、里数もそのまま書いただけじゃないの?測量なんてできないでしょ?
→いや、「九州説」且つ「短里」ならぴったりあう。
→だ~か~ら~

九州説の人はこの繰り返しじゃない。昔から。


579:名無しさん@九周年
09/03/26 14:24:19 2KDVk4pr0
>>578
文献を素直に読めばそうなるんだからそう読むべきだお。

→同じ本の中で断りもなく二通りの単位が、同じ表現で出てくるの?
→出てきてるんだから仕方ない。
 使者が使ったのをそのまま書いただけかもしれない
→それだったら、里数もそのまま書いただけじゃないの?測量なんてできないでしょ?
→うん、そのまま書いたんだろうね。
 「九州説」且つ「短里」ならぴったりあう。


580:名無しさん@九周年
09/03/26 14:28:17 RFswPbuD0
>579
文献を「素直」に読むんだったら

1里=0.435kmで読まないとだめでしょ。

倭人伝のどこに「これは短里での記述」とかいてあるの?

「使者が短里を使ったのをそのまま書いたかもしれない」
は推測であって、文献を「素直」には読んでないでしょ。

文献に出てくる地名と実際の地名を照らし合わせて
それから1里のkm換算数をだす、という行為も
文献を「素直」に読んでないでしょ。





581:名無しさん@九周年
09/03/26 14:37:14 Eo7TrSNK0
>>575

「その道里を計るに、当に会稽の東冶の東にあるべし」

と倭人伝本文に書いてあることからわかるように
陳寿は邪馬台国を福建省の東方に位置すると考えていた
実際よりもかなり南方に日本列島が位置するとみてたことになる

隋書倭国伝をみるとこの中国側の地理感覚はもっとはっきりする

「古い伝承によれば楽浪郡境、帯方郡より1万2千里、会稽の東にあって、?耳に相近し」

?耳というのは海南島のことね。だからこの記述を素直に読めば
北朝鮮から1万2千里南下して熱帯に行ってしまってもまったくおかしくはないということになる

里数を旅程で計算したり、
中国の似た風俗のところと同じ緯度に位置すると推測した結果だろうから無理はないと思うね、
むしろ現代の感覚で当時の地理的認識を推し量るのは非常に危険だと思う。

>>576
冬でも夏野菜ではなく
冬夏を問わず生野菜を食べているということじゃない

582:名無しさん@九周年
09/03/26 14:38:13 FrZ76ftH0
>>576
>冬でも夏野菜のくだりは?

そんなことどこにも書いてない。

>>579
>文献を素直に読めばそうなるんだからそう読むべきだお。

素直に読んでるのに、九州説の人の結論が一致しないのはなぜ?
どこか無理してるから、人それぞれつぎはぎして結論が変わっちゃうんでしょ。
なかには結論すらない人も多いし。

で、素直に読んだあなたは、邪馬台国は九州のどこだというわけ?
そこまでに経由する道筋はどうなの?


583:名無しさん@九周年
09/03/26 14:47:51 m18G6Zie0
九州説なら宮崎の西都原以外あり得ないだろ。
南にクナ国、東の海の先に倭種あり、温暖な気候
邪馬台国が九州にあったとするならここしかない。

584:名無しさん@九周年
09/03/26 14:52:15 2KDVk4pr0
>>580
1里の長さはこうこうである、ていうのは2次資料だお。
現実のモノを計った結果を示してこれは○○里である、
て書いてあるのは1次資料だお。
1次資料を基に、1里の長さはこれくらいだっただろう、
と推測するもんだお。
その結果、
「1里=0.435kmとは違った単位の存在することがわかった」
と言うもんだお。

>>582
みんなどこか無理してるっていうのは、その通りだお。
それは近畿論者にも言えることだお。

ちなみにおいらの説も書かないといけないの?

末盧国は唐津か伊万里。伊都国は小城郡辺り。
奴国不弥国は佐賀県のどこか。そこから有明海を南行。
投馬国はよくわかんない。再上陸は葦北郡辺り。
邪馬台国は宮崎県南部。

585:名無しさん@九周年
09/03/26 14:57:14 Eo7TrSNK0
>>584
シラス台地で稲作に向かないために農業生産力に劣る土地で
サツマイモのような収量の高い作物もない当時に
2万戸の人口を擁する農業先進地域の奴国をはるかに凌駕する大都市が
形成可能だったと思うわけ

586:名無しさん@九周年
09/03/26 15:01:00 5UHArGuD0
奈良=ナラは、韓国語で国の意味だよ。
奈良が日本の中心ってことは、すなわち、日本は韓国が作った国ってこと。

587:553=580
09/03/26 15:06:23 RFswPbuD0
>>584

この倭人伝だけの記述のみを取り出せば
あなたの言うことは理解できるよ。
でも、順序が逆なんだよ。
>1次資料を基に、1里の長さはこれくらいだっただろう、
>と推測するもんだお。
これが成り立つのは「里」が全くどの長さかわからない場合のみだけど
他の資料から魏時代の「里」がどれくらいがわかっている。
つまり約0.435kmなわけだ。

それと同じ表記でありながら違う単位が存在することを示すためには
それを示さないといけないのだけど、おそらくあなたは:
>現実のモノを計った結果を示してこれは○○里である、
>て書いてあるのは1次資料だお。
によっているのだと思う。

でもね、「現実に距離を計測」してないんだよ。当時は。


588:名無しさん@九周年
09/03/26 15:08:47 jj3mm3lL0
当時、正確な距離を割り出すなんて無理だろう。
九州から船に乗っていくところだよ。
邪馬台国が九州内なんてありえない。


589:名無しさん@九周年
09/03/26 15:09:22 RFswPbuD0
>586
「奈良=朝鮮語ナラ」説は
音声学的に無理

590:名無しさん@九周年
09/03/26 15:10:20 pHYfrP0t0
冬の野菜について

たとえば「春の七草」という古来の風習があるが
春と言っても旧暦(太陰暦)の言い方で、今は1月7日。厳冬期だ。

こんな↓野菜を粥に入れる。
URLリンク(upload.wikimedia.org)

料理には詳しくないが、おそらくこれらは、火を通さなくても
塩もみして酢を加えるぐらいで、結構なご馳走になるのではないか。

他にもミズナ、コマツナ、フキノトウなど、冬の味覚とされる野菜は、日本には多い。
これらは決して南九州だけしか採れないものではなく、
本州も京阪神のみならず、関東・東北まで、ほぼ汎日本的に収穫できるものである。

したがって冬の野菜の記述は、九州説の根拠にはならない。

591:名無しさん@九周年
09/03/26 15:33:15 gwNXM6Tm0
>>584
考古資料として1尺の長さを表すものさしが出土している。
そして当時の度量衡では1里=3600尺ということが分っているから、
1里の長さは考古資料によって裏付けられた数値として決まる。
なので、短里も長里もなく、約430mの里があるだけ。

>みんなどこか無理してるっていうのは、その通りだお。

そう。
だから里程論を元に議論するのは不毛だという結論がとっくの昔に出ていて、
今時そんなことをやってるものは、もういないんだよ。

>邪馬台国は宮崎県南部。

つまり、北部九州説は死んだということですね。

玄界灘から東には中国との交流を物語る鏡、鉄剣、鉄斧など、
多数の文物が出土してるのに、それがほとんど出ない唐津・伊万里から
南下するルートを支持する人がはたしてどれだけいるか。。。。。

まあ、北部九州じゃなきゃ好きにして。

592:名無しさん@九周年
09/03/26 15:58:42 OELKYEnp0
>>586 :名無しさん@九周年:2009/03/26(木) 15:01:00 ID:5UHArGuD0
>奈良=ナラは、韓国語で国の意味だよ。
>奈良が日本の中心ってことは、すなわち、日本は韓国が作った国ってこと。

奈良市のナラは、崇神天皇の時代に
あのあたりの土地を均(なら)して作ったから、
あのあたりをナラ山といった。
そのことは、日本書紀に書いてある。

もし、韓国語の国を意味する「ナラ」が奈良市のナラと同じなら
日本の奈良市のほうが起源だ。

593:名無しさん@九周年
09/03/26 16:02:18 2W73Fiup0
>>591
ちょっとまった、
唐津なら、桜馬場遺跡、菜畑遺跡
伊万里なら、午戻遺跡

このあたりは交流を物語る遺跡だと思う。
マイナーかもしれないが、無いわけではない。

結局、九州全域は巨大都市遺跡は無いかもしれないが、
中小遺跡は数多く存在する。
北部南部の結論を出すつもりはないが、
出土物がないと言われると困る。

594:名無しさん@九周年
09/03/26 16:04:13 PzAs6tau0
だいたい移民が移り住んだ土地に故地を偲んで名前つけるならまだしも
そのまま「国」ってつけるとかおかしいだろw

