【考古学】卑弥呼宮殿の一角か 特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡★2at NEWSPLUS
【考古学】卑弥呼宮殿の一角か 特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡★2 - 暇つぶし2ch100:名無しさん@九周年
09/03/24 05:42:23 +lWjgjXS0
>>96
あなたの主張はわかったから
「縄文遺跡のほぞ穴と古代建築の連続性」について
なんか論文を教えてください。

101:名無しさん@九周年
09/03/24 05:44:01 EZHZnigX0
>>87
>音読みを当てるんじゃねえの
そんなことはない。飛鳥時代に渡来したロバにも「うさぎうま」の訓がある。

>実物の象をしらないのだから
象は麒麟・獅子・バクなんかと同じで霊獣の類と考えられていたんだよ。

102:名無しさん@九周年
09/03/24 05:44:39 5KOkCoI50
>>95
どれもかっこいいです!

103:名無しさん@九周年
09/03/24 05:46:42 9tI0Hc/R0
特集番組みたいけど、どの民放がやっても反日捏造しそう。
力をもったまとなマスコミがないことは悲劇だ。

104:名無しさん@九周年
09/03/24 05:47:23 FNhs84iFO
箸墓の百襲姫が卑弥呼だとすると、大物主との関係はどうなる?
単に神と巫女という関係なのか、それとも婚姻関係があったのか?
出雲族を大和に完全に吸収する為の政略結婚の一つなのか?
そういえば、神武妃の五十鈴姫も大物主の出雲族なわけで・・。

その後、大物主の子孫の大神(おおみわ)氏は天皇家の側近を務めたが、
三輪高市麻呂の失脚以降は藤原氏の勢力に圧され影が薄くなる。

その大神氏の一族が大神(おおが)氏として九州にかなり広がっている。
宇佐八幡を創ったのが大神比義。緒方三郎惟栄は本姓は大神惟栄 。
と考えると、大和と出雲そして九州勢力にも絡む大神氏が気になる。

余談だが、諏訪氏も元は神(みわ)氏だという。
大物主の子孫の一つが加茂氏だが、徳川家康には加茂氏説があるね。

105:名無しさん@九周年
09/03/24 05:48:09 iTkyF04HO
元石原軍団の苅谷俊介が見つけたんだから
苅谷遺跡にしろお( ^ω^)

106:名無しさん@九周年
09/03/24 05:48:24 ObMleEbq0
>>100
論文は知らないと言ってるんだよ、読んでねえもん
逆に言えばなんで論文を読まなければ2ちゃんで発言できないんだよ
同じ列島で高層建築を建てる際の技術が違う時代に使われているんだよ
なぜそれをいちいち分断されていたと仮定しなけりゃならんのだ

107:名無しさん@九周年
09/03/24 05:51:22 ObMleEbq0
>>101
ロバが渡来してそれを実際に見て訓を当てたのと
室町時代まで日本人が知らない筈だった象に訓読みがある事実を同列で論じる理由が分らん

108:名無しさん@九周年
09/03/24 05:51:45 +lWjgjXS0
>>106
俺のかきこみが愚図で
なんかへんなやりとりになった。すまない。

109:名無しさん@九周年
09/03/24 05:52:48 +WzsXx2DP
>>79
ありがとん。
そこ読む限り、北九州弥生文化と畿内弥生文化は
同時並行的に発達していたってことかぁ。
年輪年代法の開発により畿内弥生文化の古さが科学的に証明されたと。
大阪全域で遺跡発掘調査できれば、古代史は大きな進展があるのかもね。


110:名無しさん@九周年
09/03/24 05:53:05 9b9//eKm0
先ほどヤフオクで買ったタイムマシンに乗って邪馬台国を見に行ったのですが、いつの時代にも存在しませんでした。
いたのは猿ばっか!

111:名無しさん@九周年
09/03/24 05:53:33 CYUQQPBJ0
邪馬台国なら大麻を栽培していたはずです。
どんな立派な遺跡も、大麻の栽培跡がなければ邪馬台国とは言えません。
大麻なくして鬼道なし。鬼道なくして卑弥呼なし。

112:名無しさん@九周年
09/03/24 05:53:46 YcTnP/GZO
>>98
陸なら10日水上なら一ヶ月という説も有り。
一ヶ月って青森まで行ける?酷い獣道しか無かったってさ、日本には。

113:名無しさん@九周年
09/03/24 05:54:48 UUlHzrnw0
>>98
紀貫之が高知から京都まで何十日かかったと思ってるんだ

>>107
虎にも訓があるし、竜にすら訓があるな

114:名無しさん@九周年
09/03/24 05:59:02 TL/x6B4MO
>>107
もともと「きさ=象牙」。象が視覚的にイメージされる
ようになってから、「きさ=象」に転じたんだろ。

115:名無しさん@九周年
09/03/24 05:59:07 5KOkCoI50
>>111
楽しい人だなあ

116:名無しさん@九周年
09/03/24 06:15:31 Fj/knL4I0
稲やカラムシを植え、蚕を飼い糸を紡ぎ、カラムシの布や絹木綿を作っている。
牛、馬、虎、豹、羊、カササギ等はいない。

倭は真珠、青玉、丹を産出する。
木は、ユズリハ、ナラ、クス、ボケ、クヌギ、スギ、カシ、ヤマグワ、カエデがある。
竹は、シノ、ヤダケ、カズラダケがある。
ショウガ、タチバナ、サンショ、ミョウガがあるが食べられる事を知らない。
動物は、オオザル、サル、キジなどがいる。

兵には矛、盾、木弓を用いる。木弓は下が短く上が長い。
竹の矢のやじりは鉄か骨である。

有無するところ、タンジ、シュガイ(海南島の地名)と同じである。

倭地温暖。冬でも夏でも生野菜を食べ、はだしである。
家はあり父母と兄弟は寝るところが違う。

朱丹を体に塗っているが中国人がおしろいを塗っているようなものだ。
食事は高盃に盛って手で食べている。


117:名無しさん@九周年
09/03/24 06:20:54 MfFRmNdp0
日本語と同系列の言語が大陸に見あたらない以上、
縄文人も現代の日本人も同じ言語を喋っていたのは間違いないけどね。
むろん、時代時代で大きく変化はしてきたが。

118:名無しさん@九周年
09/03/24 06:34:26 6DCypvoY0
年輪年代法はまだまだ資料不足。
法隆寺の創建が百年はやまるなんていってるし・・。
またアメリカにある年輪の資料と比較せねばならないという欠陥がある。
年代が確実な北部九州の木材を調べれば解決するが、

119:名無しさん@九周年
09/03/24 06:36:32 f2ORfR/Q0
ヒミコってかわいかったの?

120:名無しさん@九周年
09/03/24 06:41:19 XUve/73y0
>>119
おまいは無双OROCHIでもやってろ

魏志倭人伝には
かなりの年齢になっても夫はなく独身だったと書いてある

121:名無しさん@九周年
09/03/24 06:43:55 UUlHzrnw0
>>117
マダガスカルの言語もアフリカ大陸と同系の言語は見あたらないようだが
インドネシアやフィリピンの言語と同系

122:名無しさん@九周年
09/03/24 06:46:41 9tiZqMqo0
>>91
おそらく以下のような墳墓が、纏向遺跡に先立つ列島各地の王墓として挙げられるだろう。


・西谷3号墓 島根県出雲市
URLリンク(www.izumo.ed.jp)

・楯築墳丘墓 岡山県倉敷市
URLリンク(home.s01.itscom.net)

・大風呂南1号墓 京都府与謝郡与謝野町
URLリンク(inoues.net)

・小羽山30号墓 福井県福井市
URLリンク(www.city.fukui.lg.jp)


不思議なのは、こうした王墓的な規模の大きい墓が、大和では纏向遺跡よりも前には見つかっていないこと。
大和では纏向遺跡が突如として表れ、数十年で急速に成長し、ついには箸墓古墳のような大王墓を築き上げるのだ。




123:名無しさん@九周年
09/03/24 06:47:49 MfFRmNdp0
>>121
ふ~ん。
じゃあ日本とは違うね、日本語は孤立言語だからな。

つか、なんの話?

124:名無しさん@九周年
09/03/24 06:48:08 FUM3oLrfO
実際卑弥呼なんていなかったんじゃあないかの。 三国志演技も架空の人物いるみたいやん。倭人伝に、適当に書いた可能性もありなわけやろ??

125:名無しさん@九周年
09/03/24 06:51:37 ZCl94m+qO
>>112
船で十日なら新潟は楽勝だろ。そこから一月あれば青森は堅いな。
瀬戸内海いくなら船で大阪湾まで楽勝というか十日もかからない。そこから一月なら関東行けるね。
獣道ってことは無いよ。

126:名無しさん@九周年
09/03/24 06:54:23 XUve/73y0
>>116
魏志倭人伝にははっきりと
邪馬台国は旅程からいって会稽、東冶の東方にあるはずだという推測が書いてある
東冶は会稽郡の一部で、会稽郡は浙江省から福建省にかけての華中長江下流域に広がる大きな郡だ

この地域は春秋戦国は越の故地で
前漢時代には東越、?越という異民族の独立王国があったところだ
その風俗は魏志倭人伝に描かれている倭国の風俗と良く似ている

つまり当時の中国からみると
越と風俗が似ていて湿潤温暖なモンスーン気候に属する日本列島の地理的位置は
実際よりも南方にあるはずだという認識があったと考えられる
福建省の東方だと今の台湾になるからね


127:名無しさん@九周年
09/03/24 07:03:00 XUve/73y0
>>124
三国志演義は明の時代に完成した小説だから架空の人物がいても当然

三国志の著者は陳寿で
卑弥呼が死んだと思われる250年ごろにはすでに生まれてたから
魏志倭人伝はほぼ同時代の人間の記録と考えていい

つまり他に例のない同時代の記録だから一目置かれてるだけで
書かれている内容の一字一句まで正しいとは誰も考えていない

批判はけっこうだが、もうすこし理知的な内容で頼むな

128:名無しさん@九周年
09/03/24 07:06:32 p+Z9LLk+O
>>63
魏史倭人伝なんて史書は存在しないけどな

それはともかく、晋の官僚が「最近朝鮮半島方面から帰ってきた人から聞いた東方
の国々のお話」を記録したに過ぎないモノだから
その東から帰ってきた人自体、日本に来たワケじゃないし

明帝に日本から朝貢があったのはおそらく事実だろうが、
呉も別の日本の有力国と接触してるハズ

東夷伝やら方技伝の類は与太話くらいに思っていい


129:名無しさん@九周年
09/03/24 07:15:09 6DCypvoY0
>995
銅に含まれている鉛の同位体から計測している。
三角縁は国産鏡
あれは鏡を作る金属には主に3種類いる。
銅、錫、鉛
このうち、鉛だけは中国からの輸入品の可能性。
倭人伝にも「賜鉛丹各五十斤」とある。

日本はそもそも古代から銅産出国だった。
江戸時代の生産量は世界一。
だから銅矛、銅剣、銅鐸などたくさん製造できた。
だから神社も銅瓦なわけで。

「銅の成分から生産地を決めるのはおかしい」
とは石野博信(大和説)の考え。
その鏡の出土地の中心が生産拠点と考えるべきなのが定説。
そもそも中国の学者でさえ三角縁は日本製と言ってる。
三角縁魏晋鏡説はカルト的な大和説の学者の特殊な説なのです。
日本製の車を分析しても成分は海外産ばかりなのといっしよ

130:名無しさん@九周年
09/03/24 07:24:43 xRVrXiqVO
しかし、畿内説、九州説結論が出るのはタイムマシンが開発されるまで待つしかなかった。

131:名無しさん@九周年
09/03/24 07:26:39 jHM2ln4pO
>>113
行程日数は距離とイコールにはならないよ。
土佐なんて今だって日本の中では便の悪い地域だし。
難儀な陸路があるルートより水路の方が距離があっても早かったりする。
東北は太平洋側の陸路よりもずっと古くから日本海の水路が拓けていて、秋田へ
の陸路が整備されたのは奈良時代、藤原仲麻呂の時。

132:名無しさん@九周年
09/03/24 07:28:30 S73LZ/fF0
日巫女or日神子or日皇女⇒卑弥呼ってな具合に自らを宗主国と考えた
当時の中国がわざわざ卑称を使ってたわけだから、邪馬台国だってヤマト国の
当て字だろ普通に。

133:名無しさん@九周年
09/03/24 07:28:57 XUve/73y0
>>129
これによると鉛じゃないな
この研究では微量の銀とアンチモンの割合から銅の生産地を割り出している

■ SPring8による泉屋博古館所有の鏡の分析結果(発表資料による)

鏡の材料に含まれる微量の銀とアンチモンの割合を分析した結果、
調査対象とした泉屋博古館収蔵の青銅鏡95面は下記の4グループに分けられたという。

1 戦国時代~秦時代グループ(中国:紀元前3世紀)
2 前漢前期グループ(中国:紀元前2世紀)
3 前漢後期~三国西晋時代グループ(中国:紀元前1世紀~紀元3世紀)
4 古墳時代グループ(日本:紀元3世紀~5世紀)

3のグループの三国西晋時代の神獣鏡は、同時期の他の鏡に比べ数値が集中しているが、
三角縁神獣鏡については、舶載(中国製)と考えられる6面は
すべて中国の三国西晋時代神獣鏡の狭い分布範囲に入り、
日本製と考えられる2面はいずれも古墳時代の日本製鏡の分布範囲に入った。

で、日本が銅の産出国であって銅鏡を製造するのに銅を輸入するまでもないのであるなら
なおさら中国産の銅を使った銅鏡は中国製である可能性が高くなるわけだ。
もっとも鏡を作ったのがどこなのかについての個人的な意見は保留しとくけどな

134:名無しさん@九周年
09/03/24 07:39:26 ZCl94m+qO
邪馬台国はエジプト

135:名無しさん@九周年
09/03/24 07:40:15 aBxqm7HU0
大和大国の姫巫女だろ

"邪"馬台国だの"卑"弥呼だの
中華あて字から脱却したいよ

136:名無しさん@九周年
09/03/24 07:43:09 o7XNLRgBO
「箸墓古墳が卑弥呼の墓」って話は、
トンデモ史観?


