10/07/03 21:04:13.51 XZGRBdDh BE:2242785986-PLT(12001) ポイント特典
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「家族や仲間に励まされ、前を向いて帰って来れました」
パラグアイ戦でPKを外し、一躍“有名人”になったDF駒野友一(28)が、
この日(1日)、帰国会見の後でそう照れながら話した。
敗戦後は号泣し、一睡も出来ないほど落ち込んだそうだが、
「悔しさを心に刻み、またPKの場面があれば自分から手を挙げて蹴りにいきたい」と、
吹っ切れた表情を浮かべた。
和歌山県海南市出身。小2で地元クラブに入団し、
中学で関西選抜チームに選出されるなど早くから注目を集める有望選手だった。
高校は親元を離れて広島県立吉田高に進学し、Jリーグ広島のユースに入った。
2000年の卒業と同時に広島とプロ契約。08年に移籍した磐田ではMFのポジションもこなし、
04年アテネ五輪、06年ドイツW杯に招集され代表歴は長い。
サッカーエリートにも見えるが、その半生は幾多の挫折やケガに見舞われてきた苦労人だ。
「駒野は中3のときに父親(当時44)を病気で亡くし、
姉と弟の3きょうだいを女手ひとつで育ててくれた母・友美子さんを楽にさせてあげたいとプロを目指した孝行息子です。
ミカン園を経営する友美子さんに駒野は18歳から仕送りを始め、
1歳年下の弟が大学に進学した際は、4年間の学費を全額面倒見ている。
その性格は攻守にわたって走り回り、献身的に汗をかくプレースタイルそのもの。
地味で、歩みは遅くともひたすら前へと進む姿から『カタツムリ』というニックネームもあったようです」(専門誌記者)
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