595:名無しさん@九周年
09/03/26 17:01:48 yEitiwQSO
とりあえず、纒向と箸墓と三輪山関連を徹底調査するしかないでしょ。
鍵を握るのは崇神とモモソヒメとオオタタネコだな。

596:名無しさん@九周年
09/03/26 17:07:01 ife0ZAnO0
>>595

モモソヒメは、崇神天皇のおばさんで、桃太郎(キビツヒコ)の姉にあたる。

魏志倭人伝には、卑弥呼の男弟が執務をしてたとあるが、吉備の王がそれに当たる。

オオタタネコは、河内で庄内式土器を作って、九州に輸出した人。



597:名無しさん@九周年
09/03/26 17:10:19 1a33pr0b0
>>586
奈良のナラは、平らな場所って意味ね。
今でも地面を平らにすることを、地面をならすって言うでしょ。
韓国のウリナラのナラは現代韓国語であって
古代の新羅、百済、高句麗の言葉ではないのだよ。
現代韓国語の発音を古代の倭の言葉に当てはめること事態が
無茶苦茶です。ちなみに「くだらない」って言葉は「百済ない」じゃ
ないからね。この場合の「くだらない」とは、
上方物が江戸に下る時の言葉で、良くない製品は江戸に下ることが無い、
からきています。良くない物=上方から江戸に下らない物、となります。

598:名無しさん@九周年
09/03/26 17:14:07 jj3mm3lL0
>>595
邪馬台=ヤマト=山処=三輪山の麓だと思うな。


599:名無しさん@九周年
09/03/26 17:19:29 4crLmGLP0
巻向は祭祀遺跡で、都市遺跡ではないと思う。
いまでいえば伊勢神宮みたいな感じ。
肝心の「邸閣」が見つかっていない。
宮殿跡なんて日本列島各地にある。

もう90回も発掘してるのだから
これ以上の成果はムリでしょう。

600:名無しさん@九周年
09/03/26 17:19:53 1a33pr0b0
>>398
大いにあるでせう。
大物主は崇神天皇が初代大和朝廷をマキムクに作った時、
既に土着民に信仰されていた国津神であります。
日本書紀にも大物主が崇神天皇に祟る話が出てきます。
大物主は物の怪の主、蛇神だと言われています。
御神体の三輪山は蛇がトグロを巻いた姿だと。

601:名無しさん@九周年
09/03/26 17:27:02 jj3mm3lL0
>>599
巻向はもともと太田遺跡、勝山遺跡として別々の遺跡だと思われてたのが
くっついてるぞ!って話になって巻向遺跡と呼ばれるようになって
今でも3000平米あるらしいが、それでもまだ全体像のほんの一部だと言われてるんだよ。


602:名無しさん@九周年
09/03/26 17:32:41 ESuWa00t0
>>591
>そして当時の度量衡では1里=3600尺ということが分っているから、

間違ってるジャン。何で6×3が36なんだよ。1里=1800尺に訂正。

1歩=6尺、1里=300歩。

>>593
>菜畑遺跡

縄文末期の水田跡が何か?

はおいといて、もともと、より南のつもりだったんだけどね。

>中小遺跡は数多く存在する。

困る前に、もう少し具体的に遺跡名や出土違構などを上げると、
賛成する人が増えるかもね。

でもまあ、上げるものはせめて2世紀から3世紀ぐらいにしておいてほしい。
縄文晩期の遺跡を上げて邪馬台国だと言われても。。。

603:名無しさん@九周年
09/03/26 17:55:13 Mvayj9hP0
箸墓は近畿にあんだろ。
だとすると対抗勢力の対等なんじゃねーのか?

604:名無しさん@九周年
09/03/26 18:09:51 cagXffS40
ん?九州説の人は宮崎南部説のみになっちゃったの?
西都原説は原田常治って人の本で読んだことあるけど
学問的な評価は現在どうなってんの?
いずれにしても発掘しないと答えが出ないけど。


605:名無しさん@九周年
09/03/26 18:14:47 NS57Qx8z0
うん
九州説の最後の砦は南九州(と言っても宮崎近辺)だけよ
あとは全部死に絶えたかも

606:名無しさん@九周年
09/03/26 18:15:26 sRdOauuV0
宮崎って髪長媛とかの一族が仁徳天皇の援軍だったとか何とか
そういう話だったよな

607:名無しさん@九周年
09/03/26 18:19:33 cagXffS40
そうなんだ。
原田氏の追跡は神社の縁起だけに頼った方法で、
たどり着いた所に西都原がたまたまあったという感じなんだが。
九州には該当しそうな遺跡が乏しいな。


608:名無しさん@九周年
09/03/26 18:20:01 a5H9G4IU0
どげんと遷都いかん!

609:名無しさん@九周年
09/03/26 18:24:39 NS57Qx8z0
西都原よりも
生目古墳群のほうが古い
調査は生目古墳群のほうをすべき

前方後円墳は九州全土では560基
大半が南九州に存在

610:名無しさん@九周年
09/03/26 18:25:35 d12DfogUO
里程の場合、直線距離ではなく人が歩いていける距離。
古代は特にそうなんだけど、人が単位だ。国も人と人の繋がり、集落と集落の繋がり。山や川は集落に「所有」されている。
今も、山地の入会地なんかは、集落から歩いていける場所にある。
歩いていけるなら、一山を沢伝いにぐるりと回った場所、地図を見ると飛び地に
しか見えない場所にあったりする。
しかし、人が比較的容易に歩いていけるなら、地図上では直線距離の近い回った
山の頂より近いのだ。
現代人は無意識に地理や数字、言葉を現代的に見ている。
それでも、魏志東夷伝の距離は酷いんだけどね。

611:名無しさん@九周年
09/03/26 18:28:31 Mvayj9hP0
バカくさい

612:名無しさん@九周年
09/03/26 18:29:21 HVbV4w880
末盧国(唐津)→伊都国(前原)→奴国(福岡) 北東に進んでる。
そのまま進めばあそこに着いちゃう。
水行20日で投馬国(出雲)、狗奴国は南九州の熊襲。
奴国が福岡だと畿内説の方が有利じゃない。
でも奴国は福岡ぽいんだよなー、うーん。
だから、九州内に邪馬台国を求めようとすると、
魏志倭人伝の記述に一番合っている日向地方になるんじゃない。
「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種」
畿内説だとこれの説明がつかないし・・・

613:名無しさん@九周年
09/03/26 18:31:03 4JDfWjkQ0
この程度の遺跡って頻繁に土建工事しても他所の地域で見つからないほどの規模なの?

614:名無しさん@九周年
09/03/26 18:31:33 pnl1E5cY0
卑弥呼が埋葬される時
100人くらい殉葬されたと書いてある
巻向からそう殉葬が100体くらい出てこないと卑弥呼の墓とはいえない
宇佐神宮からはそういうのが出てきたけど埋め戻しちゃったらしい
つまり宇佐は卑弥呼かあるいは台与の居たところ

615:名無しさん@九周年
09/03/26 18:33:22 NS57Qx8z0
ここに詳しく載ってるわ
西都原古墳群と生目古墳群
URLリンク(www.0503ak1025.net)
---------------------------------
ところが、生目古墳群は、西都原よりも遥かに重要で、
大きな謎を秘めた古墳群なのだ。
生目古墳群は、西都原古墳群より時代が全体的に古いのである。
それどころか、いくつかの古墳は、日本最古と一般的に思われている箸墓古墳と同時代か、
更に古い可能性もあるのだ。
しかも、生目古墳群には、畿内にある古墳の、ほとんどすべてのタイプがそろっている。
---------------------------------------
いずれにせよ
この近辺以外には
もう九州説の有力な比定地はないでしょ

九州のほかの場所はいろんな条件が合わない


616:名無しさん@九周年
09/03/26 18:33:59 IPKmEG/e0
卑弥呼を日巫女とか姫御子とか
無理やりこじつけて一般名詞化しようとするやつ
マジで死んでくれ

617:名無しさん@九周年
09/03/26 18:39:59 FXgPvJu+0
また九州説わめくやつが出てきたか。もう素人しか九州説言うやついないのに。

618:名無しさん@九周年
09/03/26 18:41:57 8h7PxLw+0
>>616
九州説の方ですか?w

619:名無しさん@九周年
09/03/26 18:42:59 hlKM/0O10
>>614
>巻向からそう殉葬が100体くらい出てこないと卑弥呼の墓とはいえない
纏向は古墳じゃねーw