137:名無しさん@九周年
09/03/24 07:47:35 XUve/73y0
>>136
箸墓の築造年代は
現在では3世紀半ばすぎと推定されているから
250年頃に死んでそのあとにツカが作られたと記されている
卑弥呼の墓とみても何もおかしくはない

箸墓=卑弥呼の墓説はけっこう古い時代(江戸時代ごろ)からあって
最近まで箸墓はもっと後の時代に作られたものだと考えられていたから
トンデモ説扱いされてた時代もあった

138:名無しさん@九周年
09/03/24 08:07:10 E0YVnyhU0
>>30
もともと九州説は、学会権力に対するアンチテーゼとして発生してるからな。
権威である大学の先生に市中の研究家が反論できたのが爽快だったというだけで、
強い論拠があったわけじゃないから、遺跡による証拠固めが始まったら対抗できないだろ。
妄想のなかでは対抗してるんだろうけど・・・

139:名無しさん@九周年
09/03/24 08:11:32 tZRih4r10
>>25
古墳時代の遺跡に関して言えば、
当時関東の中心だった埼玉の方がずっと重要なので、
首都を東京に作って良かったと言える。

140:名無しさん@九周年
09/03/24 08:14:04 XUve/73y0
>>138
最近は
九州説に有利な考古学的発見が皆無に近いから
いまの九州説論者のできることは
自説の補強じゃなくて畿内説にケチつけることだけだ

このスレみてもまともな批判さえできないのが多いし

141:名無しさん@九周年
09/03/24 08:14:44 tZRih4r10
> 結局、箸墓古墳がヒミコの墓でFAなのか?

畿内説を取るとしても、
箸墓がヒミコの墓だとするのは、
考古学的には全く根拠がない。


142:名無しさん@九周年
09/03/24 08:19:29 tZRih4r10
>>78
> 要するに邪馬台国が大きな国で、
> それに匹敵する遺跡が纒向だからってだけでしょ。

全然違うよ。
纒向が巨大古墳を有する最初の大和の遺跡だからだよ。
今のところ「大きな国」であった根拠は全くない。
生活遺構がまるでなくて、祭祀遺構ばかり。
墓域とか聖域という学者がいるくらい。


143:名無しさん@九周年
09/03/24 08:22:28 tZRih4r10
>>91
大体、纒向で発見されたどの建物跡よりも、
東北の縄文時代の大型建物の方が大きいくらいだからね。
纒向が発達したクニとか都市と考えている人は一人もいない。
散々掘っても何も出てこないのだから。
ただし最古の古墳があって、祭祀跡の発掘が異常に多い。

144:名無しさん@九周年
09/03/24 08:25:51 y5N7Apsu0
>>141
可能性はある、しかし箸墓古墳=ヒミコの墓と断定するのは現在の状況じゃ無理、ということだろうな。
もっと発掘しないとな。陵墓もな。

145:名無しさん@九周年
09/03/24 08:26:02 mHx4Z2V00
姫巫女

146:名無しさん@九周年
09/03/24 08:28:39 YcTnP/GZO
>>141
マキムクを掘ったら一緒に埋葬された奴卑達がザクザク出てくるわけですね、わかります。

147:名無しさん@九周年
09/03/24 08:29:07 tZRih4r10
>>118
> またアメリカにある年輪の資料と比較せねばならないという欠陥がある。

いろいろ批判があるけど日本でも資料を作ってるよ。
奈良の人たちは完成したと言っている。



148:名無しさん@九周年
09/03/24 08:31:14 VX+JehZg0
上のレスを読ませていただいたが
九州説論者は見苦しい。
何度も論破されたことを必死になって主張している。
やはり九州説論者って、在野で九州説を商売として扱ってきたから
いまさら、後には引けない感じなんだろうけど。

149:名無しさん@九周年
09/03/24 08:31:27 tZRih4r10
>>137
箸墓=百襲姫の墓もまだまだ仮説に過ぎないよね。

150:名無しさん@九周年
09/03/24 08:33:38 tT0Qtp5/0
生活の跡が見つからないのは妙だね
普段は別の所に皆で住んでて特別な時にだけ出てきたの?

151:名無しさん@九周年
09/03/24 08:34:20 +iSMUexbO
>>9
「邪馬台」は昔の中国音で「ヤマト」と発音すると昔聞いたことがある。

152:名無しさん@九周年
09/03/24 08:36:50 tZRih4r10
>>44
> 2ちゃんでも日本史板のぞいてみると邪馬台国畿内説批判の大合唱だ。

2ちゃんねるはともかく、
学会でも邪馬台国畿内説の各論に対する批判は多いよ。
それは考古学系の学者が、邪馬台国に狂わされてることが多いから。
1/10くらいまっとうな批判で、9/10が地域贔屓の電波。
邪馬台国って言えば予算も投入されるしね。
もともとは小林行雄が伝世説とか言い出したのが電波合戦の始まり。



153:名無しさん@九周年
09/03/24 08:36:52 VX+JehZg0
生活の跡が見えないんではなくて
庶民が暮らすような竪穴式住居の跡が出てこないってこと。
高床式住居の跡ばかり出てくる。
高床式ってのは、身分の高い人とかが暮らすわけで。
そんな人が集結していたのが、纏向遺跡。
ちなみに、現段階で、纏向遺跡は全体の5%ぐらいしか発掘できていない。

154:名無しさん@九周年
09/03/24 08:39:26 tZRih4r10
>>153
> ちなみに、現段階で、纏向遺跡は全体の5%ぐらいしか発掘できていない。

これは全国的に見てもかなり発掘されている方。
三内丸山とか吉野ヶ里とかより狭く特殊なものを除いて。

155:名無しさん@九周年
09/03/24 08:40:22 NVsSKjdt0
>>151
台湾の人に聞いたことがある。(英語+筆談でw
結果、音が「ヤマト」のようで「ヤマト」でなかった…w

|-`).。oO( 方言もあるからねぇ…

156:名無しさん@九周年
09/03/24 08:43:57 Awys78iFO
いい加減に卑弥呼って当て字を何とかしろよ
姫巫女か妃巫女だろ本来は

チャンコロのつけた蔑称なんぞをありがたがったりするから、ヤツらが勘違いすんだろが

157:名無しさん@九周年
09/03/24 08:45:12 tZRih4r10
>>150
オオヤマト一帯を支配した支配者の王域で、
宗教的な権威を持った聖域でもあると考えれば納得が行く。
この辺りは邪馬台国を思わせるものがある。

ただ箸墓が卑弥呼の墓だというのは
考古学的には何の根拠もない。
紀記に女の墓だって書いてあるからってだけ。
それが今の箸墓古墳じゃないかというのも古伝に過ぎない。

158:名無しさん@九周年
09/03/24 08:45:49 YcTnP/GZO
>>151
なら伊都国の都を当ててもいい。

159:名無しさん@九周年
09/03/24 08:48:36 ZCl94m+qO
ムーにエジプトって書いてした。

160:名無しさん@九周年
09/03/24 08:51:54 xP7sYK1bO
全員の体力特大回復

161:名無しさん@九周年
09/03/24 08:53:57 YcTnP/GZO
1=ひ=日
2=ふ=吹く=風=空気
3=み=水
4=よ=世
5=い=聖
6=む=産
7=な=野
8=や=屋
9=こ=木
10=と=人
数字には全て自然の意味を持たせ古代の官名や名前は数字を元に付けられている。

162:名無しさん@九周年
09/03/24 08:59:45 xzO6M0Vc0
>>161
ほほぅ、道理で>>2は空気みたいなのばっかしなわけだ

163:名無しさん@九周年
09/03/24 09:00:44 VX+JehZg0
ここには、トンデモ説が多いが
最低、魏志倭人伝に登場する固有名詞は
当時の漢字音でなんと読んだか
調べてからにせい。

164:名無しさん@九周年
09/03/24 09:07:17 9XlXQ+kk0
>>163
そんなにいばらないで、あんたがそれを書けばいいじゃん

165:名無しさん@九周年
09/03/24 09:11:36 JPz9htk/0
まったくだ。

166:名無しさん@九周年
09/03/24 09:12:39 jHM2ln4pO
ただね、歴史学者も戦後の反皇国史観や階級闘争史観などに狂わされている。
記紀がまともな検証をされ始めたのは比較的最近なんだ。

167:名無しさん@九周年
09/03/24 09:16:13 VX+JehZg0
邪馬台国=ヤマト国
投馬国=ヅマ国
狗奴国=コノ国

おそらく、
邪馬台国・・・卑弥呼=媛命=ヤマトトトヒモモソ媛命
狗奴国・・・卑弥弓呼=彦命=武埴安彦命

168:名無しさん@九周年
09/03/24 09:24:07 G4aEnIuU0
邪馬台国が絡むといつもながらニューススレじゃなくなるなぁ。
ν速ならいつものことだが、プラスでは珍しいような。

169:名無しさん@九周年
09/03/24 09:26:29 Wywc9jzR0
卑弥呼とセックルしたい
当時は30そこらが寿命だろうから
卑弥呼は20代のピチピチギャル
だったんだぜ

170:名無しさん@九周年
09/03/24 09:38:32 nfqRcqKW0
>>169
「倭人は長寿で、100歳から8、90歳まで生きる。
そして身分の高い人は妻を4,5人持ち、庶民でも二,三人は居る。」
(魏志倭人伝)


171:名無しさん@九周年
09/03/24 09:43:10 /1ZWc97x0
邪馬臺國が意宇出雲国の根拠
URLリンク(www.susao.net)

172:名無しさん@九周年
09/03/24 09:53:51 iP5GZbld0
『平城京遷都まつり』と『卑弥呼』をからめれば、

奈良観光がブレークするかもしれんな。
観光客がゆったり泊まれる宿が不足しているのがネックだが。
現状、観光客は大阪市に流れているもんな。

173:名無しさん@九周年
09/03/24 10:05:36 +drFfqTu0
奈良で泊まるならラブホテル最強。

174:名無しさん@九周年
09/03/24 10:11:23 0yj4OnON0
そもそも倭人伝自体がものすごくいい加減なことを書いているのに
それをまじめに議論するのが意味がないと思うんだが

175:名無しさん@九周年
09/03/24 10:14:48 /pxtFSqm0
>>174
日本書紀を真に受けてるバカもいるけどねw

176:名無しさん@九周年
09/03/24 10:20:04 lE6eG3h40
何故か魏志倭人伝には、当時大きな勢力だったはずの
吉備や出雲の記載が無い。

その癖、どこかもわからない投馬国なんてのを書いてある。
投馬国が出雲か吉備ならちゃんとそれに近い音の文字使って書いとけよな。

177:名無しさん@九周年
09/03/24 10:23:38 E3f/H4730
>>176
投馬は邪馬台と違って陸行が無く水行二十日とのみ記載されているところから
島であった可能性が高いと思われます


178:名無しさん@九周年
09/03/24 10:28:59 oMI2j4bJ0
>>176

>邪馬台国の東は海、そのむこうにも倭人の国がある

これが吉備や出雲のことじゃないの


179:名無しさん@九周年
09/03/24 10:35:25 uvpWzD4G0
当て字そのままで
邪馬台国・・・大和王権@畿内(神武東征後)
狗奴国・・・クマソ

と考えたらすっきりするだろうに素人的には思うんだけど
いろいろ難しいんだな

180:名無しさん@九周年
09/03/24 10:38:17 0TOG+/oG0
>>177
陸行できない四国とか?

