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★記者の目:死刑寸前で無実となった米国人の告白=小倉孝保
・ニューヨーク赴任以来、継続的に死刑問題を取材しているが、国家が人命を奪うことを
どう考えるべきか自問する毎日だ。日本では5月に裁判員制度がスタートし、市民が死刑と向き合う
ことになるが、死刑を自分たちの問題として考え直すチャンスだと思う。しかし、日本ではその前提
となる情報が決定的に不足している。死刑は法務省だけがかかわる問題ではないはずだ。
先日、テキサス州に住むケリー・クックさん(52)を訪ねた。
クックさんは77年、女性(当時21歳)を殺害した疑いで逮捕、起訴され死刑判決を受けた。97年に
捜査のあやふやさがようやく認められて無罪が確定し釈放されるまで20年間、死刑囚として暮らし、
同じ施設から死刑囚141人を見送った。今では、DNA鑑定で完全に無実が証明されているが、88年には
執行日も決定。11日前に連邦最高裁が延期を命じなかったら、刑場の露と消えるところだった。
さらに、クックさんは87年、兄を殺人事件で失っている。そのショックから2度、自殺を試みた。
犯罪遺族としての苦しみも知るクックさんだが、「無実の人の命を奪う可能性が1%でもあるなら、
その制度には反対。兄を殺した犯人でも死刑にしたくなかった」と言う。
クックさんを死刑と評決したのは12人の市民(陪審員)。しかも再審でも陪審は死刑と評決している。
評決はいずれも全会一致。市民感覚が生かされるはずの陪審はなぜ、判断を誤ったのか。
「陪審制度でも、検察と裁判所が裁判をコントロールする。陪審は検察側の主張に疑問をはさむ
材料を持たない」とクックさんは言う。
さらにクックさんが問題にするのは、市民の死刑への無関心だ。死刑囚がどんな思いで日々を送り、
どうやって「国による殺人(死刑)」が行われるのか、市民はほとんど知らないという。「私自身、逮捕前に
死刑について考えたことはなかった。悪いことをしたのだから、命を奪ってもしようがないと思っていた」と言う。
(>>2-10につづく)
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