>宇佐神宮からはそういうのが出てきたけど埋め戻しちゃったらしい
怪しげな話w
せめてソースを出せ!
「ムー」とかじゃダメだぞw

620:名無しさん@九周年
09/03/26 18:44:22 ppj0A5R30




ヒミコはヒミコなのに若いモンに通じたためしがないもの


ペッタン手裏剣







621:名無しさん@九周年
09/03/26 18:47:14 2W73Fiup0
>>602
菜畑遺跡
遺構は16層から成っており、水田の遺構が確認されたのは縄文時代晩期後半の12層からである。
それより上層にも弥生時代中期までの水田遺構が検出された。水田遺構は、18平方メートル余り
で小さな4枚の田で、当時は直播きで栽培された推測されている。

一応弥生時代まで入っています。

622:名無しさん@九周年
09/03/26 18:51:25 cagXffS40
そうか、殉葬100体出てきても、そこが邪馬台国の中心では無い可能性もあるのか。
遠く離れたところに埋葬されたなんてことないよな?w


623:名無しさん@九周年
09/03/26 18:53:14 KzcCksI2O
>>614
確かに宇佐神宮は、日本の成立過程に関して非常に重要な場所だったのは間違いないよな。

624:名無しさん@九周年
09/03/26 18:54:13 pnl1E5cY0
>>619
有名な話だからググレばいくらでも出て来る
宇佐神宮の建ってる亀山が古墳だとか
宇佐神宮の近所の百体神社から何回も殉葬の遺体が出てきてる

625:名無しさん@九周年
09/03/26 18:54:25 PR6NFCz70
珍しいから卑弥呼宮殿とか
今の時代じゃないんだから似たような様式にしようがない
全部人それぞれなんじゃねえの?

626:名無しさん@九周年
09/03/26 18:57:00 2W73Fiup0
>>624
百体神社なんてえらくストレートですね。
ずっとそういう言い伝えがあったのか
あとから、付会されたのか興味があります

ちょっと調べてみよう

627:名無しさん@九周年
09/03/26 18:58:50 VK8ePjq30
>>624
適当な事言ってんじゃねえよw

「有名な話」「調べれば分かる」・・・2ちゃんの九州説のお決まりの逃げ口上だな。

一体何をもって「殉葬」とするのか根拠言ってみろボケ・

ホントに殉葬のあとと確定できるならそれだけで日本の考古学上大発見だわwww



628:名無しさん@九周年
09/03/26 19:01:54 T1bXubQo0
邪馬台国は阿蘇山の噴火で火山灰の下に埋もれているはず。

629:名無しさん@九周年
09/03/26 19:03:14 NS57Qx8z0
百体神社が「大隈日向国の隼人の霊」を祭ってるというのは重要かもね
邪馬台国南九州説だと
埋められた奴婢は隼人だった可能性が高いから

630:名無しさん@九周年
09/03/26 19:04:20 MChe0Yqt0
卑弥呼様ああああああ!!!!!

631:名無しさん@九周年
09/03/26 19:07:13 k6DHjIWv0
さて、これにどうチョンが絡んでくるかな?

632:名無しさん@九周年
09/03/26 19:09:01 8h7PxLw+0
>>631
卑弥呼は朝鮮半島の巫女(ムーダン)をスカウトしてきたのである。

633:名無しさん@九周年
09/03/26 19:14:35 RntQSD4m0
>>614
「径百余歩」「殉葬する奴婢百余人」の記事は大陸の墓制しか知らない
中国人の感覚で書かれたものだとする意見もある。
直径145メートルの円墳というのも同時代にはないし、
100人もの殉死者の埋葬遺構もおそらくどこにも見つからないと思う。
とにかくでかい墓を作ったと聞いたのでそのように書いたんじゃないかな。
形状を具体的に知っていたのならば、「形は方円に作る」とか何とか
っていう書き方になったと思う。
百余歩、百余人で数字を合わせているのも、一種のレトリックのような。

634:名無しさん@九周年
09/03/26 19:17:14 FPd4TibK0
>>624
ググったら…縁起が720年なんスけどw
まぁ寺社の縁起なんてアテにならない伝説と言われりゃそれまでだけどさ…

やはり物証ないと弱いな

635:名無しさん@九周年
09/03/26 19:28:28 yEitiwQSO
宇佐を創った大神比義はモモソヒメが嫁いだ三輪山の大物主の一族。
どちらが邪馬台国だとしても何らかの繋がりはありそうな気がする。

636:名無しさん@九周年
09/03/26 19:29:13 RntQSD4m0
>>633補足

同じ人の意見として、垂仁紀の埴輪起源説話は、朝廷の凶礼を司った土師氏が
倭人伝の殉葬百余人の記事を下敷きにして作ったものではないかというのもあった。


637:名無しさん@九周年
09/03/26 19:32:24 NS57Qx8z0
>>634
縁起720年というのは
隼人の反乱が頻繁にあった頃に一致するしね

638:名無しさん@九周年
09/03/26 19:34:39 pnl1E5cY0
>>634

URLリンク(homepage3.nifty.com)
>事実、宇佐神宮の改修が行われた明治40年と昭和8~17年の二度にわたり
>石棺が目撃されているのです。
>また百体神社の地からは、甕棺が数個づつ数回にわたり出土しております。


これが事実だとすると出てきたのは甕棺で
甕棺は弥生時代の埋葬方法なので720年には無いんじゃない?
卑弥呼の時代のものだと思う

639:名無しさん@九周年
09/03/26 19:41:36 gxt3dCaC0
>百体神社

これは百大夫神社が訛ったもの。百大夫は傀儡子の守り神。

640:名無しさん@九周年
09/03/26 19:56:38 gCaukBk00
卑弥呼の居た中央国家の正式名称が「やま」で「と」は人のことだろう。
やまとの人の国で「やまとこく」→「邪馬台国」
そして、大陸から見て日本列島に住む人々のことを以前から「倭人」と
呼んでいた。これは恐らく「倭(わ)」→「我(わ)」から来たもの。
日本人が自らのことを「我(私)」と称したので名づけられた。
要するに、国家名→やまと、人種名→わ、ということ。
後に、漢字の使用が始まり「我(私)」から同音の「和」に置き換えた。
それに偉大な(GREAT)の意味である「大」を冠し「大和国」とし、
国名である「やまと」を「大和」の当て字とした。

641:名無しさん@九周年
09/03/26 20:16:14 IPKmEG/e0
>>640
言語が一緒で少数の国がたくさんあったんなら
列島の国はどこもみんな
ヤマト=ヤマタイなんじゃねーの?
その理屈だと

642:名無しさん@九周年
09/03/26 20:26:24 AiWxlVsi0
そもそも「卑弥呼」も「邪馬台国」も魏志倭人伝の中でたった一単語書かれてただけなんだろ。
しかも伝聞がベースなので丸っきり違っててもおかしくない訳だ。



643:名無しさん@九周年
09/03/26 20:33:21 gCaukBk00
>>641
倭人(民族的な集団)の小国家の連合体がヤマト。
九州の隼人(民族的な集団)の小国家を平定した後に「大」を付け、
「大和(倭)国」としたんじゃないでしょうか。
「我」から「和」にしたのも隼人などの他民族への配慮な気もします。
大きな和をもって一国家となす、みたいな(日本的ともいえる配慮)

644:名無しさん@九周年
09/03/26 20:39:13 IPKmEG/e0
>>643
隼人
熊襲の言語的な意味は?

645:名無しさん@九周年
09/03/26 20:39:15 PzAs6tau0
和に置き換えたのなんてずいぶんあとだし
もうめちゃくちゃな論理だな
大和ありきかよ

646:名無しさん@九周年
09/03/26 20:54:12 Wc0wTJUb0
>>638
宇佐市は甕棺の分布域でない。
大分県は、筑後川流域の日田盆地に甕棺が使われたが
周防灘、伊予灘、豊後水道にかけての東部海岸域からは甕棺は全く出ない。
(その北側、福岡県行橋市、北九州市、芦屋町方面も、全く出ない)

件の「百体神社甕棺」云々は、大阪の某弁護士がそうした考古事実も知らないまま
「九州なら甕棺だろう」程度のいい加減さで、土地の古老の話として書いているもの。
出土したという甕棺はどこにも保管されてないし、写真も実測図もない。
古老の氏名も書いておらず、完全なヨタ話である。

そのホームページも、某弁護士のヨタ話に引っ掛けられているだけ。
おのれの考古学不勉強ぶりを天下に示して、お笑いそのもの。

647:名無しさん@九周年
09/03/26 21:04:08 HVbV4w880
宇佐神宮の建立は725年、
亀山も古墳では無さそうだ、地層があるらしい。
どっちにしても小さすぎ。

648:名無しさん@九周年
09/03/26 21:07:01 NS57Qx8z0
>>644
記紀の中で九州の被征服民族としていっしょくたにされてるケースもあるが
隼人は「薩摩隼人+大隈隼人+日向隼人」の鹿児島+宮崎の
海人(南方系原日本人)の流れを組む民族