181:名無しさん@九周年
09/03/24 10:44:45 /1ZWc97x0
起点 対馬国
南   一支国
    末盧国
東南 伊都国
東南   奴国
東   不弥国
南   投馬国


182:名無しさん@九周年
09/03/24 10:46:36 jHM2ln4pO
史料批判はあくまでも史料検証。批判という言葉があるので否定的な見方をすればいいと勘違いする人は後を絶たない。

183:名無しさん@九周年
09/03/24 10:48:01 /1ZWc97x0
南  邪馬台国

女王國より以北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず。

次に斯馬國有り。次に己百支國有り。次に伊邪國有り。次に郡支國有り。次に彌奴國有り。次に好古都國有り。
次に不呼國有り。次に姐奴國有り。次に対蘇國あり。次に蘇奴國有り。次に呼邑國有り。次に華奴蘇奴國有り。
次に鬼國有り。次に為吾國有り。次に鬼奴國有り。次に邪馬國有り。 次に躬臣國有り。次に巴利國有り。
次に支惟國有り。次に烏奴國有り。次に奴國有り。

此れ女王の境界の尽くる所なり。その南に狗奴國有り。男子を王となす。その官に狗古智卑狗有り。女王に属せず。
郡より女王國に至ること萬二千余里。

184:名無しさん@九周年
09/03/24 10:48:02 xzO6M0Vc0
半島にホイホイ進出してるところからして奈良から西征というのは
ちょっと厳しいかな

185:名無しさん@九周年
09/03/24 10:49:29 jHM2ln4pO
水行は上陸による停泊の説明を省いている可能性はある。

186:名無しさん@九周年
09/03/24 10:50:39 E3f/H4730
>>180
他の傍国たちと違い、なぜ投馬や奴や不弥といった国々の位置が明記されたのか
それはこれらの国々が邪馬台と敵対するほかの連合国家との接点に在ったからではないでしょうか
軍事拠点、あるいは交通の要衝であった国々は方角や里程を記されたのではないかという気がしきりにします
投馬はその方角から見て狗奴国連合との境界近くにあった国ではなかったでしょうか

前スレに伊都や好古都などには華僑コロニーがあったのではという意見がありましたが
あるいはそうなのかもしれません、好古都などはそれこそ大陸からの移民を古くから受け入れてきた地域にあったのではないでしょうか
むしろ大陸からの移民そのものが建国した国が好古都であったのかもしれません


187:名無しさん@九周年
09/03/24 10:51:48 bEXXjpjG0
>>184
>半島にホイホイ進出してるところからして

そりゃ神功皇后で卑弥呼じゃないのでは?

188:南米院 ◆qZn4PpFR5Y
09/03/24 10:56:33 dyfm34OD0
卑弥呼の張角に見えたqqqq

189:名無しさん@九周年
09/03/24 10:59:23 zjpfvtZn0
奈良=ナラは、朝鮮語で国の意味だよ。
奈良が日本の中心ってことは、すなわち、日本は朝鮮が作った国ってこと。


190:名無しさん@九周年
09/03/24 11:00:11 0TOG+/oG0
奴国は博多周辺だろ。これに異説はないよな。
次の不弥国に比定されてるのは内陸部だろ?ここから水行できるのか?
次の水行20日の投馬国だけど、南に船を向けて出港すると言う意味に取れば
南が海に開けてる不弥国を探さないといけないんじゃないか。
投馬国は素直に読んでトゥマかトゥバ、トマまたはトバだろ。他の地名が読み
通り現在の地名と比定できるんだからここも素直に読むべきだろ。
明石に鳥羽と言うところがある。明石からは天皇も出てるし、意外と正解じゃ
ないかな。

191:名無しさん@九周年
09/03/24 11:01:47 rHMRp1R40
>>177
この時代の陸路は、ほぼ獣道だからなぁ。
文字通り、陸の孤島はいくらでもある。


192:名無しさん@九周年
09/03/24 11:04:24 hx80evaK0
>>152

>邪馬台国って言えば予算も投入されるしね。
いつもの陰謀論かな?
具体的に予算獲得に有利に働いた事例を教えてくれ。
ああ、そう言えば吉野ヶ里は工業団地として潰される予定だったのに
「邪馬台国」のおかげで全面保存されたなw

>もともとは小林行雄が伝世説とか言い出したのが電波合戦の始まり。
で現在に至ってもその年代観だけはちゃっかり頂いちゃっているのが九州説w


193:名無しさん@九周年
09/03/24 11:04:33 fDFF7npk0
現在の地名と比べてどうするんだよ。
確実な記録のある古い地名と比べてくれ。



194:名無しさん@九周年
09/03/24 11:11:33 oMI2j4bJ0
>>193
不呼国は福岡だな。黒田長政はそれを復活させた。

195:名無しさん@九周年
09/03/24 11:20:49 erT9uGaT0
>>187
半島ホイホイは400年前後か
九州まで従えたからホイホイしに行ったのかな
南九州の制圧具合はどうだったんだろ

196:名無しさん@九周年
09/03/24 11:22:10 XUve/73y0
>>194
江戸初期に
城下町に福やら松やらおめでたい文字をつけて命名した例はいくらでもほかにあるから

「福」なら福井、福江、福山など
福岡だけが古地名を復活させたものだという確証でもあるのか
出身地の備前福岡の地名をつけたという説があるようだが

197:名無しさん@九周年
09/03/24 11:25:35 XOg+QHPS0
少なくとも古地名福岡は聞いたことない。
福岡県の命名で議会が真っ二つに割れた話は有名。
博多と福岡で割れた。

福岡県民

198:名無しさん@九周年
09/03/24 11:27:39 jHM2ln4pO
日本書紀では熊襲は景行天皇自ら兵を率いて討ちにいっている。
景行天皇はあちこちによく行った天皇で、倭王の上奏文にある自ら兵を率いた先祖とも時代も合う。

199:名無しさん@九周年
09/03/24 11:29:04 9+NnCss20
好古都国をその発音だけで、博多ではないかという説が
けっこう言われてる。

でも女王国より北にあるのは、
末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国だけで、
好古都国は女王国より南、遠くて方角や距離はわからないと書いてる。

もし好古都が博多で、伊都が糸島なら隣同士になってしまう。
そもそも上陸地の末盧国が、松浦という説も名前が似てるってだけ。
当時、船で半島から渡ってくると一番上陸しやすいのは現在の宗像という話もある。

こんな昔の、それも中国人が記した国名をどこまで信用できるのか


200:名無しさん@九周年
09/03/24 11:32:33 XOg+QHPS0
熊本にいくつか天子宮という神社がある。
景行天皇が滞在したという説のようだが
景行天皇自体がこのあたりの出身という説もある。
久留米高良山を本拠地としていたという天皇もこの人だったかな。

201:名無しさん@九周年
09/03/24 11:34:14 bEXXjpjG0
>>194-197
「福岡」の地名って黒田如水の故郷、播磨の国の地名からだと司馬遼太郎の本で読んだことあるけど…

202:名無しさん@九周年
09/03/24 11:35:18 XUve/73y0
>>199
前スレにも書いたが
「博多」の初見は8世紀の続日本紀
それ以前の文献に「博多」の地名は出てこない

203:名無しさん@九周年
09/03/24 11:35:30 xzO6M0Vc0
>>199
松浦じゃなくて唐津でそ
あのあたりもなんとか松浦半島で島も多いから壱岐から渡るなら妥当

204:名無しさん@九周年
09/03/24 11:37:07 XOg+QHPS0
>もし好古都が博多で、伊都が糸島なら隣同士になってしまう。
非常に近距離だけど、地形的には福岡市西区の室見川沿いは
別国の可能性あり。

伊都 -> 室見川沿いの国 -> 博多 かもしれない。

西区付近は結構埋め立てられているので、当時海沿いは道が狭いとおもわれる。

205:名無しさん@九周年
09/03/24 11:40:14 XOg+QHPS0
松浦で秀吉が朝鮮半島渡海のために設置したのが
名護屋城、あのあたりは渡海に都合がいいんだろう。
だいたい唐津という名前も、唐へ行くための津(港)から来ているらしい。

206:名無しさん@九周年
09/03/24 11:47:29 /1ZWc97x0
唐津市松浦川  (東松浦郡)
URLリンク(maps.google.co.jp)


207:名無しさん@九周年
09/03/24 11:49:52 lE6eG3h40
畿内説だと狗奴国の説明がつかないよな。
マキムクから東海地方の土器が多く出土してる以上、東の勢力を
それに位置づけるのは難しいだろうし。

熊野なんか紀伊山地の険しい山々を越えて行かなければならない。
そんな国と敵対したところで脅威となるはずが無い。

どう考えても狗奴国は熊本しかあり得ない。

208:名無しさん@九周年
09/03/24 11:51:17 xzO6M0Vc0
今Googleで九州の地図見てみた
対馬→壱岐→唐津→糸島→福岡までは方角がちょっと変だが磐石だよな

209:名無しさん@九周年
09/03/24 11:55:47 l+vtE+vf0
>>208
唐津→糸島→福岡

現在は海沿いに道路ができてるけど、当時は断崖絶壁だったという話も。
いずれにせよ唐津から糸島へ行くのはものすごい難路で、せっかく船で来てるんだから
糸島へ行くならそのまま船で行くのが普通じゃないのかと。
あと、古代の糸島は半島じゃなくて、島だったという。



210:名無しさん@九周年
09/03/24 11:59:55 XOg+QHPS0
方角が変なのが引っかかって、方向を合わせて山の中に入ると、
松浦川をさかのぼって小城に出てくるルートもある。
松浦に行かないで伊万里湾に入って、山中を越えて
有明海側に出てくるルートも無いこともない。

そのほうがしっくり来るんだが、地名が合わない。
魏志の移動ルートと地名が別ソースだったのかも、と考えることもある。

211:名無しさん@九周年
09/03/24 12:00:33 xzO6M0Vc0
そういわれてもシロウトだし、勝手に言ってるだけなんだが
唐津福岡間はきれいな砂浜があったよな?それ伝って行ったんじゃないの

212:名無しさん@九周年
09/03/24 12:04:44 XJg5JXoK0
卑弥呼をヒミコと読んで、日巫女や姫命だという説を良く見るが
「呼」はコだろうか。

他の国の長官の名前が「卑狗」となってる。これはヒコ(彦)だというのも有力。
だとすると、もし姫命でヒミコと言いたければ「卑弥狗」としたのではないか。

卑弥呼は「ヒミカ」と読むのではないか。
ヒミカ=ヒムカ=日向のことだ。


213:名無しさん@九周年
09/03/24 12:12:22 /1ZWc97x0
>邪馬台国総論
>当時の中国語でどう発音していたのか推定してみる。
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)

214:名無しさん@九周年
09/03/24 12:17:12 bEXXjpjG0
>>207
狗奴国は邪馬台国の南にあったされているだけで、女王国の南にあったとは書かれていない。
狗奴国が熊襲=南九州だとしても、北九州から畿内までの邪馬台国の南に存在したのであり、女王国=畿内の南にあったのではないと考えれば畿内説と矛盾はしない。

215:名無しさん@九周年
09/03/24 12:27:01 fFn8lSTl0
>>214
>狗奴国は邪馬台国の南にあったされているだけで、女王国の南にあったとは書かれていない。

へー、一語一句細かく区別するんですね。

邪馬台国が連合全体の名前なら、
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月」
(南に十日水上を進み一月陸を進むと邪馬台国に着く。女王が都をおくところ)
はどうなるの?
それまであった末魯国だの、伊都国だの、投馬国だのは
邪馬台国に入ってないんだ。へー

216:名無しさん@九周年
09/03/24 12:36:39 2gT5Oy2d0
>>214-215
wikiの狗奴国には、
>3世紀の倭国で邪馬台国の尽きるところである奴国の南に位置する。
って書かれてるんだけど?

狗奴国って邪馬台国じゃなくて奴国の南にあるんじゃね?

217:名無しさん@九周年
09/03/24 13:03:29 YcTnP/GZO
別の奴国。

218:名無しさん@九周年
09/03/24 13:22:27 b1WAHrz50

      狗奴=毛野

219: ◆65537KeAAA
09/03/24 13:23:45 RP5AA/dh0 BE:32616825-2BP(2787)
でもさ、畿内だったとしたら、なんであんなところで金印が見つかったの?
帰りに落としたとか?

220:名無しさん@九周年
09/03/24 13:28:47 jAOFVtZG0
>>219
奴国王が後漢からもらった金印と
卑弥呼が魏からもらった金印の区別もつかない人?

221: ◆65537KeAAA
09/03/24 13:31:57 RP5AA/dh0 BE:176127269-2BP(2787)
>>220
「漢委奴国王印」ってヤツしか知らん

222:名無しさん@九周年
09/03/24 13:33:27 D6xQG+m5O
しかもあの金印、
全く同じものがベトナムで出土されてるんだよね

223:名無しさん@九周年
09/03/24 13:34:43 uvpWzD4G0
>次に奴國有り。此れ女王の境界の尽くる所なり。
>その南に狗奴國有り。
だから、福岡の奴国が邪馬台国連合の南限で
その南にある狗奴國=クマソと戦ってるって話じゃない?


