09/03/23 12:58:32 f9VCsq4HO
まあ、日本書紀は「一書に曰く」と複数の資料があれば列記し、よくわからない
ものがあれば、後世の研究に委ねるという意味の言葉を付けている。
かなり素朴に編纂され、中国的な史書と趣が違う。
いわゆる魏志倭人伝でも魏略という先行史書からの書き写しがあり、これは魏志
にその旨書かれていないが、後世の学者が付けた注釈に書かれている。
こういうねが普通なわけ。
今の学会は日本書紀の編纂者の意図にたいして捏造だ創作だと穿ち過ぎではない
かと危惧する。
日本書紀の編纂は、天皇の正統を求める意図が中心である。
しかし、内容は矛盾が多い。創作や捏造をしたならもっと整合性があるだろう。
用語の統一などは編纂時に行われているが、内容は国内外の資料の整理をしただけに見える。
年齢なども伝承のままとし繋ぎ合わせた結果が皇紀2660年ではないだろうか。
魏志と突き合わせた時、卑弥呼の時代に当たるのは神功皇后の頃だった。
しかし、皇后には即位の伝承が無い。しかし、天皇が崩御し一時的に代わりを務めた逸話はある。
二つの伝承を突き合わせた結果、皇后には特別に「紀」を立て、魏志からの引用をもって疑問としている。
他にも一時的に天皇の代わりを務めた女性皇族はいたが「紀」は立てられていない。
やはり、魏志との突き合わせの結果ではなかろうか。
編纂者は現代の学者より真面目に見える。