熊襲はおもに熊本を中心とする地域にいた
狩猟民族
と考えられる

649:名無しさん@九周年
09/03/26 21:53:42 ORSt2hk/0
>>621
水田耕作の技術の伝播は交流だけど、
水田を作り続けたって言うのは交流でもなんでもないよね。

650:名無しさん@九周年
09/03/26 22:39:17 Lb/+J1dm0
>>642
たしかに、字面通りにうけとろうとするクチはまったく信用できないと思うよね。
壱岐の国の一支を一大なんて書き間違えてたりするし

651:名無しさん@九周年
09/03/26 22:48:27 VYXS9vAl0
まあタイプミスは昔からあったのだろう

652:名無しさん@九周年
09/03/26 22:51:59 d12DfogUO
日本書紀においても世界としての倭と一地域国としての倭は分けられている。
前者は「日本」後者は「倭」あるいは「大倭」。
次の続日本紀でも同様で、「大倭国」の表記がまだ使われていた。
奈良盆地を中心とする地域国「やまとのくに」に「大倭国」と当てられたのは、国名、地名を二字の佳字の
表記にまとめた際のもので、更に「大和国」に変わった。

653:名無しさん@九周年
09/03/26 23:01:25 glRWR5DE0
>>417
黒岩重吾

654:名無しさん@九周年
09/03/26 23:34:28 RntQSD4m0
>>513
卑弥呼の宮殿ってこういうの?
URLリンク(www.asahi.com)

昭和53年発掘時の復元イメージらしいけど、
とくに巨大建築というわけではないんだよね。
もう少ししたら大きいのが出てくるかもしれないけど。

ついでだけど、記事本文中の「厳しい財政のため、
市は昨年8月からふるさと納税を活用して寄付を募っており、
全国から46件約40万円が寄せられた。うち半分が関東から。
(中略)邪馬台国は九州説も根強いためか、九州からの寄付はまだないという」
にワラタ


655:名無しさん@九周年
09/03/27 02:32:35 RRDyEK5n0
当時の倭人は全身に刺青をして、海に潜って魚を銛で突いたりしていたそうだ。
大陸系の文化とは全く違う。東南アジアや、もしくは孤立した文化のような匂いが強いんだが。
縄文人も刺青をしていたという話もある。やくざの刺青などもそこに起源があるかもしれない。
日本語も同系統の言語は大陸では見つからない。という事は、意外に日本というのは
縄文文化がそのまま残っている国なんじゃないだろうか。
弥生時代というと、大陸からの渡来人が大量に流入して一気に変わって、邪馬台国なんかも渡来人の
国かのような印象もあるけど。

656:名無しさん@九周年
09/03/27 02:57:11 TxVCBhxzO
今は発掘結果と発掘人骨と稲のDNA鑑定から短期間に渡来人、特に北方系半島人が大量に来たとの見方はされなくなってきている。
いわゆる縄文系人骨の出る弥生遺跡も各地で見つかっていて、縄文時代からの複合遺跡だったりする。
弥生人として有名な山東系も出土は少数。そう、弥生人といわれていたのは北方系半島人ではなく山東系。
縄文系も出自は複数。
長江系や山東系が一部で混血し水田稲作の普及で人口が増加したと見る。

657:名無しさん@九周年
09/03/27 03:07:59 0Doj/KKoO
帯方郡から12000里。不弥国までは地理の記述が詳しくて距離方角がそれほどおかしくない。
不弥国までで10700里。そこから300里に邪馬台国となるが、それは邪馬台国国境だろう。
女王はそのさらに水行十日陸行一月のところ。
不弥国まで詳しい北九州の地理なのは任那人(九州人)に聞いたんだ。
その先が急に曖昧で地理がなくなり日数になるのは、そこからは九州の外で、九州人がよく知らない場所だったからだ。
佐賀吉野ヶ里とかなら、そこまできちんと方位と距離を書かなければ変だ。

658:名無しさん@九周年
09/03/27 03:16:28 PLFPKK6nO
>>657
九州北岸は邪馬台国の勢力下ですよ。

659:名無しさん@九周年
09/03/27 06:26:34 +7kSn+hqO
こういう歴史的建造物なニャース見ると、最後に全焼って文字がついてそうで怖い
不審火おおすぎ

660:名無しさん@九周年
09/03/27 07:19:14 XLDCy5JN0
ある時期には出雲や畿内、吉備、尾張、越、北部九州、南部九州、毛野といった地域に分かれて
数々の連合国家があったのではないでしょうか
そのなかでもっとも大陸に近いところにあったのが邪馬台であったのではないかという感じもします

661:名無しさん@九周年
09/03/27 07:22:25 HclomQ060
古墳って日本中に16万基みつかってるるんだってね。
古墳時代が400年続いたとしても1年あたり400基。
すでにそれだけの権力者と労働者がいたってことで、戸7万とかいうのも
まあ大げさだとは思うけど、それほど極端な数字じゃないのかも?

662:名無しさん@九周年
09/03/27 07:28:06 XLDCy5JN0
南九州の遺跡などを見ると
あるいは狗奴のほうが邪馬台よりも豊かで文化的な国家だったのではないかとも思います
呪術と鉄器を背景に次から次へと他国を侵略していった新興国家
邪馬台はそういう国ではなかったでしょうか、九州北部にあった強大な伊都国連合を配下におさめた邪馬台は
その野心を南の狗奴にむけたとき、この自身よりも強い南方の国家連合によってあっけなく滅ぼされたではという感じもします
ヤマタ(邪馬台)ノオロチの伝説などから、あるいは邪馬台連合の国家群は自分たちを搾取してきた邪馬台の滅亡を喜んだかもしれません
邪馬台という国は滅びつつも、その血脈は何らかのかたちで天皇家につながった
宇佐神宮にまつられている比売大神とは一体誰なのか、非常に興味深いところです


663:名無しさん@九周年
09/03/27 08:03:38 kInVF0IU0
>>655
原文には倭の水人(まあ漁師だな)と書いてあるのに、それを倭人全部にすりかえて

>当時の倭人は全身に刺青をして、海に潜って魚を銛で突いたりしていたそうだ。

なことをいう。典型的な九州説の意図的な誤読。


664:名無しさん@九周年
09/03/27 08:24:12 VXyyR9Pi0
とりあえず、狗奴(クマソ)に邪馬台国連合(九州~近畿)が滅ぼされたという
妄想がどこから出てくるのかわからん

665:名無しさん@九周年
09/03/27 10:21:25 sVeS8Reu0
なんかさあ、吉野ヶ里の方もそうなんだけど、あまりに「邪馬台国」を
前提に論を進め過ぎてる気がするんだけどねえ。
「邪馬台国」に固執し過ぎると、事実関係が捻じ曲げられちゃうと思う。


個人的には「邪馬台国九州説」、「邪馬台国は大和朝廷に滅ぼされた」派。

666:名無しさん@九周年
09/03/27 10:30:35 r++hBdO1P
畿内説ありえねー
畿内説と言い争っても平行線なんで九州説達で話し合おうぜ、
まず九州のどこを邪馬台国とするか、だ。
だれかスレたてよろしく

667:名無しさん@九周年
09/03/27 10:33:24 x+QCRthB0
>>11
>ゴッドハンド
検証本読んだらゴッドハンド自身の罪はそれほど重くはないな。
A級戦犯はそういった体質の学会。

668:名無しさん@九周年
09/03/27 10:39:43 NnfIL9yp0
九州説のほうがありえねーよ

669:名無しさん@九周年
09/03/27 10:43:24 p9LFBM8G0
>>666
こちらへどうぞ。
まさに九州説を議論検討するためのスレ

【佐賀】邪馬台国を考える会(仮称)4月に発足 畿内説との討論などを交えながら吉野ケ里遺跡が邪馬台国であったことを究明★2
スレリンク(newsplus板)

670:名無しさん@九周年
09/03/27 10:43:58 nwbFSHbX0
>>666
>畿内説と言い争っても平行線なんで九州説達で話し合おうぜ、
>まず九州のどこを邪馬台国とするか、だ。

日本史板で何度もこういうすれは立ってるけど、
つづかないんだ。

自称九州説の大半は畿内説をこき下ろすこと以外には興味がないから。


671:名無しさん@九周年
09/03/27 10:46:32 r++hBdO1P
そもそもなんで末盧国(唐津)→伊都国(前原)→奴国(福岡) って北東に進むの?
東南なら松浦川を上って筑後川下流(筑紫平野)に出て、
さらに100で佐賀市とか神崎市とか大川市じゃねーの?
URLリンク(maps.google.co.jp)

672:名無しさん@九周年
09/03/27 10:50:30 6nVu96b/0
狗奴をクマソと解釈するのが間違っている。
狗奴って、どうみても、クマソなんて読めないよ。
魏志倭人伝が書かれた年代は中古音だ。

最初のほうに登場する奴国は西暦57年(上古音)の時代には
中国側に知られていた国だから、上古音の時代につけられた漢字名が
中国側で有名になっていて、そのまま中古音の時代にも引き継がれたかもしれないが、

狗奴国は倭人伝の文脈から言って、邪馬台国の隣国で
中国側には有名ではなかった国ぽいので、中古音の時代に知られた国だろう?
だから、狗奴は「コノ」と読まないといけない。

だから、狗奴をクマソなんて解釈してはいけない。

673:名無しさん@九周年
09/03/27 10:58:29 XCDMDM4Z0
実際に魏志倭人伝の航路を、当事の船を再現して実験航海した人たちが居て、
かっての帯方郡(今の仁川港)から奴国(今の博多)、までを47日かかって航海した、らしい。

帯方郡(今の仁川港)から博多までの距離が、水行47日。
季節や海流や熟練した船乗りの腕など条件を整えれば、もしかしたらもう少し短縮するかも?