224:名無しさん@九周年
09/03/24 13:37:23 wXRpsoUY0
>>222
いろいろなデマがとびかってるんだなぁ。


225:名無しさん@九周年
09/03/24 13:38:26 UUlHzrnw0
>>123
孤立言語っていうのは、たまたま同系の言語がなくなってしまった
或いは大きく変容をとげすぎて比較ができなくなってしまった
に過ぎない。

マダガスカルのマラガシ語も、たまたまインドネシア・マレーシア・
フィリピンや台湾の言語が残っていたからこれらと同系だって
わかるんであって、中華帝国がもっと覇権を広げていたら
孤立言語と見なされたかもしれない。

インドネシアの系統の言語を話す人々が、マダガスカルに到達する前、
マダガスカルは無人島だったのかというと、どうなのか。
今とは別系統の言語を話す人々がいた可能性が高い。
例えばアフリカ大陸と同系統の言語が話されていたとしても
不思議はない。

縄文人がどんな言語を話していたのかわからないが、
もちろん今の日本語と同系の言語であっても不思議はないのだが
大陸と同系統の言語を話していたとしても不思議はない。
或いはフィリピンと同系統の言語であっても不思議はない。
今ではわからない。

226:名無しさん@九周年
09/03/24 13:41:35 jAOFVtZG0
>>221
ソレしか見つかってないからなw
でもソレは卑弥呼の時代より182年も前の話。
ソレとは別に卑弥呼も金印を貰ってんだよ。

227:名無しさん@九周年
09/03/24 13:48:18 tSihOl6c0
>216
うむ、
倭国で邪馬台国の尽きるところである奴国
とは玉名市のことだと思う。
古代、玉のことを な とも ぬ とも言った。
近くの菊池川が国境だったのではないか。

不弥国は宇美でいいかと。
ここはちょっとした盆地だが、
交通の揺曳の地という印象がある。

対蘇は鳥栖で決まりかと。





228: ◆65537KeAAA
09/03/24 13:48:48 RP5AA/dh0 BE:182650087-2BP(2787)
>>226
そうなんだ。アレが卑弥呼が貰った金印だと思ってた。

229:名無しさん@九周年
09/03/24 13:50:01 Wywc9jzR0
A

230:名無しさん@九周年
09/03/24 13:56:03 X5YXHz1WO
>>221
昔科学と学習の付録にあったよなあ。

231:名無しさん@九周年
09/03/24 14:01:51 tSihOl6c0
>209
山上憶良だったかな、万葉集で
二丈町にある神功皇后伝説の
鎮懐石神社があって、
「公私の往来に、馬より下りて跪(き)拝(はい)せずといふことなし。」
とある。
これからするとすでにこの時代では唐津-前原間は
かなり地上交通が多かったと思われる。

個人的に、呼子上陸→伊都国ではなかったかと。

232:名無しさん@九周年
09/03/24 14:15:30 LBx+RVEE0
>>225
なんで単純に日本とまるで違う地域を持ち出して語るかね

日本の場合、言語が流入するならば、その進路は限られるんだよ
その上で大陸とも、朝鮮とも、東南アジアとも違う言語だと、ほぼ結論が出てるんだよ
弥生人が日本に渡ってきて言語が変わったならば、なにかしらの痕跡が残るはずだ
なにしろ二千年と少しの期間でしかないのだから

弥生人がまるごと渡ってきて日本に土着化したのではない
長期間にわたり、日本の現地人と交わったんだ
だから言語どころか、生活様式も、風俗も大陸にはない、弥生独特のものが出来上がったんだ

233:名無しさん@九周年
09/03/24 14:22:56 PLh275Zr0
卑弥呼のまんこに箸がささって箸墓が出来たが近いのかな?

234:名無しさん@九周年
09/03/24 15:43:55 +e3OYBZN0
昭和天皇が北京に朝貢した時に、賜った金印がなかった?

235:名無しさん@九周年
09/03/24 16:00:40 g7DYVxRj0
ヒミコって顔がペシャンコだったんでしょ

236:名無しさん@九周年
09/03/24 16:14:32 FIkRiDpgO
>>232
弥生時代は3000年前から約1200年間ね。
ここが古い定義から切り替わってないヤツは、
日本古代について論議する資格がない

237:名無しさん@九周年
09/03/24 16:20:39 FasL9MpdO
8('A`)8< 俺達、弥生人

238:名無しさん@九周年
09/03/24 16:31:42 4dYxoiyv0
Q太郎乙

239:名無しさん@九周年
09/03/24 16:52:35 KWO3VT12O
言語はともかく、風習の起源に関してなら色々言われているのだけど、これなんか面白いと思いますね。
URLリンク(www.isis.ne.jp)

240:名無しさん@九周年
09/03/24 18:25:56 ZvcRH0AEO
>>223
クマソはクマとソが一緒になった国かも知れないね。
クマという言葉は昔は神とゆう意味だったと何かで読んだ。朝鮮半島でもそうだったらしい。
ソも何か意味があったっけ。忘れた。ソフルとかソトとか後ろに何か付けてた。
アイヌ語によると山はイワだから現代語はいろんな古代語が混じってる。
明石はウワッカシィ(水辺)が訛ったものだそうだし。

241:名無しさん@九周年
09/03/24 18:38:13 ZkEBdrnY0
反畿内説って
反日とか
反天皇制とかと同じく
日本を貶めようとするサヨくさい臭いがする。

242:名無しさん@九周年
09/03/24 18:41:19 M5sk5iZnO
奈良にあるからこそ価値がある。

243:名無しさん@九周年
09/03/24 19:28:41 8MpKNwW80
宮崎の西都原
URLリンク(map.yahoo.co.jp)

航空写真で見たら凄くない。なんでこんなに墓あるんだろ。

244:婆 ◆HKZsYRUkck
09/03/24 20:02:21 WuHruahU0
このうなっちまったら、生半可な説では勝てんな。

そこで、「古代九州は畿内にあった!」説を唱えてみる。


245:名無しさん@九周年
09/03/24 20:21:32 anfeTiT+0
陳寿は大海を航海するときは必ず「海を渡る」と表現していて、
「水行」とは表現していない。
つまり水行とは岸の近くの海または川を行くという意味で使われているのである。

それではいまの佐賀市あたりから南に「水行十日」(約100キロメートル)下るとどこに着くか。
私の推測地は熊本県の八代である。
その八代に流れ込んでいる球磨川をさかのぼると人吉盆地に入る。
人吉から湯山峠を越えて西米良を通り、さらに一ツ瀬川を下ると
宮崎県の西都市に出ることができる。

この道は古代人が熊本県から宮崎県に歩いていける唯一の道であった。
これ以外の道は山また山、道なき道でで古代人には通行することはできなかっただろう。
八代から西都まで約150キロメートル近くあり、
険しい山々を越す道は優に「陸行一月」はかかったものと考えられる。

こうして考えていくと、答えはただ一つ。
女王卑弥呼の住む都、邪馬台国は宮崎県の西都市にあったのである。

246:名無しさん@九周年
09/03/24 20:28:21 hToFKb3k0
伊都国から先の記事を、
東南・奴国→東行・不弥国→南・投馬国→南・邪馬台国
といったふうに解釈するに至っては、どこをどう押せば
こんな解釈が生まれるのか、

おそらくこれは、誰かの読み下し文だけを読んで漢文が読めない人であろう。
原則として漢文は白文で読まなければならない。

奴国や不弥国は、先の「東南に陸行して五百里伊都国に到る」と同じ筆法で、
「東南百里にして奴国に至る」とも「東行百里にして不弥国に至る」とも書いてはないのである。

ここが非常に重要なところで、この文章は、東南の奴国に行ってさらに東の不弥国へ
向かう意味にはどうしても解釈できない。
何となれば「東南至奴国」に対し、「東方至不弥国」ではなく、わざわざ「東行」と、
「東行すれば」の意味をこめて書かれているからである。
この部分は「東南の奴国に至るには百里」「東行すれば不弥国に至る百里」
と読めば理解し易い。

この二国を経由して投馬国へ行くのではなく、あくまで次の
「南至投馬国」「南至邪馬台国」を前提として伊都国から東南に奴国、
東方に不弥国、そして単純に南へ行けば投馬国があり、同じように邪馬台国がある
と書かれているのである。

だから奴国や不弥国へは陸行とも水行とも記されていない。
単に両国の位置と概略を示しているにすぎない。

そうなると投馬国や邪馬台国へは
博多湾からどうやって南に水行できるのか、陸地ではないか
となるが、実はそれができるのである。


247:名無しさん@九周年
09/03/24 20:35:42 EIX2hdeI0
卑弥呼は肥巫女、もしくは火巫女でしょう
つまり肥の国=肥前肥後の女王だったということです
スサノオによるヤマタノオロチ退治の伝説にあるように
ヤマタ(邪馬台)のオロチはスサノオ(狗古智卑狗)によって討たれたのでしょう
天の安河(夜須川もしくは筑後川)での会戦で南の狗奴国によって討ち滅ぼされた邪馬台国の末裔は
日田から山国川をさかのぼって宇佐に定住したのでしょう
そして記紀にあるように朝鮮半島から渡ってきたタラシ系の一族は
この邪馬台の末裔と姻戚関係を結んだうえで東進を始めたと思われます
宇佐神宮が何らかの形で皇室と関係しているのは今に伝わる慣習などからも明らかだと思われます

248:名無しさん@九周年
09/03/24 20:35:44 cQIWx7PK0
今やってるテレ東の番組では邪馬台国のあった場所は四国だっていってるよ。

249:婆 ◆HKZsYRUkck
09/03/24 20:50:41 WuHruahU0
西暦2009年のとある春の日、纒向遺跡で発掘をしていた一人の研究員が
忽然と姿を消した。 そして二日後、なぜか阿蘇の山中で倒れているのを
発見されたのである。
「これはただの失踪事件じゃない!」 そう直感した若き考古学者は、遺跡の

(中略)

ったのだ。つまり、畿内の古代地表に位置する次元断層は亜空間トンネルを介して
九州山地とつながっていたのである!
「なんということだ。我々は奈良を掘っているつもりで九州の遺跡を発掘していたのか…」
発掘に半生をささげてきた老教授は、天を仰いだのだった。   -完-


250:名無しさん@九周年
09/03/24 20:57:04 8MpKNwW80
後漢書東夷伝にある(ナ国は)倭国の極南界なりという記述さえ無ければ、
宮崎が行程的には一番合ってるような気がする。
で、この記述を信用すると宇佐が怪しくなる。
でも、有明海側の極南界を指していると考えれば、邪馬台国は呪術国家だったようだし、
異常な数の墓がある西都原はやはり怪しい、でも宇佐も怪しい。

251:名無しさん@九周年
09/03/24 21:19:48 bkrM4qn90
普通に奈良だろw

平城京以前へのつながりも自然だし

252:名無しさん@九周年
09/03/24 21:21:48 GcssqeQr0
もともと九州説は皇国史観から出たもので、はじめっから無理筋。
九州説論者の思考が皇国史観を畿内説に押し付けるという形で
イデオロギーから逃れられないのもそのため。

253:名無しさん@九周年
09/03/24 21:34:07 KWO3VT12O
>>251
明らかに断絶しているのに自然ですか?

254:名無しさん@九周年
09/03/24 22:04:42 VPkpMX/M0
邪馬台国が大和政権とつながりがあるって言う根拠も「音が似ている」ってだけじゃん

255:名無しさん@九周年
09/03/24 22:09:54 mz7Kzy1n0
古事記や日本書紀では、ヤマトという言葉はどこから
登場するの?
前半の神々の話には出てこないよね

256:名無しさん@九周年
09/03/24 22:09:56 Q4qMPcwK0
>>254
「だけ」じゃないでしょ同時代の大規模な都市の遺跡が見つかってんだから。
むしろ同時代の大規模な都市の遺跡が発見されてないのは九州なんだよ?

257:婆 ◆HKZsYRUkck
09/03/24 22:11:06 WuHruahU0
>>254
今の文明が滅びて数千年後に発掘されたときに
「オーストリアが東遷してオーストラリアになったのだ!」
とか思われる、みたいなもんか?

258:名無しさん@九周年
09/03/24 22:19:44 7ayaOE4q0
>>23
古代は邪馬台国しかないと思いこんでるのも多いからなぁw



259:名無しさん@九周年
09/03/24 22:31:15 D8EG9ISA0
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スレリンク(news板)

Zeebo凄すぎワラタw

260:名無しさん@九周年
09/03/24 22:33:57 GcssqeQr0
>>256
>同時代の大規模な都市の遺跡が見つかってんだから。

頭に蛆湧いてない?

261:婆 ◆HKZsYRUkck
09/03/24 22:36:33 WuHruahU0
だからこそ今、「古代九州は畿内にあったのだ!」説に注目がだな…。

262:名無しさん@九周年
09/03/24 23:40:37 SwxD+qTB0
親魏倭王印なんて探したって出てくるもんじゃなかろう。
卑弥呼の墓って古墳か。方形周溝墓?

263:名無しさん@九周年
09/03/24 23:41:53 z2Rnz2aH0
>>258
それ、学者連中に言ってやれ。
とりあえず纒向は邪馬台国論争とは切り離して発掘して欲しい。
その結果、やっぱ纒向は邪馬台国だよってんなら納得いく。
今のままだとまたゴッドハンドが炸裂するぞ。

264:名無しさん@九周年
09/03/24 23:43:10 NsAn5Npf0
ゴッドハンドは学者じゃないけど。

265:名無しさん@九周年
09/03/24 23:45:39 z2Rnz2aH0
>>264
だからなんだよ

266:名無しさん@九周年
09/03/24 23:51:17 YIkl34Ec0
このスレは勉強になるなぁ。前スレからROMってます。

267:名無しさん@九周年
09/03/24 23:58:40 xkeHd/mtO
古代っていっぱいあんの?

268:名無しさん@九周年
09/03/25 00:01:32 XOnuJ82X0
古代はいっぱいある。その一つが邪馬台国。
マキムクが邪馬台国じゃなければ遺跡の価値が下がる。
という変な感覚があるのだろう。

269:名無しさん@九周年
09/03/25 00:11:30 LbJKEGvr0
2世紀終わりの倭国大乱で邪馬台国連合王国が成立するわけだけど、
この時に遷都した可能性もあるんじゃないかと。仮に、九州にあった邪馬台国が
連合王国のトップになった契機に、中心地の畿内に移ったとか。

卑弥呼死後に再び乱れて、いったん連合王国は崩壊するけど、これは大きな
政変があったわけで、新たに建った王国がヤマト政権の祖ではないか、とか。
この政変が、神武天皇の東征として描かれ、抵抗勢力の長髄彦(出雲や伊勢)が
討たれた。壱与は象徴的な傀儡か。

とか想像してみる。これなら邪馬台国とヤマト政権、卑弥呼と天皇家が
繋がり有りそうで無さそうな、微妙な関係性が理解できる?