674:名無しさん@九周年
09/03/27 10:59:28 r++hBdO1P
あともう一つ言わせてくれ。
北九州説じゃなくて北部九州説っていってくれ、
北九州だと北九州市になってしまうんだよ、それではキタキューなんだよ!

675:名無しさん@九周年
09/03/27 11:00:04 p9LFBM8G0
>>672
奴国は「ノ」国?

676:名無しさん@九周年
09/03/27 11:00:53 T5iDSEQN0
>>662
たとえば神聖ローマ帝国の皇帝にハプスブルクが選ばれた理由は、
弱小だったから。有力者同士が牽制しあった結果、とりあえずこいつで良いか的に
祭り上げられた。邪馬台国も九州説の場合は、単体では弱小国で、他の有力者たちの
傀儡だったかも。

677:名無しさん@九周年
09/03/27 11:01:21 VXyyR9Pi0
>>672
倭人伝に狗奴国は奴国の南って書いてあるからそう考えると
熊本方面としか思えない

678:名無しさん@九周年
09/03/27 11:09:10 NnfIL9yp0
>>677
邪馬台国の辺境(最南端?)にあった奴国と
女王国への経路の途上にあって福岡付近にあったと推定される奴国が
同一の国とは限らんだろ

679:名無しさん@九周年
09/03/27 11:11:53 XCDMDM4Z0
>>678
奴国は二回出てくるよ

680:名無しさん@九周年
09/03/27 11:15:14 NnfIL9yp0
>>679
そう。
だから普通に解釈すると二つの奴国があるんじゃないの。

681:名無しさん@九周年
09/03/27 11:20:33 VXyyR9Pi0
そもそも、北九州~近畿東海が勢力範囲の邪馬台国連合がクマソと
争っていても何ら不思議はないだろ

682:名無しさん@九周年
09/03/27 11:28:40 PLFPKK6nO
>>676
少女卑弥呼を共立したら大乱が収まり、
卑弥呼亡きあと男王が立つも再び荒れ、
代えて台与(13♀)を立てたら、あっさり収まる。

明らかに萌え歴史です。

683:名無しさん@九周年
09/03/27 11:47:28 T5iDSEQN0
>>682
卑弥呼ってババアじゃなかったっけ?と思っwikiってみたら
>既に年長大であったが夫を持たず(年已長大 無夫壻)、
>弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある(有男弟佐治國)
ショタですね。推定するに18~20歳くらいで女王になったのか?

>少女卑弥呼を共立したら大乱が収まり、
卑弥呼が女王になったから収まったんじゃなくて、卑弥呼を擁立する
ことで収めたんだよ。

684:名無しさん@九周年
09/03/27 11:48:54 RRDyEK5n0
>>663
URLリンク(homepage1.nifty.com)
漁師だけが刺青をしている、とは書いてないぞ。男は全員、と書いてある。

685:名無しさん@九周年
09/03/27 11:49:54 K7LfeMVv0

トヨタン・・・・・・・・・・


686:名無しさん@九周年
09/03/27 11:55:07 pHFWP+e50
男王のときにこさえちまった後宮は
女王のあいだはどうすんだろな?

687:名無しさん@九周年
09/03/27 12:07:25 aWNb2mZS0
>>672
「熊襲」というのはヤマトに従わない「クマ」と「ソ」を一括した呼称といわれてる。
「クマ」は熊本や球磨郡エリア、「ソ」は大隅半島の曽於郡のエリア。


688:三河農士 ◆fZjiKO5lZ2
09/03/27 12:18:57 Pgi3q7z7O
邪馬台国なんて支那の史家が伝聞で書いた資料に惑わされてないで
大和朝廷初期の遺跡として検証しろよ。
纏向は第十代崇神天皇から第十二代景行天皇までが都を置いた地域だ。
日本武尊だって纏向で生まれたんだぞ。
卑弥呼と比定されている倭迹迹日百襲媛命は第七代考霊天皇の皇女で
桃太郎こと大吉備津彦命の実姉だ。
ここから宮殿跡が出たという事は記紀の記述の信憑性が増したという事ではないか。

689:名無しさん@九周年
09/03/27 12:23:39 PLFPKK6nO
>>683
統治開始が180年前後で亡くなったのが248年頃とすれば、20歳は越えないようにみえます。

>>684
一説に水稲耕作を列島へ持ち込んだとされる苗族は刺青の文化を持たなかったそうです。

690:三河農士 ◆fZjiKO5lZ2
09/03/27 12:28:23 Pgi3q7z7O
>>689
卑弥呼が同一人物を指す固有名刺ならね。

691:名無しさん@九周年
09/03/27 12:40:15 T5iDSEQN0
>>688
邪馬台国ってことにしなきゃ金が集まらないんだよ。
2chのスレだって、スレタイに「邪馬台国」ってあれば大入りになるのに
纒向だけだと閑古鳥。

692:名無しさん@九周年
09/03/27 12:45:35 /bCPmrbL0
>>689
そこまで言い切った説はないのでは。苗族そのものではなく同源の文化を共有している可能性があるだけだ。
大陸系の歴史は融合よりすげ替えが多い、つまり元はちりじりになるか滅んでる可能性が高い。

693:名無しさん@九周年
09/03/27 12:49:30 TxVCBhxzO
長江には銅鼓をシンボルとする船上生活の部族が古代にいたが消息不明。
一部は陸に上がり今にいたる。舟形の棺を崖に吊す風習あり。
こういうのが渡ってきた可能性もある。
長江辺りからは複数の集団が時期違いで渡来して、刺墨を入れる海人もいたのだろう。

694:名無しさん@九周年
09/03/27 12:53:48 /bCPmrbL0
刺青はもっともーっと古いから同時期と考える方が不自然。

695:名無しさん@九周年
09/03/27 12:54:18 pHFWP+e50
>>688
崇神天皇の頃から大発展したらしいとする
古事記日本書紀研究と一致するんだよな。

卑弥呼は崇神天皇と同世代。倭迹迹日百襲媛命は時期が違う。

696:名無しさん@九周年
09/03/27 13:03:03 aWNb2mZS0
>>695
崇神天皇と倭迹迹日百襲媛命は同世代だよ。
倭迹迹日百襲媛命の方がかなり年上だったとは思うけどね。
崇神天皇に頼まれて神がかりをして神託を受けてる。


697:名無しさん@九周年
09/03/27 13:06:05 d+JHSCb/O
ちなみに九州説を唱えてる学者は遺構より思想を優先しています


698:名無しさん@九周年
09/03/27 13:06:14 pHFWP+e50
>かなり年上だった

それを「世代が違う」という。
2世代くらいの差がある。

699:名無しさん@九周年
09/03/27 13:09:53 aWNb2mZS0
>>698
2000年の話で歳の上下で顔をあわした差なんて
同世代でいいんじゃないw


700:名無しさん@九周年
09/03/27 13:11:34 PLFPKK6nO
>>692
うんまあ、クリカラもんもんの集団もいれば、カタギの人たちもいたってことで。

701:名無しさん@九周年
09/03/27 13:15:28 4SKnjt2RO
これは見に行きたいな

702:名無しさん@九周年
09/03/27 13:22:30 094CL2yo0
>>700
だから倭人伝に書かれてるのは宮崎の風俗だって言ってるんだよ
古来から隼人(海人)とヤマト族がガンガン交流していたのは
宮崎ぐらいしかない

703:名無しさん@九周年
09/03/27 13:42:56 6nVu96b/0
今回の纏向遺跡の研究の成果は
リアルタイムに近い年代で書かれた中国の魏志倭人伝と
それよりも、もっと詳細に書かれているが、書かれた年代がずっと後だった
日本書紀や古事記の記述内容が
はじめて一致する出来事なわけで。

704:名無しさん@九周年
09/03/27 13:45:13 6nVu96b/0
>>696
ヤマトトトヒモモソ媛命は、崇神紀に登場する。
系図のとおり、崇神天皇が、大叔母様のモモソ媛命の占いをきいて
意思決定している、日本書紀によると。
だから、崇神紀の時点では、かなりの老女と思われ
皇室の長老的な存在だったことも分かる。

705:名無しさん@九周年
09/03/27 14:21:44 094CL2yo0
>>703
そうだね
いろんなことがすっきりするし
だからモモソヒメ=卑弥呼説には説得力がある

あとはマキムクと同じくらいの年代だと言われる宮崎との関係がわかれば
かなりはっきり日本古代史が見えてくる

706:名無しさん@九周年
09/03/27 14:22:56 ZzDu+XB40
>>703
景初の頃、日本書紀では誰が天皇だったの?

707:名無しさん@九周年
09/03/27 14:26:24 L87eQvjS0
年表にすると、だいたいこんな感じか。(年齢は半年=1年で計算)

146年  倭国大乱 (~189年?)
148年  考霊天皇 即位?
175年? 倭迹迹日百襲媛命がこの辺りで生まれる
186年  考霊天皇 崩御
189年? 倭迹迹日百襲媛命が女王になる?

239年  親魏倭王の金印を与えられる
245年  崇神天皇 即位?
246年  倭迹迹日百襲媛命、三輪山を祀る
248年  倭迹迹日百襲媛命 死去
      後継者争いが起きる?
249年? 豊鍬入姫命が祭祀となる
279年  崇神天皇 崩御
291年  倭姫命が祭祀に。伊勢神宮創建。




708:名無しさん@九周年
09/03/27 14:29:07 Oz1mJTqP0
>704
つまり、ホトをついたときは、かなり乾いていたわけだな…

709:名無しさん@九周年
09/03/27 14:52:41 eODjnyx20
>>543
> そして2世紀代から3世紀初頭あたりには吉備やら出雲やら丹後やらに
> それぞれ強大な王権が存在していたものが、3世紀になると大和・巻向に集約されはじめ、
> 3世紀代のうちに各地の王権は終焉を向かえ大和に一元化される。
> これが大和朝廷だろうとは誰しも思うし、これはもう動かない。

吉備は四世紀以降が確実。
丹後も四道将軍を実話と考えない限り、四世紀前半以降。
畿内説でも五世紀以前に畿内を大和が掌握していたと考える人は少なくなってきた。


710:名無しさん@九周年
09/03/27 14:55:27 eODjnyx20
>>601
庄内式が出るのがほぼ太田地区だけなので、
巻向遺跡の最初は太田微高地と考えられている。
布留式がよく出る範囲がまだ広がると考える人は少ない。

711:名無しさん@九周年
09/03/27 15:02:16 6nVu96b/0
>>707
崇神天皇の娘の豊鍬入姫命=トヨが13歳(実際は7歳?)で継承したと考えたら
まあ、崇神天皇が西暦248年時点で25歳~30歳くらいと計算し、
崇神天皇は西暦220年代の産まれの可能性がある。
だとしたら、この時代は結婚が早いだろうし、
叔父と姪の結婚もあったぐらいだから、おそらく、親子の歳の差が小さかったと思われ。
つーことは、開化天皇は西暦200~210年の間くらいの生まれと考えられ
孝元天皇は西暦180年代後半~190年代の生まれ
孝霊天応は西暦160年代後半~西暦170年代の生まれということになる。

こういうふうに考えると、倭国大乱の初期である西暦150年代の天皇は
第5代目の神武皇統の孝昭天皇ぐらいからじゃないの?
この天皇は婚姻関係も意味深で、
火明命の後胤であり、尾張氏の先祖に当たる、天忍男命の娘と結婚している。
つまり、彼が祭祀王の座を尾張氏から奪う動機が生まれやすい人物なんだわな。

また、後世、天皇につけた名前も
この孝昭天皇から孝元天皇(ヤマトトトヒモモソ媛命の兄妹)までの
四代の天皇に、たてつづけに「孝」という名称がついているのが意味深だわな。
この4代の天皇の時期が、倭国大乱の時期じゃないの?

712:名無しさん@九周年
09/03/27 15:05:45 6nVu96b/0
>>709
そんなことはない。以上です。
邪馬台国畿内説だと、
纏向遺跡では、九州から関東まで広域圏をつくっていたわけだから。
その四世紀というのは、埴輪のことでしょう?


713:名無しさん@九周年
09/03/27 15:09:18 eODjnyx20
>>712
小林行雄の亡霊かよ。
近江でさえ、五世紀六世紀にならないと、
大きな前方後円墳は作られないんだが?

> 纏向遺跡では、九州から関東まで広域圏をつくっていたわけだから。

庄内式、布留式は、尾張でさえまともに出たことないよ。


714:名無しさん@九周年
09/03/27 15:21:31 Go+HEn1H0
昔はアマチュアレベルでは九州説一色だったんだよね。
でも90年代に年輪年代学が実用されてから、
邪馬台国時代にすでに箸墓などの古墳が造られていたことがほぼ確実となり、
235~244年の紀年鏡が畿内を中心に出土することも証拠となり、
学界レベルでは「九州説は終わったw」にきまってるんだよ。
このスレでも九州説は相変わらず「こう読めば魏志に矛盾がない」といった主観的な謎解きに終始するばかりで、
何の説得力もない。
しょうがないから都合の悪い出土物を後世の偽作と決めつけたり
挙げ句の果ては光谷氏への個人中傷に走る始末だ。
もはや九州説論者は犯罪的と言ってもいい。


715:名無しさん@九周年
09/03/27 15:28:35 m0iEqpoPP
おい、専門的な言葉で議論されても素人の俺にはさっぱりわかんねーから
ガンダムか三国志に例えて説明してくれ

716:名無しさん@九周年
09/03/27 15:30:25 WOcZ++If0
箸墓古墳掘るまで信用しない

717:名無しさん@九周年
09/03/27 15:38:40 Go+HEn1H0
安本美点も結局は記紀神話の自己流の解釈に終わったよな。
彼のやり方は真理の解明には何の役にも立たなかったって事。

718:名無しさん@九周年
09/03/27 15:40:12 GeaUPbnr0
モモソヒメが陰を突いて亡くなったという件は天岩戸神話とちょっと被るかな?
古事記ではあまり触れられてませんね。


719:名無しさん@九周年
09/03/27 15:44:12 anpKyZz50
>>717
決定的な証拠はどこにも無いのだから、それなりの論拠を積み重ねていけば幾らでも仮説は作れるよ
そうした仮説の山の中で、いろいろと否定を繰り返す論争を続けて否定できなくなった最後の一つが定説になるのだ
仮説そのものを否定する事は出来ないよ

まあ。しばしば新たな証拠が出て定説が覆る事もあるから、それも絶対ではないのだが

720:名無しさん@九周年
09/03/27 15:47:34 anpKyZz50
>>718
あそこを櫛で貫いたくらいでは人は死なない。
当時、女性のあそこは、女性の生命そのものだと考えられ、男性のあそこと共に神聖視すらされていた
だからこそ、そういう神話が出来たのだ。

モモソヒメの死の理由はどうあれ、彼女の墓とされる箸墓は、当時最大規模の墓だ。
彼女が崇神天皇の姉というだけではなく、何か特別な力をもった姫巫女であったのは誰も否定は出来ないだろう
考古学で重要なのはその点ですね

721:名無しさん@九周年
09/03/27 15:53:38 FgEN+How0
霊視できるひとも奈良って言ってたなぁ

722:名無しさん@九周年
09/03/27 15:54:47 Go+HEn1H0
>>717
安本は「猫も杓子も」を「禰子も釈氏も」の意味であるとする(証拠のない)考え方を、
言語学で言う「語源俗解」として、学者としてやってはいけないことの例としてあげている。
でも皮肉なことに、安本が記紀神話でやったことも、紛れもない「語源俗解」の歴史学バージョンなんだよなw
まあ、これを「神話の合理的解釈」というんだが、たとえば「国うみ神話」を「国土開拓の事実を反映させた」とする解釈である。
これは神話学じゃやっちゃいけないことの筆頭なのに、安本はやっちゃってるんだw
たとえばアマテラスとスサノヲの喧嘩を邪馬台国と狗奴国の戦争の「反映」としたりねw
正直こんな解釈が許されるなら、もうなんでもありなのよw
実際、邪馬台国が畿内だったとしても、それに「合わせて」記紀神話を「解釈」することはいくらでも可能だし、
すでに一部のアマチュアがやってるよなw
要は、こんなやりかたは決して真実の解明に役に立たないと言うこと。

723:名無しさん@九周年
09/03/27 16:19:57 GeaUPbnr0
>>720
勉強になりました。


724:名無しさん@九周年
09/03/27 16:30:11 Oz1mJTqP0
>720
櫛?箸じゃなくて?