270:名無しさん@九周年
09/03/25 00:24:42 ojuQ/iLs0
纏向みたいに実際に遺跡が見つかっている邪馬台国の候補地ってあるの?
古墳とかじゃなくて建造物跡のあるようなヤツが、

271:名無しさん@九周年
09/03/25 00:27:04 gUcS5i0y0
石塚古墳やホケノ山古墳は削られちゃってるけど、
箸墓などは百襲姫の伝承のためか墳丘が良好な状態に保たれているらしいね。
墳丘保護の観点からすると、水濠ってのは問題あるらしいんだけど、
北側の池を干しちまうわけにはいかないんだろうか。
まあ景観的には水濠があったほうが綺麗なんだけど。

272:名無しさん@九周年
09/03/25 00:28:06 4p5sRyXjO
なんだか魏志倭人伝のお陰で倭国という統一国家があったような話になっているけど、明治に国体論が出るまで日本人は誰一人そんなものがあるなんて考えたこともなかったんじゃないでしょうかね。
というか、弥生時代の列島はまだはっきりと多民族状態なのでは?

273:名無しさん@九周年
09/03/25 00:32:57 oE6ndT8k0
>>272
>明治に国体論が出るまで日本人は誰一人そんなものがあるなんて考えたこともなかった

サヨくさw
「日本国」という意識はあっただろ。
そんなに日本を貶めたいのかねぇ…

274:名無しさん@九周年
09/03/25 00:38:01 LbJKEGvr0
>>270
弥生時代中期に栄えた巨大集落、池上曽根遺跡。古墳時代には仁徳天皇陵以下、
前方後円墳大集合してるから、邪馬台国時代も栄えていたはず。距離的に纒向が近い。

>>272
そりゃ思いこみ。魏志倭人伝には邪馬台国連合が20数カ国。
その他に邪馬台国に属さない国々の記述もある。

275:名無しさん@九周年
09/03/25 00:40:15 gUcS5i0y0
>>272
民族の定義次第だろうね。

それと、卑弥呼の時代はもう弥生じゃなくて古墳時代の初期でしょう。

276:名無しさん@九周年
09/03/25 00:41:24 4p5sRyXjO
>>273
徳川によって平定された、という意識が?
なら国体論など始めから必要ないでしょう。

277:名無しさん@九周年
09/03/25 00:41:39 kt7Dv0ov0
最後にものを言うのは、
やっぱ考古学だなぁ

邪馬台国の可能性が議論されてる場所で、
遺跡調査で可能性がもっとも高いのが畿内で、
遺跡調査がもっともされてないのが南九州?
福岡周辺の北九州説は、もうないって感じなのかな


278:名無しさん@九周年
09/03/25 00:45:46 5pIyEe/X0
どこにどんな遺跡があるかなんて
今の技術じゃ全部掘り返してみないとわからんでしょ。
将来的には人工衛星から観測すればわかるように
なるかもしれん。

279:名無しさん@九周年
09/03/25 00:47:35 oE6ndT8k0
>>276
意味不明
明治に近代国家の意識を発揚させる以前から
日本という国家の意識はあったでしょ?

それも否定するの?

280:名無しさん@九周年
09/03/25 00:48:47 LbJKEGvr0
>>272
一応断っておくけど朝鮮民族は無関係だからね。
日本人は半島から来たとか電波はいらないから。逆だから。
日本人が朝鮮半島に渡って、南部に住んでたんだからね。

つか記紀神話がなんで編纂されたと思ってンだ?

>>278
都市が出来る場所は古代も現代も変わらない。
都市部はほとんど掘り返されている。
後は取りこぼし分じゃないかな?

281:名無しさん@九周年
09/03/25 00:49:47 kt7Dv0ov0
北斗の拳の修羅の国も、
四国説と台湾説があったが、
こっちは決着が着いたのかな


282:名無しさん@九周年
09/03/25 00:56:19 5pIyEe/X0
>>280
都市部っていっても住宅地なんかはそんな深く掘り返してないだろう。
一般住宅の下に遺跡が眠っている可能性があるな。

283:名無しさん@九周年
09/03/25 00:58:51 4p5sRyXjO
>>279
あったとしても精々EU的な繋り止まりと考えています。

>>280
記紀神話が成立した時代の話はしていません。

284:名無しさん@九周年
09/03/25 01:02:08 RoBc6WXE0
>>282
今住んでる所の近くに、公務員宿舎があったんだが
古い造りだったんで、掘り返したらそのまま貝塚が丸ごと出てきた。
もともと貝塚は近くに結構あるんだけど、珍しいモノが結構出てきたらしい。

都内でもこんなんだからな。地方だと、もしかしたら調査もせずに潰しちゃうのかも知れないけど。


285:名無しさん@九周年
09/03/25 01:06:35 5pIyEe/X0
>>284
うちの近所にも秘密の貝塚があるんよ。
おれが子供の頃に見つけたんだけど
まだ学術的な発掘がされていない。

286:名無しさん@九周年
09/03/25 01:08:35 LbJKEGvr0
>>282
堆積土の厚さ次第だね。大阪なんかはちょっと掘ったらすぐに出てくるよ。
池上曽根がまさにそれで、現在のR26沿いの広大な地域が何十年も開発出来なかった。
逆に言えば、潰された遺跡もどれだけあることやら。

287:名無しさん@九周年
09/03/25 01:09:41 ubnQggPZO
特異な張型

288:名無しさん@九周年
09/03/25 01:10:44 5pIyEe/X0
知ってか知らずか潰されたほうが多いような気がするよ。
だって工事が遅れるもん。

289:名無しさん@九周年
09/03/25 01:15:32 s0U938kS0
>>189
えーっと、その朝鮮語って言うのはどの時代の朝鮮語?
当時の朝鮮語って音価判明してるの?

290:名無しさん@九周年
09/03/25 01:17:31 2npJ5xwI0
「親魏倭王」の金印など
とっくに見つかっていて
とっくに鋳潰されてしまったような気がする。

291:名無しさん@九周年
09/03/25 01:19:21 RoBc6WXE0
未だにナラ=奈良を信じてる池沼がいるのか。

ワッショイ=ワッソとか
剣道=クムド
侍=サウラビ

いろいろあるねぇw

292:名無しさん@九周年
09/03/25 02:28:44 8WaIO4ax0
陣内孝則がバイトで発掘してたそうだが
何か見つかると、いろいろめんどうなんで
出てきてもそのままゴミの方に入れてたって

293:名無しさん@九周年
09/03/25 03:13:18 JTaZJfvN0
陣内、人間やめて欲しいな

294:名無しさん@九周年
09/03/25 03:59:03 7/2+JIuQ0
同意

295:名無しさん@九周年
09/03/25 04:02:00 VKFJDGxtO
高速使って奈良に行くぞぉ!

296:名無しさん@九周年
09/03/25 04:13:36 FF4cCPg0O
発掘は土地所有者の負担で出土品は国の物。
他人の金で教育委員会が掘るから遠慮しない。
わざわざ土地所有者のために配慮することはない。

297:名無しさん@九周年
09/03/25 04:46:39 0tYKuKvW0
「水行二十日」「水行十日陸行一月」が九州内で収まると本気で思ってるバカはいないだろうなw

298:名無しさん@九周年
09/03/25 05:04:32 p/UcIf2q0
あの行程の部分って一番いい加減に書いているところだと思うけど

299:名無しさん@九周年
09/03/25 05:09:29 DwWx5EPg0
>>296
そんな事は無いぞ?バブル崩壊以降金を出す側もかなり五月蠅くなって来てる
ので、土日も仕事して工期を短くしたり多少の配慮はするぞ?あくまでも「協
力」してもらってるんだし。何せ法できちんと決まってないからね。いくら裏
書きで強みがあるとは言ってもね。議員使われたらもっと配慮しないといけな
いし。それから出土品は遺失物法で警察に届が出されるのだが、自分の祖先の
物だと証明できればその人の所有になるぞ?まあほとんど証明できないけどね。
その結果国庫(実質は都道府県)が管理する事になるわけだ。拾得物と同じね。
 それと土地所有者が個人住宅を建てる場合は国庫補助だからな。

300:名無しさん@九周年
09/03/25 05:10:54 it6MlTQM0
>>297
個人的には畿内説支持だが
公平を期す為に言っておくと・・・

その日数も実際に移動に費やした日数だけじゃなく
悪天候のための移動の中止
ひょっとして各地での熱烈歓迎式典の飲めや歌えのドンチャン騒ぎ

・・・等々もコミコミって説もあるw

それに加えて所謂「放射説」(あるクニを起点に放射状にコースを読み取る)
を加えるなら北九州をも比定地に考える必要があるw




301:名無しさん@九周年
09/03/25 05:12:28 UHWoZ4Xu0
邪馬台国の東側が海で、その先も倭人の国というのなら
邪馬台国より大きな国が奈良にあったというだけじゃないの?

302:名無しさん@九周年
09/03/25 05:17:45 RfWeAa/Y0
卑弥呼ってAV女優にはお世話になりました

303:名無しさん@九周年
09/03/25 05:58:53 pX9Ey5AjO
>>279
> 明治に近代国家の意識を発揚させる以前から
> 日本という国家の意識はあったでしょ?

江戸時代にそんな意識持ってたのは上層部の極一部だろ
ていうか何でお前の意見を否定すると左翼になるんだ?

304:名無しさん@九周年
09/03/25 06:07:36 BbKU3yJN0
>>297
>「水行二十日」「水行十日陸行一月」が九州内で収まると本気で思ってるバカはいないだろうなw

あなたは『魏志』倭人伝の内容をそのまま信じているバカですね わかります

305:名無しさん@九周年
09/03/25 06:23:17 k7dBTeGn0
>271
朱のついた割石が散乱しているのが
(つまり竪穴式石室の可能性大)
墳頂部で確認されているので
乱掘されている。
めぼしいものが残っているのかどうか・・・・
鏡の破片はあると思われ

306:名無しさん@九周年
09/03/25 06:25:15 jlWkhduEO
卑弥呼ならこの前、劉備と戦ってたぞ

307:名無しさん@九周年
09/03/25 06:42:03 Dc7IP7RPO
本当は四国徳島あたりだよ。





ソースは昨日のテレビ東京

308:名無しさん@九周年
09/03/25 07:22:15 PKSuh+U60
>>301
>邪馬台国の東側が海で

んなこと書いてないぞw
ネットで原文も読めるんだから読んでこい!

309:名無しさん@九周年
09/03/25 07:31:35 P6Xz+5ql0
>>304
邪馬台国そのものが魏志にしか登場しないんだから魏志を参照するのは当たり前だと思うんだが?
あんたみたいな“お利口”さんは、脳内ソースで幻の邪馬台国でも探していなよw

310:名無しさん@九周年
09/03/25 07:38:27 V8v6Qc6Y0
これだけうじゃうじゃいろいろ出てくるんだから
日本は昔から人口の多い国だったんだろうなぁ

311:名無しさん@九周年
09/03/25 07:38:35 4p5sRyXjO
普通に読んだら台湾辺りという話もありますけど。

312:名無しさん@九周年
09/03/25 07:44:56 k0g7aj6f0
308 :名無しさん@九周年:2009/03/25(水) 07:22:15 ID:PKSuh+U60
>>301
>邪馬台国の東側が海で

んなこと書いてないぞw
ネットで原文も読めるんだから読んでこい!


これがいわゆる「釣り」というものなのでしょうか
女王国の東に海があり、そこを渡るとまた倭種がいる
当然、女王国の東には海が拓けていなければならないわけです
女王国は大和でも九州の筑後、肥後でもないということがこの一節から容易に導かれます

313:名無しさん@九周年
09/03/25 07:46:16 h0q59aox0
>>311
前スレにも琉球説のコテハンがいた
まったくそのとおりだけど
簡単に常識的なおさらいをすると

旅程の面では九州説不利
方位の面では近畿説不利

そこでお互いの弱点をカバーするために
九州説は放射状に記述していると考えたり
畿内説は方位を90度修正して読み直したりしているが
どちらも決め手にかける

だから
長らく行われていた文献上の論争では決着がつかず
現在は考古学的研究が優先されている

あと民族の話だけど
DNA分析による最近の研究では
従来の縄文人弥生人二分説は否定されつつある
アイヌを含む原日本人の遺伝子的特質は
もっと古い時代にすでに形成されていたということのようだ

314:名無しさん@九周年
09/03/25 07:49:45 +DsVvDXoO
邪馬臺国ではなく
邪馬壱国『旧字』です
原典は!

315:名無しさん@九周年
09/03/25 07:51:48 VPcb/4P00
松岡徹氏(55) は大阪市職員なのだ



316:名無しさん@九周年
09/03/25 07:54:34 4p5sRyXjO
>>313
かように当てにならない、という意味でして。

あと、仮に遺伝子レベルで差は無くともアイヌも隼人も別民族ですよね?