725:名無しさん@九周年
09/03/27 16:38:37 DuCc9HMm0
>>720
バイ菌入って感染症起こしたら死ぬやろ

726:名無しさん@九周年
09/03/27 16:38:39 o4S9gV1B0
>>715
ボルジャーノンは見つかったけど・・・

いや、例えが違うな

727:名無しさん@九周年
09/03/27 18:50:13 1S9HIwHG0

心理学者ユング流にいえば 火の玉の神に変容した 中山国交大臣の予言

「民主党が政権とれば、日教組、自治労の支援を受けているので日本が大阪府みたいになる」
スレリンク(wildplus板)

屠殺場といえないMBS毎日変態放送の平松・大阪市長 なんにもいえね
独島 みのもんたの朝ズバッ!  朝5時30分からプロパガンダ
またこりずに坂本弁護士親子を惨殺したワイドショーの復活

火の玉ボーイ 中山国交大臣に 気色ばむ与良正男 - 毎日変態新聞論説委員

立正佼成会カルトの酋長 庭野日鑛(にわの・にちこう)会長を国会証人喚問へ

質問 1立正佼成会大聖堂(東京都杉並区)を白真勲の政治活動につかったの?
    2官ガンスの政治活動に宗教施設を貸したことが」あるの?

一方で戦後急激に拡大した教勢に対しマスコミの耳目を集めることになり、
1956年に読売新聞が本部用地の取得にあたって不正が行われたと報道。
庭野が国会に召喚され事態を説明するに至っている。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

立正佼成会カルト 庭野日鑛(にわの・にちこう)会長証人喚問へ
URLリンク(www.kosei-kai.or.jp)

プラズマ (
堂本暁子千葉県知事やアイ


728:名無しさん@九周年
09/03/27 23:03:30 W8Nx8QtEO
>>720
普通の箸じゃなくて囲炉裏をつつく棒みたいなもんじゃなかったのかな。
まぁ普通に殺人。
アマテラスバージョンは機織り機の男根みたいなヤツだったっけ?
痛そう…………………

729:名無しさん@九周年
09/03/27 23:29:49 S/a7ww2f0
>>707
>>707
その「146年  倭国大乱 (~189年?)」で天皇家は無事だったのかなw
ちっとも「大乱」ではないなw

730:名無しさん@九周年
09/03/27 23:58:47 6A7XE/3y0
>>729
自分は>>707の年代はちと無理だと思う。


731:名無しさん@九周年
09/03/28 02:00:08 1ccIDigu0
ただまあ
ここが卑弥呼の宮殿なら
崇神天皇の都だったことはほぼ確実で
その後の景行天皇の九州平定なども
史実と考えられるわな

732:名無しさん@九周年
09/03/28 02:13:26 lmfZ68/b0
邪馬台国はかつては九州にあって、東遷し大和になったのかもしれない。

けど、卑弥呼がいた場所こそみんな知りたいわけだから、
卑弥呼以前以後の邪馬台国の場所は核心でない。

733:名無しさん@九周年
09/03/28 02:23:55 F9r9zW/u0
日本書紀ですら魏志を引用するしか手立てがなかったんだし
根拠としている資料は現在と大して変わらん
8世紀でさえ史実や伝承もほとんどなかったのだろう
邪馬台国(ヤマタイコク)や卑弥呼(ヒミコ)の実在を証明することなど不可能だよ・・・

734:"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q
09/03/28 02:57:40 xBLPjXei0
古代日本を勉強するオヌヌメの本は何じゃろか?

735:名無しさん@九周年
09/03/28 04:08:55 CuQmiXhD0
>>734
ふつうだけど、
各社で出してる「日本の歴史」などのシリーズ物とか
概説書から読んだほうがいいと思う。
新しいのがたくさん出てるから。

このスレに沿っていうなら…

邪馬台国の候補地・纒向遺跡 シリーズ「遺跡を学ぶ」051
(石野博信、新泉社、2008年)
URLリンク(www.7andy.jp)

最初の巨大古墳・箸墓古墳 シリーズ「遺跡を学ぶ」035
(清水眞一、新泉社、2007年)
URLリンク(www.7andy.jp)

ヤマトの王墓・桜井茶臼山古墳・メスリ山古墳 シリーズ「遺跡を学ぶ」049
(千賀久、新泉社、2008年)
URLリンク(www.7andy.jp)

上に挙げたの三冊は薄くて安い本だけれど
オールカラー図版で非常に分かりやすく書いてあるし
最新の研究結果が載せられてる。

736:名無しさん@九周年
09/03/28 04:35:48 jmVGVDnh0
なるほど

737:"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q
09/03/28 04:36:15 xBLPjXei0
>>735
探してみるっス。

738:名無しさん@九周年
09/03/28 04:59:02 r5E+P5f90
>>735
>最初の巨大古墳・箸墓古墳
>清水眞一

俺も持っているがその先生今じゃ九州説に立っているんだよなw

纏向を実際に発掘した人間なんだし九州説にとっては貴重な戦力かな?wwww


739:名無しさん@九周年
09/03/28 05:29:21 CuQmiXhD0
そうなんだ。

清水氏は箸墓は魏志の記述から卑弥呼の墓ではないという立場だったね。

740:名無しさん@九周年
09/03/28 05:33:23 r5E+P5f90
>>739
ここ見てみそ。

URLリンク(www2.saga-s.co.jp)

まあ九州説の学者の泣き言も見られるからwwwwwwww

741:名無しさん@九周年
09/03/28 05:36:51 R0xmNxzb0
卑弥呼リンクで話題とお金を引っ張るのか

卑弥呼なんて一か所と1時代だけだろ
なんで全部卑弥呼関連だよwwww

742:名無しさん@九周年
09/03/28 05:37:33 xD5TvK23O
やっぱり畿内なのかぁ~

743:名無しさん@九周年
09/03/28 05:41:46 UqO3cDb10
なんだおめーらその真面目さは、他所で使え!

744:名無しさん@九周年
09/03/28 05:45:33 nDiY1EEPO
便乗でおいらも教えてもらえないでしょうか?

アマテラスとかニニギノミコトとか天の岩戸とか、
その辺の神話を勉強するにあたって入門できる本を教えてくださいm(__)m

できるだけ、真面目な(?)ものが良いのですが…。
例えば天皇家や当時の権力にどう繋がっていく(事実はともかく)のか
把握できるような。

このスレの方々なら詳しそうなので、
何卒お願いします(´・ω・`)

745:名無しさん@九周年
09/03/28 05:48:22 kdUoCagGO
>>740
 であれば、その次の古墳時代に入って、纏向の地に100メートル以上もの巨大古墳が、なぜ突如として築造されるのか。これは、大和の地に別の地域の人々が入って来たと考えざるを得ない状況であるとみた。
 では、誰が何処からきたのか? 考古学の資料からは、特定の地域が限定できない。となれば、卑弥呼の邪馬台国は、北部九州のどこかではないかと思われる。


結論が強引すぎでワロタww
まず結論ありきww

746:名無しさん@九周年
09/03/28 05:53:50 kdUoCagGO
あと
>>740

今、九州内外を問わず著名な考古学者はほとんど畿内説である。考古学の世界では畿内説が九州説を圧倒している。しかし…

↑認めてはいるんだ

747:名無しさん@九周年
09/03/28 05:54:23 SbxpaaFT0
たどり着くまでの航程がおかしいのって、意図的に遠回りして
正確な場所を特定できないようにしたからじゃないの?

そもそも統一国家でもなかったんだし、敵対勢力下を避けて
より安全なルートを選んで進めば、結果的に時間もかかるわ
道順も滅茶苦茶になるだろう。

748:名無しさん@九周年
09/03/28 05:58:57 uhnG6hz/O
ヒミカ

749:名無しさん@九周年
09/03/28 05:59:51 SbxpaaFT0
魏志倭人伝での位置表記に疑問を呈しているのって、
全部最短コースを辿った場合に合わないってだけだよね?

いつも疑問に思ってた。
なんで最短ルートを選ぶんだろうか? とか。
当時の日本人は侵略される脅威とか考えなかったのか? とか。

遠回りして同じ場所をグルグル回って正確な位置をわからないようにさせて
邑を守ったと考えるのも有りだと思うんだが。

750:名無しさん@九周年
09/03/28 06:00:08 CuQmiXhD0
>>740
安本氏や高島氏は常連だね。
七田さんという人は「古墳文化にひきずられないで」とか言ってるが
古墳を無視するわけにはいかないと思うけどな。
吉野ヶ里に関わってる人じゃ仕方ないか。
つか清水さんの論もずいぶんな飛躍があるような。

纒向に突如巨大古墳出現
     ↓
外部勢力がヤマトに入ってきた?
     ↓
考古学的資料からはどこからか特定できない
(普通はここでひとやすみ)
     ↓
     ↓
卑弥呼の邪馬台国は北九州のどこかだ(゚∀゚)!