317:名無しさん@九周年
09/03/25 08:06:22 w7mB+JXb0
畿内説だと纏向遺跡が邪馬台国ってことなんだろうけど。
九州説でココが邪馬台国だという遺跡って実際に出てるの?

318:名無しさん@九周年
09/03/25 08:08:14 /dfZg8rhO
AV女優でいたよね

319:名無しさん@九周年
09/03/25 08:14:42 EpD4Z2uD0
卑弥呼の宮殿つったって、ローマの遺跡とかと比べたら掘っ立て小屋みたいなレベルだろ。
なんかショボイんだよな、日本の遺跡って。
樹海の中に巨大な石造建築が眠ってねえかなあ・・・・・・


320:名無しさん@九周年
09/03/25 08:15:29 h0q59aox0
>>316
民族の定義ではDNAよりも言語が優先されるから
アイヌ語を持つアイヌはもちろん別民族
熊襲や隼人はまだ実態がよくわかってないんじゃないかな
ずっとあとの律令制の朝廷でも異民族の扱いはしてたようだけど

>>317
近畿は>>1の纒向に候補地が絞られてるのに対して
いまのところ九州は3世紀ごろの遺跡でこれといって有力な候補地はない
だから大分の宇佐神宮を掘り返せとか、宮崎の西都原古墳を調べろとか
言ってる九州説論者が多い

321:名無しさん@九周年
09/03/25 08:18:37 k0g7aj6f0
新羅の脱解王の出身地、多婆那国は倭国の東北千里にあったといいます
この倭国が時代は違えど邪馬台国を指し、多婆那国=肥後の玉名郡であったとすると
邪馬台国、少なくとも倭国と呼ばれる国が当時どこに位置すると考えられていたかは明らかになってきます

322:名無しさん@九周年
09/03/25 08:19:12 JgyMghswP
金印はどっかの神社にありそうな気がするけどなあ

323:名無しさん@九周年
09/03/25 08:21:03 gUcS5i0y0
>>305
やはりそうなるか。
朱が使われているのはホケノ山や黒塚と共通しますね。

>>314
「臺」を「壹」に写し間違えただけでしょ。

だからイヨかトヨかみたいな話も出てくるわけだが
どっちの名前にするかはとりあえず好みの問題。


324:名無しさん@九周年
09/03/25 08:23:52 zpeAIHL20
>>323
連想ゲーム的には、「豊」に通じるトヨのほうがしっくりくるんだよなぁ

325:名無しさん@九周年
09/03/25 08:27:02 aXIO3VpA0
九州説は、畿内説論者が一致して候補地とする纏向遺跡を
まるで親の仇のように白眼視し、罵り、価値を低めようとする。

纏向遺跡は、初期前方後円墳の出現の地として大変な価値を持つ。
倭人伝の記述がどうであれ、纏向が極めて重要な遺跡であるのは自明の理なのに
九州説論者の多くはそのことを理解できていない。

というよりも、九州説論者の多くは、この頃の列島各地の考古遺跡を見ようともしないのだ。
出雲や丹後半島にも大陸の影響を受けた重要遺跡が目白押しなのに、
彼らはそうしたことについてはまるで無知なのである。
中には、足もとの九州の遺跡についても、何も知らず何も学ぼうとしない不勉強な輩さえいる。

326:名無しさん@九周年
09/03/25 08:28:25 gUcS5i0y0
>>320
もう畿内説というよりは大和説とか纏向説といったほうがよさそう。

>>324
豊鍬入姫命ですか。

327:名無しさん@九周年
09/03/25 09:01:14 e0DJNdKZO
>>239
本好きにはついていけねえw
いつ読むんだよw

328:名無しさん@九周年
09/03/25 09:09:51 3Y+ApN7a0
卑弥呼の時代背景を考えると、この時代は戦国時代ね。
ここが重要。

329:名無しさん@九周年
09/03/25 09:16:40 qc7vOsfn0
卑弥呼には昔ずいぶんお世話になったw

330:名無しさん@九周年
09/03/25 09:33:20 WOkSvKp70
日巫女 が正しい。
お前ら何時まで流されているんだ

331:名無しさん@九周年
09/03/25 09:54:50 b7lvriUp0
卑弥呼と壱与は俺の嫁
異論は認めん

332:名無しさん@九周年
09/03/25 09:56:44 I1xN0k+V0

イヨタン・・・・・・・・・・


333:名無しさん@九周年
09/03/25 09:58:08 5OUcpBQHP

卑弥呼っていっても
エジプトでピラミッド立てて栄えた文明の数千年後の話だろ




334:名無しさん@九周年
09/03/25 10:18:59 5vwE3hN+0
肥前肥後の「肥(火)」国がかつてあった、
その王族から擁立されたのが卑弥呼、
呼は当時の発音で「wo」「ho」だとすれば、
卑弥呼は「肥(火)の『ミホ』」。

火野正平の先祖のミホちゃんだったのかー?!

335:名無しさん@九周年
09/03/25 10:24:20 yuTTLQAy0
>>325
九州論者って日本の成立を少しでも遅くしたい反日思想家なんだから仕方がないよ。

336:名無しさん@九周年
09/03/25 10:40:44 ukRJm11NO
大陸系騎馬民族がどーたらと同じだろwww

337:名無しさん@九周年
09/03/25 10:44:04 3BYsw6R/0
>>321
>新羅の脱解王

誰だそりゃ?
朝鮮半島には日本の古事記より古い文書は残っていないと聞いたけど…そんな伝承に信憑性があるのかいなw
朝鮮関係で信頼できるのなんて同時代の遺物の広開土王碑ぐらいじゃねーの?

338:名無しさん@九周年
09/03/25 10:52:25 p/UcIf2q0
>>324
そもそも「原典」は存在しないんじゃなかったっけ?
最も古い写本が漢代とか
で、その写本は壱になっている
でも、蛮族の名前に「臺」の字を使うとは考えにくいとか

339:名無しさん@九周年
09/03/25 10:53:26 VKQAzs/n0
四国の旧家とか家宝に王剣持ってたりするけど
隠してるから歴史家の眼にふれることないんだよね

340:名無しさん@九周年
09/03/25 10:57:24 VKQAzs/n0
ああ、山窩かw

341:名無しさん@九周年
09/03/25 11:00:40 76r4qU5d0
>>338
漢代って……三国時代より古くね?

342:名無しさん@九周年
09/03/25 11:05:05 vDD9ZsTqO

またどっかの歴史好きなオジサンが自作して埋めてたら楽しいんだけど

343:名無しさん@九周年
09/03/25 11:10:17 K/tp+Uma0
ローマより凄くないとか
エジプトより古くないとか
言っている奴って日本人っぽくないなぁw

そこはかとなくキムチくさい…

344:名無しさん@九周年
09/03/25 11:14:08 p/UcIf2q0
>>341
あ、間違えた
どうも調べてみると宋の時代みたい

345:名無しさん@九周年
09/03/25 11:18:50 U8G5lJS40
魏の使者は邪馬台国まで行ってない。
伊都国でとどまった

という説はどうなの?

346:名無しさん@九周年
09/03/25 11:19:08 gR0DmDo1O
8('A`)8

347:名無しさん@九周年
09/03/25 11:19:33 BW+bFZsK0
かつて考古学的には九州説有利と言われた時代があった。
しかし、時代が下がり、いろいろな場所で発掘が進んだ結果、
真っ先に九州説を捨てたのは、九州の考古学者だった。

それは、九州内で弥生後期に最も栄えていた場所が玄界灘に面した、
前原。博多周辺であることがはっきりしてきたからだ。
この両地区と九州内の他の地域との格差は歴然としていて、
九州島内に王都を求めるとしたら、
この両地区以外にはないことが分ってきたのである。

では、この両地区に邪馬台国をあてる事ができるかと言えば、
当然できない。倭人伝の地理記述が不正確なものであるとしても、
博多辺りの国を水陸それぞれ1月もかかる場所と考えるには
あまりにも無理があるからだ。

そうすると、この玄界灘に面した地区以外に
邪馬台国を求めなければならないのだが、
九州島内にはそれにふさわしい候補は存在しない。
のみならず、弥生時代末期ともなると、
前原。博多周辺をのぞく九州各地をはるかに凌駕した内容をもった
地域がいくつも出現してくる。吉備、出雲、丹後などである。
ここに、このスレの話題である巻向も含まれる。
このような現状で、邪馬台国を九州に収める必然性は、ほぼ皆無である。

現在、巻向の調査結果はこれが卑弥呼の都であると言うには
あまりに不十分である。したがって、邪馬台国が巻向であるということで
決着させるのはあまりに時期尚早である。これは確かである。

しかしもう一つ確かなことがある。
それは、邪馬台国が九州にはないということだ。


348:名無しさん@九周年
09/03/25 11:19:41 x1lxMCcF0
>>330
古代では卑弥呼はピミウォと発音するらしいんだけど
日巫女も当時の発音でピミウォになるの?

349:名無しさん@九周年
09/03/25 11:20:35 HHVTEtrJ0
>>343
は? 他の古代文明より日本の方がすげーって言ってる奴こそ
キムチと同じ脳だろww

350:名無しさん@九周年
09/03/25 11:23:08 rLyzSUUI0
ははにはふたたびあひたれどもちちにはいちどもあわず

351:名無しさん@九周年
09/03/25 11:27:35 5vwE3hN+0
>>347

つ 古田読み

   URLリンク(classic.music.coocan.jp)
   古田武彦氏の「九州王朝」説

352:名無しさん@九周年
09/03/25 11:30:43 7sqh7fwH0
>>349
>他の古代文明より日本の方がすげーって言ってる

誰も「ローマより凄い」とか「エジプトより古い」なんて言ってないでしょ?
ローマやエジプトを持ち出して日本を貶めようとする態度がキムチくさいと言っているのですよw

353:名無しさん@九周年
09/03/25 11:32:44 bG0Eduef0
せめて古代天皇の在位年代がはっきりすれば卑弥呼の比定もしやすくなるのにな。
とにかく史料が少なすぎる。
どっかから当時の石碑や竹簡が発掘されないものか。

354:名無しさん@九周年
09/03/25 11:32:47 GkMPFlfE0
>>347
邪馬台国は元々九州あたりにあって、連合王国の中心国になったことで
支配地域の中心である畿内に移動した可能性は?
これが神武東征の元になったかも。

355:名無しさん@九周年
09/03/25 11:34:04 vmv3K39L0
>>351
古田か……「津軽外三郡史」という偽書を本物だと信じている電波系の学者さんですなw

356:名無しさん@九周年
09/03/25 11:35:55 jFVXGe330
魏志倭人伝には興味が無い。
マキムク遺跡に興味がある。
そういう人が増えてきて古代史ファンが
全体的に健全になってきたのは良いことだと思う。

357:名無しさん@九周年
09/03/25 11:36:28 jaKR1eQNO
歴史が変わるようなことはしてはいけないよ。

歴史がね・・・

358:名無しさん@九周年
09/03/25 11:43:21 i/vLXd6p0
>>350
それって室町時代には母は「ファファ」だか「パパ」とかだったって話だろ?
実際どうだったんだろうな。
一休さんの歌も変わっちゃうねぇw

359:名無しさん@九周年
09/03/25 11:44:23 h0q59aox0
>>353
そういわれても
日本国内での最古の漢字使用例はいまのところこれだから

URLリンク(www.city.matsusaka.mie.jp)

4世紀前半だから卑弥呼の時代の数十年あとってことになる
もちろんこの当時も漢字は使われていたはずだけど見つかってない

もちろん単に漢字を記したものということならもっと古いものもあるけど
すべて大陸伝来のものだから、天皇の在位記録を期待するのは無理

そのあたりをグチるならBC660年起源
なんてトンデモな引き延ばしをやった記紀の編纂者にいってくれ w

360:名無しさん@九周年
09/03/25 11:44:49 rLyzSUUI0
昔の昔の人はピって言ってたのを
昔の人が怠けてフィとか言って
今の人はさらに楽してヒって言ってる

361:名無しさん@九周年
09/03/25 11:50:51 YM9bzQ050
モモソ姫が卑弥呼なら、なんで古事記や日本書紀に
それらしいことがまったく書かれてなくて、
神ぐう皇后(←変換できない)のところに書かれてるの?

362:名無しさん@九周年
09/03/25 11:59:14 OPAWBGe00
>>351
一部狂信者を除いて、だれにも相手されてないのが現実。

>>354
九州をなんとかして残すにはそれ以外ない。
大和岩雄なんかが典型。

ただそれでも、水行10日陸行一月でたどり着く場所は九州じゃない。
にもかかわらず何でいつまでも無理して九州にしがみつくの?って感じ。


363:名無しさん@九周年
09/03/25 12:04:36 WslmMT9r0
>>345
もし魏使が邪馬台国まで行ってないとすると、
南へ一ヶ月みないな話も伝聞ということになる。

首都の位置をはっきりわからないようごまかしたかもしれないし、
日本はこんなに大国だと大げさに言ったかもしれない。
邪馬台国の人口が「7万戸」という、古代としては異常に多すぎる点も
伝聞説を強化している。

伝聞とするなら、方角も距離も怪しくなる。
邪馬台国は日本中、どこにあってもおかしくない。


364:名無しさん@九周年
09/03/25 12:04:39 gxYA26sz0
>>347
弥生時代末期の大和なら、確実なのは纒向よりも唐古・鍵なんでは?
環壕は埋まったり、掘ったりと安定しないものの、
まだまだ人は住んでいるのだから。
纒向の方は隆盛の開始がはっきりしない。
弥生後期までは大した事ないのははっきりしているが。

それから、
> 弥生時代末期ともなると、(略)
> いくつも出現してくる。吉備、出雲、丹後などである。
とのことだが、どれも弥生末期以前から超でかい。

365:名無しさん@九周年
09/03/25 12:07:57 o4R+ZULr0
>>362
伊都国あたりまで、距離を書いていたのに
投馬国から急に日数表記に変わったのはなぜ?

366:名無しさん@九周年
09/03/25 12:10:05 niiqko+k0
>>364
唐古・鍵がサンパウロとかシドニーで
纏向がブラジリアとかキャンベラみたいな関係だったのでは?

367:名無しさん@九周年
09/03/25 12:10:12 OHNnBfTA0
>>362
確かに、南へ水行10日陸行一月かかるのは畿内じゃないな

368:名無しさん@九周年
09/03/25 12:12:12 h0q59aox0
>>361
現在の古墳の推定築造年代が正しいと仮定すると

箸墓は3世紀後半
行燈山古墳(崇神天皇陵)は4世紀前半
誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は5世紀初頭

推定年代のほかに
ほんとにこれらの天皇陵の比定が正しいかどうかも
検討しなきゃいけないだろうけど

応神天応の母后である神功皇后が実在したとしても
250年頃に死んだ卑弥呼にあてるのは厳しいかな

日本書紀の編纂者がなぜ神功皇后紀に魏志倭人伝の記事をいれたかというと、
日本書紀の編年にによる神功皇后の執政期間が201年~269年なので
魏志の卑弥呼と年代的にほぼ合致するからだろうと思われる

369:名無しさん@九周年
09/03/25 12:12:53 m1XoN+fSO
ただの地方豪族だろ。

370:名無しさん@九周年
09/03/25 12:13:41 gxYA26sz0
>>361
国内では既に伝承が失われていたが、
大陸の史書を見て、推理を交えて書いているから。
紀記はモモの逸話も含めて日本最初の邪馬台国畿内論。
モモもジンも正誤どっちの意味でも「怪しい」


371:名無しさん@九周年
09/03/25 12:17:13 0Fudhk2t0
日本じゃぜんぜん無名なのに、
外国で有名な日本人がいるだろ。
卑弥呼っていうのはそういう存在。

韓国で人気という笛木優子とか。
ある時、記録がすべて消失し、かろうじて一部が残った。
そこで笛木優子の韓国の記録が見つかり、
「これが日本の代表的スターだ」と笛木探しをしてるのが
今の状態。

あやしい週刊誌の残骸を調べて、笛木優子とは山口百恵のことではないか、
いや美空ひばりだ、それは時代が合わない、松田聖子だろう
などとやってるのと同じなんだよ。



372:名無しさん@九周年
09/03/25 12:24:55 6hsifEQJ0
この2人、巫女っぽい以外は共通点なさそうだが

●卑弥呼

その国、もとは男子の王であった。

住まるところ7,80年、倭国乱れ、互いに責め合って年が経った。
それで一人の女子を共立して王とした。その名は卑弥呼。

鬼道を使い、人を操る。すでに年寄りではあるが夫はいない。
弟がいて補佐している。

王となってから見た者は少ない。下女1000人を仕えさせ、たった一人の男子のみが
給仕したり伝令したりして出入りしている。

卑弥呼が死に、大きな墓が造られた。その後男の王を立てたが、国中がこれに従わず、
お互いに殺し合い、1000人あまりが死んだ。
そのため卑弥呼の宗女で13才の壱与という女子を女王とし、国中がようやく定まった。

●倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)

孝霊天皇の皇女。

崇神天皇に頼まれて、災害がつづく理由を占う。
大彦命がきいた童歌から武埴安彦命の反乱を予言したうえ、
彼の妻吾田媛と二手に分かれて攻めてくるとも予言し、的中させる。

大物主神の妻となるが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、
倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだ。
箸墓古墳が墓とされる。

373:名無しさん@九周年
09/03/25 12:32:46 hZ2iQbQY0
>320

伊都国の三雲遺跡群、奴国の那珂遺跡-春日遺跡群
鳥栖の安永田遺跡、吉野ヶ里、久留米一帯、
いずれも巻向遺跡より範囲がひろく、遺物もおびただしい。
八女もしかり。
岩戸山古墳のそばにある歴史資料館の館長曰く、
「ここらは古墳時代だけと思われているかもしれないが、
弥生時代の遺跡もものすごく多い。先日も大型の甕棺が運ばれ、
資料館に収納しきれないほど」 と嘆じていた。

3世紀は列島各地に遺跡があるからやはり魏との直接の遺物
がないと決定打にはなりにくい。
やっぱ鏡でしょう。この当時の魏では「右尚方」が官営だった。
右尚方作の鏡が出れば・・・・

>323
>324

東遷説の柳田康雄氏は
「トヨでなくイヨだね」
とぼくに言われたから、
読みはヤマイチ国の支持者でしょう。

374:名無しさん@九周年
09/03/25 12:33:11 h0q59aox0
>>372
人間像としてはそうだね

だからモモソヒメ=卑弥呼説を支えてるのは
主として記紀に箸墓の主として記されてるということかな

>>368 に各陵墓の推定築造年代を示したけど
箸墓は卑弥呼の陵墓としても不自然ではないし
系図的なつじつまあわせでも崇神天皇の大叔母として
時代的に不自然ではないというところだ

それ以上でもそれ以下でもない

375:名無しさん@九周年
09/03/25 12:36:09 7/2+JIuQ0
倭迹迹日百襲媛命 = 卑弥呼

豊鍬入姫命 = 台与

倭姫命(日本武尊の叔母。伊勢神宮創建)

376:名無しさん@九周年
09/03/25 12:36:51 RZfaDgOr0
纒向の搬入土器から判ることは、3世紀頃にこの地に、
北九州や朝鮮や南関東とも交流がある都市があったってことだよな。

尾張・三河・遠江系の土器が圧倒的に多いのは、
纒向のある桜井から、宇陀←伊勢本街道→伊勢を通り、
船で伊良湖や熱田に行くルートが、東国と近畿の交通の
メインルートで(当時は伊勢湾が奥に広く、西濃尾は湿原で通れない)、
桜井はその物流の集積拠点だったということでしょ?

377:名無しさん@九周年
09/03/25 12:38:19 5vwE3hN+0
>>371
>日本じゃぜんぜん無名

さすがにそれは無い。
神功皇后を卑弥呼らしく装うのに日本書紀の編者は必死になってる。

378:名無しさん@九周年
09/03/25 12:41:42 gxYA26sz0
>>372
元々記紀の倭迹迹日百襲媛命の記述が、
倭人伝に影響されている可能性も大なので、
記紀の記述を元に倭迹迹日百襲媛命が
卑弥呼かどうか考えるのは、
堂々巡りみたいなもの。

379:名無しさん@九周年
09/03/25 12:44:52 qUTuiW8x0
吉野ヶ里は伊都国かな

380:名無しさん@九周年
09/03/25 12:56:39 zpeAIHL20
魏志倭人伝に出てくる華奴蘇奴國は昔の読み方で、ハノソノと読むらしい。
また華ノ祖ノ国と言うことで、「漢ン祖ン國」=「秦人(漢の祖)の國」=徐福の建国した國の意なんて説もあるそうだ。

まあ、どこかは知らんが「花園」だな間違いない。

381:名無しさん@九周年
09/03/25 13:01:47 vbzH7ji40
>>379
伊都国は福岡県前原市。
そこの公立の博物館が「伊都国歴史博物館」と名乗ってるから間違いない。

URLリンク(www.city.maebaru.fukuoka.jp)

382:名無しさん@九周年
09/03/25 13:03:57 hZ2iQbQY0
>368
うむ、年輪年代法を鵜呑みにして
箸墓を3世紀半ばにしてしまうとその前後の
列島各地にある古墳まで年代の影響を及ぼしてしまう。
行燈山古墳は4世紀初頭とかになってしまう。
岡山市に箸墓の二分の一の規模の浦間茶臼山古墳があって、
(三角縁鏡出土)吉備地方の3世紀の年代も早まってしまうという欠陥
があることにどうも箸墓=卑弥呼支持者は気がついてないような。

いま発掘担当者の寺沢氏自身、
「年輪年代法によって3世紀の年代が30-50年も早まって
しまうのは考えられない」とのこと。

>376
森浩一氏曰く、
「巻向の列島各地からの搬入土器は過大に評価される
きらいがあって、この当時の各地の遺跡からは相互の土器
が出土するのが普通」
ただ巻向が3世紀の最重要遺跡であることには変わりない。
とくに東海系とのつながりが深いのがどういうことなのか・・・

383:名無しさん@九周年
09/03/25 13:08:19 5vwE3hN+0
× 箸墓=卑弥呼支持者は気がついてない
○ 箸墓=卑弥呼支持者はバッくれてる

384:名無しさん@九周年
09/03/25 13:22:35 gxYA26sz0
>>382
そもそも箸墓古墳(箸中山古墳)が
記紀のいう「箸墓」かどうかも確定しているわけでないのだから、
ホケノ、東田の古墳群も含めて再検討すべきなんだけどな。

385:名無しさん@九周年
09/03/25 13:23:22 3wGSdFH60
卑弥呼おばさんのお墓が見つかればいいのにな

386:名無しさん@九周年
09/03/25 13:41:50 sbJ1hRZv0
おれ、さっきこの遺跡に、「ここは卑弥呼の墓です。」と書いたアイスの棒埋めといたから。

387:名無しさん@九周年
09/03/25 14:00:18 QgpXK7CJ0
>>373
>伊都国の三雲遺跡群、奴国の那珂遺跡-春日遺跡群

王都があるとしたらここだけだね。

>鳥栖の安永田遺跡、

中期の遺跡なので、邪馬台国とは直接関係ない。

>吉野ヶ里、

吉野ケ里は、三雲や博多周辺、壱岐のはるの辻なんかに比べても
相当小さく、とうてい邪馬台国の候補にはなり得ないというのが
昨今の統一見解ですね。

>久留米一帯、

具体性がないな。

いずれにしても人が住んでるだけじゃだめよ。
王都として、ほかから際だったものがないと。

その点、大きさよりも大事なのはむしろ中身。


388:名無しさん@九周年
09/03/25 14:13:58 R41zDvJYP
筑紫といえば筑紫平野だろう!筑紫平野と言えば筑後川下流域なんだ!
なぜ筑紫野市周辺や大宰府ばっかり論議されるんだよう。
いんな狭いところじゃ大都市はムリだろ?
水路陸路でながーい距離になるのは長崎をぐるッと周って
有明海を目指し筑後川河口辺りから上陸したからなんだぜ。
そっから陸路をどこに向かったかはわかんないけど。
そしたらオレんち周辺になるのでそう言う説にする事にした。

389:名無しさん@九周年
09/03/25 14:15:48 HXSInCSd0
>>373
>鳥栖の安永田遺跡、吉野ヶ里、久留米一帯、
>いずれも巻向遺跡より範囲がひろく、遺物もおびただしい。

巻向遺跡 1.5km×2km = 300ha
吉野ケ里 25ha
安永田遺跡 0.6ha

どういう計算をしたら巻向遺跡より広くなるんだ?


390:名無しさん@九周年
09/03/25 14:19:16 HROaYQfD0
邪馬台国が九州であるハズがないだろ。
巻向を越える大きな遺跡もないし、
魏志倭人伝だって九州から邪馬台国までは
相当な距離を船で移動することを伝えてるのに。


391:名無しさん@九周年
09/03/25 14:20:02 YdACl+TI0
>>389
>安永田遺跡 0.6ha

これは間違い。いくつだっけかな。今出てこない。


392:388
09/03/25 14:21:35 R41zDvJYP
あれ、見ないで書き込んだらすぐ上で全否定されちゃってる

393:名無しさん@九周年
09/03/25 14:24:49 Zogd3TyRO
時代が同じなだけじゃ、卑弥呼の宮殿かワカラン。
表札が出れば確実なんだがなw

394:388
09/03/25 14:26:33 R41zDvJYP
ただ見てくれよこの広大さを!
URLリンク(dec.2chan.net)

395:名無しさん@九周年
09/03/25 14:28:05 Xo4oRIwuO
昨日テレビで徳島県説が出てたがどうなんだろ

396:名無しさん@九周年
09/03/25 14:32:37 GoqUxv8uO
畿内説で確定

397:名無しさん@九周年
09/03/25 14:38:29 DaKwbrYR0
>>394
今は広いけど、当時は海が入り込んでいたから、
遺跡は山裾にしかないはず。
記憶で書いてるけど。

398:名無しさん@九周年
09/03/25 14:48:04 daXsm7GP0
マキムクって、八百万の神々が集まって話し合いをしたって言う
出雲みたいな場所だよなぁ。

大神神社の主祭神が大物主=大国主ってのも出雲となんか関係してるんだろうか。

399:名無しさん@九周年
09/03/25 14:52:19 wsedog320
>>382
>岡山市に箸墓の二分の一の規模の浦間茶臼山古墳があって、
>(三角縁鏡出土)

浦間茶臼山古墳からは三角縁鏡は出土していない。
出鱈目を書くな、馬鹿者!