751:名無しさん@九周年
09/03/28 06:05:55 r5E+P5f90
まあ清水氏の場合、邪馬台国をそれこそ弥生前記中期から続くような環濠集落が巨大化したモノ
…ってイメージで捉えているんだろうか?

もしそうなら畿内(纏向)説は無理で九州説にならざるを得ないとは思う。
もうそれは最初から前提条件が違うから仕方が無い…

しかし良く分からないのは、なんで巨大古墳造営の要因を九州勢力の流入に求めるのか?

考古学者なら九州に前方後円墳に繋がるような埋葬文化の無いことは分かるだろうに…。

吉備や出雲ならまだしもwwwwwwwww



752:名無しさん@九周年
09/03/28 06:36:23 CuQmiXhD0
>>715
ジオン公国(九州説)が地球連邦政府(畿内説)に宣戦布告。
画期的兵器モビルスーツ(邪馬台国東遷説、吉野ヶ里遺跡など)により
連邦軍を圧倒し、またたくまに地球圏を制圧。
しかし連邦もレビル将軍主導による新型モビルスーツの開発
(纒向遺跡、新しい土器の編年、年輪年代法)により
徐々に劣勢をもりかえしついに地球からジオン軍を駆逐し、戦局を逆転させる。
いまはア・バオア・クーまで追い詰められている状況。


本当はジオンのほうが好きなんだけどな…

753:名無しさん@九周年
09/03/28 08:05:01 Urw5djYu0
ジオンのほうがかっこいい!
ザクは強いけど、GMなんて弱っちくて最低じゃないか!




754:名無しさん@九周年
09/03/28 08:29:39 CuQmiXhD0
>>744
鈴木三重吉の『古事記物語』はどうでしょう。
児童向けとはいえ大正時代から読み継がれるクオリティ。

>>753
いやいや、ジムスナイパーカスタムなんかは渋くて玄人好みだとry

755:名無しさん@九周年
09/03/28 08:34:21 1ccIDigu0
児童向けの本は
ヤマトタケルの凶暴さとかが伝わらんけどな

756:名無しさん@九周年
09/03/28 08:39:26 cOH8IDT40
古典はとりあえず岩波文庫。それから色々おもしろ解釈本読むといいのでは。

757:名無しさん@九周年
09/03/28 08:53:11 kdUoCagGO
邪馬台国はまちがいなく四国にあった: 大杉博著
をまずは読むべきだろ

758:名無しさん@九周年
09/03/28 08:55:09 n+GOlT//0
これが見つかったら邪馬台国

みたいな、決定的なものってあるのか?
結局証明不可能なんじゃないのかな。

759:名無しさん@九周年
09/03/28 08:59:13 AvxkaBbc0
>>758
どっちもやまと国でいいじゃん
どうせ首都機能が移転しただけだろ

760:名無しさん@九周年
09/03/28 10:12:21 11RT8E2aO
>>758
数学じゃないのだから証明は無理ですね。

761:名無しさん@九周年
09/03/28 11:22:26 MrH/MBXU0
卑弥呼がヤマトトトヒモモソ媛命ならば
ヤマト王朝の全国統一ってスンナリいかなかったんだな...
統一しても、すぐに地方が独立化
で、また平定しても、また反抗。
それの繰り返し。

中世に足利尊氏が中央政府を作っても
地方の大大名(山名氏清、大内義弘、足利持氏など)などが
足利幕府と戦争していたように。

762:名無しさん@九周年
09/03/28 12:14:31 yH9dxQUn0
>>744
口語訳 古事記―神代篇 (文春文庫) 三浦 佑之 (著)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
口語訳 古事記―人代篇 (文春文庫) 三浦 佑之 (著)
URLリンク(www.amazon.co.jp)
著者は国語学者だったかな。


763:名無しさん@九周年
09/03/28 14:08:48 GCVkYQqa0
>>758
『親魏倭王』の金印の埋まった古墳。

764:名無しさん@九周年
09/03/28 14:21:53 Ghw0i0d40
九州論者は九州説を言い続けないと、立場と研究職と金づるを失うんだよ。
生きていくためには言い続けないといけない。仮に畿内で確定しても、
「それでも私は~」って言い続けるよ。

765:名無しさん@九周年
09/03/28 14:32:55 92PDTsig0
>>763
それもダメだな。
機内で見つかったら、邪馬台の変遷の証拠だ、神武東征の証拠だ!!
と九州説が騒ぎだす。
持ち運びができるものは不可。
最低でも好太王の碑文、稲荷山の金文程度じゃないと無理。

766:名無しさん@九周年
09/03/28 14:46:03 UKSTB2Qk0
邪馬台国畿内説の学者さんは
漢字の遺物の発掘を推測しているらしい。
まあ、普通に中国と外交していたわけだから
漢字を知らないと駄目でしょうと。
あと、倭人伝では戸数まで記されているわけだし


767:"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q
09/03/28 14:59:02 xBLPjXei0
>>762
俺、それ読んだけどちょっと解釈が恣意的過ぎるところがある。
フラットな視点に立てない点で入門書としてはイマイチだろ。

768:名無しさん@九周年
09/03/28 15:38:26 Ghw0i0d40
>>767
イマイチどころか、完全に著者のファンタジーだと思うけど。
発売当時、研究者の間ではボロカスに言われてた。
なんで今さらこれを進めるのか、そっちの方が恣意的。

769:名無しさん@九周年
09/03/28 16:04:28 yH9dxQUn0
>発売当時、研究者の間ではボロカスに言われてた。
そうなんですか。そこまでは知らなかった。
畿内説に立ってる注釈はありました。


770:名無しさん@九周年
09/03/28 17:23:21 dnILrPIM0
あれだな。魏志は「東至投馬国」と書くべき所を写本の過程で、隣の行にひかれて
「南至投馬国」と書いたのだろう。
この一文字を訂正するだけで、投馬国=出雲 邪馬台国=大和
句奴国=クマソ 東海渡倭種の国=東海地方とすべてが説けてしまう。
晋書に邪馬台国を東倭と表現してることからしても、これが真相だろう。

771:名無しさん@九周年
09/03/28 18:04:56 2dyUe7ak0
>>770
狗奴国は、許乃(コノ)国で、武埴安彦命だろう?
結局、当時の中国人は、北九州は近いのである程度、詳しかったが
近畿地方の地理間は、凄く曖昧だったんだろう?

772:名無しさん@九周年
09/03/28 19:20:23 r5E+P5f90
>>752
物語は最終局面。
ザビ家のキシリアとギレンの骨肉の争い。

古田と安本どちらが先に逝くか?w

「ふふふっ、先生もお甘いようで」
ドン!

773:名無しさん@九周年
09/03/28 19:36:23 riAFv6GqO
>>766
魏の文書が出ると面白いな
邪馬台国の外交担当は漢字を読み書きできたはず

あと、邪馬台国と半島の関係も興味深い。
半島から文物が出ることはないんだろうか

774:名無しさん@九周年
09/03/28 20:24:02 Urw5djYu0
可能性はほとんど無いのかもしれませんが
呉の文書が出てくれば面白いでしょうね
邪馬台は魏に使者を送ったタイミングから見てある程度大陸情勢に通じていたように思われます
呉にも使者を送っていた可能性、そうでなくとも
狗奴が呉に使者を送っていた可能性は充分にありそうにも思うのですが

775:名無しさん@九周年
09/03/28 20:31:36 OK+0YdXz0
>>774
おおお
おれも同じこと考えてた。
呉の職人が畿内にいた可能性はあるし
国交というか人的交流はあったように思う。
クナのようなアンチ邪馬台国の勢力が
交流していた可能性もある。

しかし呉の史書が出てくる可能性は
実際どうなんだろ。

776:名無しさん@九周年
09/03/28 20:35:10 lW1SHh3k0
最近はそもそも邪馬台国なんてなかった説が最有力だよね

777:名無しさん@九周年
09/03/28 21:02:23 KpUc6o1U0
山一證券国

778:名無しさん@九周年
09/03/28 21:04:44 gEUQCYDe0
「邪馬台国」「卑弥呼」なんて魏志倭人伝の中でたった一単語出てきてるだけなんだろ?
どうせそれすら伝言ゲームだろうし。
何でも言ったもん勝ちだよ。


779:名無しさん@九周年
09/03/28 21:07:10 PwprwMqj0
でもやっぱり邪馬台国までの行程が暗号のようにわかりづらく書いてあるところが想像力を書き立てるよね

780:名無しさん@九周年
09/03/28 21:08:37 OK+0YdXz0
まさかおれ達が読んで悩んでるとは
思ってなかったろうよ。

781:名無しさん@九周年
09/03/28 21:13:15 3q1K7iuu0
まぁ、現代に数年前のコピペの元ネタ探すだけでも一苦労だし分からんものだって沢山あるんだ。
いわんや2000年前をや。


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