興味本位の新聞報道やアマチュア好事家の古代史サイトばかり見ていても
考古学のレベルは上がらない。
きちんと考古学者が書いたものを読んで勉強しろ!


>>368
>現在の古墳の推定築造年代が正しいと仮定すると
>(中略)
>誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は5世紀初頭

かつてはそのように言われたが、現在は、誉田御廟山古墳は5世紀初頭ではなく、
5世紀の半ば頃の古墳と考えられている。
埴輪の製作技法の編年研究から導かれた年代だが、多くの考古学者がこれに賛同し、通説となっている。

400:名無しさん@九周年
09/03/25 14:59:33 4jW7iSQB0
>>398
出雲族ってのは元々畿内に居た一族。
記紀に従うなら纒向は本来は大国主命の国。
大国主命は東征で神武に抵抗した長髄彦かその一族。

401:名無しさん@九周年
09/03/25 15:03:22 JkeKuufY0
>>377
神功皇后の時代に中国の史書では卑弥呼が朝貢したと書いてるけど違うからね
と示すためにわざわざ引用したという見方がある

402:388
09/03/25 15:41:55 R41zDvJYP
【佐賀】邪馬台国を考える会(仮称)4月に発足 畿内説との討論などを交えながら吉野ケ里遺跡が邪馬台国であったことを究明

吉野ケ里遺跡(神埼市郡)が邪馬台国であったことを歴史、考古学的に究明する「邪馬台国を考える会」(仮称)が四月発足する。
連続講座やシンポジウム、畿内説との討論などを交えながら、市民レベルで九州邪馬台国説を補強していく。

「九州説」を主張する日本考古学会の奥野正男さんを会長に、同遺跡保存に尽力した郷土史家石戸敏治さん(佐賀市)が副会長、
佐賀女子短期大学学長の高島忠平さんが顧問を務める予定になっている。

会では奥野さんの集中講座や同遺跡の現地見学会のほか、「畿内説」を主張する研究者との討論会なども計画。
研究成果は雑誌にまとめたいとしている。

邪馬台国論争では、20日に奈良県桜井市の纏向遺跡で、卑弥呼の時代と一致する3世紀前半の建物跡が確認された。
事務局長の関家敏正さん(佐賀市)は「吉野ケ里が邪馬台国だということを検証し、若い世代に受け継いでもらうため
会を立ち上げる」と期待する。

設立総会を4月19日、佐賀市のグランデはがくれで開く。
問い合わせ先は副会長の石戸さん、電話TEL番は省略しました。

佐賀新聞 2009年03月25日
URLリンク(www.saga-s.co.jp)



スレリンク(newsplus板)

403:名無しさん@九周年
09/03/25 15:42:37 BD7h2u7f0
>>400
「出雲の国譲り」とか
神武が熊野から畿内入りしたとき
「ニギハヤヒがすでに畿内を支配していた」
という伝承が何を示しているのか、だな。

僕は、天皇家がニギハヤヒ一族に外戚で入って
権力を簒奪した、と思ってるんだが。


404:名無しさん@九周年
09/03/25 15:49:02 k0g7aj6f0
>>403
まさにそのとおりなのではないかと思いますよ

405:名無しさん@九周年
09/03/25 15:54:30 4jW7iSQB0
>>403
神武東征・国譲りってのは、卑弥呼が死んで再び内乱が生じた事だと思う。
後の天皇家勢力が、畿内のトップだった大国主勢力を追い落として出来たのが
ヤマト政権。

406:名無しさん@九周年
09/03/25 15:58:50 BD7h2u7f0
>>405
その内乱の痕跡が畿内にありますかねえ。
もし大乱が畿内で起きたのならもう少し証拠が
出ても良いと思うのですが。
弥生末期の高地性集落って畿内周辺にありま
したっけ。

407:名無しさん@九周年
09/03/25 16:08:06 Fvrf6VHi0
神奈川県にある大和だろ
地名的に見て

408:名無しさん@九周年
09/03/25 16:09:08 HXgwiYvj0
4世紀初頭に倭は内乱状態に(西晋の混乱に連動)。その過程で邪馬台国滅亡。
この内乱状態を軍事力で再統一したのが応神(=神武)王朝。これが4世紀後半。


409:名無しさん@九周年
09/03/25 16:10:27 O8l5Y8xeP
畿内勢力(大和朝廷)は、九州勢力が内乱起こしてウマーって事なの?


410:名無しさん@九周年
09/03/25 16:13:23 k0g7aj6f0
>>408
そのとおりだと思いますが
邪馬台国の滅亡はもう少し早かったのではないかという感じもします

411:名無しさん@九周年
09/03/25 16:13:51 ihBQV/Gd0
>>406
高地性集落って弥生末期は近畿地方には普通にあったんじゃねえか?
むしろ、九州のほうがまれじゃなかったっけ?

412:名無しさん@九周年
09/03/25 16:15:09 VKFJDGxtO
出雲族に婿入りして国を譲られたのが饒速日
その饒速日から権力を奪ったのが天皇家ってこと?

413:名無しさん@九周年
09/03/25 16:26:22 it6MlTQM0
>>406
>弥生末期の高地性集落って畿内周辺にありま
>したっけ。

普通にあるよw

有名ドコで古曽部・芝谷遺跡とかかな?
(ただし年代は後期前半あたりとされるが・・・)

あと敵の襲来を知らせるためと思われる狼煙台の跡とかねw


414:名無しさん@九周年
09/03/25 16:43:27 4jW7iSQB0
やっぱ纒向はポテンシャルが高いな。
2chのあっちこっちで邪馬台国論争が勃発してるw

415:名無しさん@九周年
09/03/25 16:45:51 pS6v6EJg0
邪馬台国に関する文献が現存してないんだから。

畿内説を論証するのは無理です。
あきらめなさい、朝鮮人のみなせん。



416:名無しさん@九周年
09/03/25 16:48:17 0FYeGZkq0
暗黒神話を読め。
卑弥呼が餓鬼になったと書いてある。
そして馬頭星雲が地球にやってきて日本武尊が弥勒菩薩になるとも書いてある。


417:名無しさん@九周年
09/03/25 16:48:56 Cdcf8qFN0
出鱈目でも何でも良いから,
誰かこの辺の時代までで
小説か漫画を作ってれくよ。

418:名無しさん@九周年
09/03/25 16:49:01 IO+sR9S70
ひみこみこみこひみこみこ

419:名無しさん@九周年
09/03/25 16:51:02 sccoHh8i0
狗奴国の男王「卑彌弓呼」が神武だろ。
卑弥呼は魏と組もうとした売国奴。
それを阻止したのが神武。
邪馬台国が滅びなければ支那の冊封体制に組み込まれていた。

420:名無しさん@九周年
09/03/25 16:51:20 VPcb/4P00
まず しんぶん赤旗HPで 明確だが

大阪市の見張り番のおばチャとか オルクて 共産党の政治用語かな

東大共産党細胞 渡辺恒雄とか

「反貧困・春の大相談会」に参加した人 大阪市 北区役所

大阪市職員とは いかがなものは

民主党 長妻昭議員に質問に質問したいのだが

民主党参院議員、松岡徹氏(55)の 問題だよ

きえた年金じゃあ ない ヤミ給料 ヤミ年金の問題だよ 

解放同盟の専従だからが 解放同盟が給料 年金を払いが正解だろう

なぜ しんぶん赤旗が追求するの?

「反貧困・春の大相談会」に参加した人たちで、大阪市北区役所では

松岡徹氏(55)は いまでも 大阪市職員  なの?

極道キャスター 角淳一 守口警察との 戦いは続く








421:名無しさん@九周年
09/03/25 16:52:46 pS6v6EJg0
金印くらい見つからないと駄目じゃない?

ひみこって書いてある。

422:名無しさん@九周年
09/03/25 16:54:48 it6MlTQM0
>>416
暗黒の神
暗黒の神
暗黒の神



423:名無しさん@九周年
09/03/25 16:55:11 LZKAUTWL0
文字の書いたものでも出てくれれば、いいんだけどね。

424:名無しさん@九周年
09/03/25 17:11:10 gxYA26sz0
>>406
高地性以外にも環壕集落、矢尻の刺さった遺骨など、
弥生後期の大和を含めた西瀬戸内海は、大乱の痕跡だらけです。
環壕集落は纒向と目の鼻の先の鍵・唐古があります。

425:名無しさん@九周年
09/03/25 17:17:01 BD7h2u7f0
>>424
そうですか。どうもありがとうございます。
やはり現天皇家に落ち着くまでに色々あったと。
記紀はそこを隠したいんでしょうね。

426:名無しさん@九周年
09/03/25 17:28:58 gxYA26sz0
>>424
西瀬戸内海→東瀬戸内海

427:名無しさん@九周年
09/03/25 17:46:45 Xg+lye9G0
マクモニーグルは山口県だって言ってたよ。


428:名無しさん@九周年
09/03/25 17:53:21 WPm8HSnK0
不景気の影響で邪馬台のラーメンが人気らしいな

429:突っ込んでやるよ
09/03/25 17:58:26 it6MlTQM0
>>428
それマルタイな

430:名無しさん@九周年
09/03/25 18:08:39 sccoHh8i0
>>425
記紀は全然隠してないよ。
神武は武力で平定したことだって、そのまま書いてあるじゃん。


431:名無しさん@九周年
09/03/25 18:10:06 naMExVOc0
>>423
神代文字だったりして

432:名無しさん@九周年
09/03/25 18:33:47 4jW7iSQB0
>>430
出自の正統性や武力行使の正当性を隠したいってことでしょ

433:名無しさん@九周年
09/03/25 18:43:17 +HHSb6xEO
>>416
俺は徐福伝が好き
あれ読むと内臓を触られたかのような妙な気持ちになる

>>417
ナムジ/安彦良和
神武/安彦良和
を読め

434:名無しさん@九周年
09/03/25 18:58:14 CaDQ51OU0
>>433
諸星は面白いが、安彦は絵は奇麗だがストーリーはイマイチだな。
藤原カムイの「雷火」こそ嫁!

435:名無しさん@九周年
09/03/25 18:59:28 kTEqiQle0
雑誌「ユリイカ」のいま出てる号(だと思う)が諸星大二郎特集です。
「マッドメン」が特に取り上げられています。

436:名無しさん@九周年
09/03/25 19:04:54 3gLLFiII0
『マッドメン』は良いよな…
漫画に合わせて「そうかオノゴロ島かー!」と呟くくらい感動したよw

437:名無しさん@九周年
09/03/25 19:11:24 aXd6R7o+0
>>433

古すぎて支離滅裂。
神話解釈は笑うしかない。

438:名無しさん@九周年
09/03/25 19:18:20 kTEqiQle0
とかいいつつ、ミーハーな俺は
星野の「ヤマトの火」「ヤマタイカ」が大好き。
何をたくらんでおる熱雷草作!

439:名無しさん@九周年
09/03/25 19:21:35 K/CvyMjNO
徳島にあったとテレビで見たよ

440:名無しさん@九周年
09/03/25 19:23:31 pDtP7Gdv0
徳島には失われたアークとモーゼの墓もあるよw

441:名無しさん@九周年
09/03/25 19:34:25 0sUzOGL00
卑弥呼畿内派は三角縁神獣鏡を見つけては
「ここも邪馬台国の勢力圏」と騒ぎたがるが、
魏の鏡は小さいので三角縁神獣鏡の大きさでは
魏から卑弥呼に下賜された鏡という事は有り得ない。

問題は銅鐸と同様に三角縁神獣鏡についても
重要な神器だったとしか思えないのに
古事記日本書紀に触れられていなそうな事。

銅鐸を祭事に重用した勢力も
三角縁神獣鏡を祭事に重用した勢力も、
大和朝廷が成立するまでの過程で駆逐されたと考えるしかない。

継体天皇と伴に越から入った勢力が競り勝ったという事か?

ちなみに纒向遺跡のあたりでは黒塚古墳からしか三角縁神獣鏡は出ていない・・・

442:名無しさん@九周年
09/03/25 19:36:22 wPxouth10
卑弥呼は56億7千万年後の未来でアマテラスになったのかもしれない・・・・

443:名無しさん@九周年
09/03/25 19:41:39 2qSEEde10
邪馬台国の卑弥呼
ヤマタイ国のヒミコじゃなく、ヤマト国のヒメミコなんじゃないかと個人的には思うけどなぁ

444:名無しさん@九周年
09/03/25 19:46:44 aXd6R7o+0
>>441

どんなに強弁しても、
東遷説は成立しませんよ。

邪馬台国は九州にあった。でも、畿内の大和王権に征服された。それだけ。


445:名無しさん@九周年
09/03/25 19:50:00 0sUzOGL00


邪馬台国九州派ですけど?

446:名無しさん@九周年
09/03/25 19:55:21 gxYA26sz0
>>441
三角縁神獣鏡は祭具っていうよりも葬具って言われてる。

> ちなみに纒向遺跡のあたりでは黒塚古墳からしか三角縁神獣鏡は出ていない・・・

支配した地方に配ったものだから出ないって言っていたのが、
黒塚古墳から大量(33枚!)に出て、しかもバリが取ってなくて、
鏡面は磨いてなくて、棺の外にあった。全部棺の方を向けて。
中には画文帯神獣鏡が一枚あった。

この一件がとどめで卑弥呼の鏡と考えるものはほとんどいなくなった。




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