10/06/04 19:09:08.81 RFq/0dIY BE:273212892-PLT(12000) ポイント特典
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難病を乗り越え、画家として再起した美祢市美東町綾木の大海(おおみ)康史さん(62)の個展が、3日から山口市天花1の市菜香亭で始まった。
「誰かを勇気づけられるような絵を描いていきたい」と一筆一筆、思いを込めた作品約80点が並んでいる。7日まで、入場無料。
イタリア料理のシェフだった大海さんが「余命1年」と宣告されたのは06年6月、美祢市にレストランを開こうとした矢先だった。
悪性リンパ腫。抗がん剤の副作用で全身の毛は抜け落ち、一時は声も出せなかった。1年間の闘病の末、奇跡的に回復し、自宅療養を始めた。
子どものころから絵を習い、趣味で筆を走らせていた。「元気出して。リハビリになるから」と看護師から描くことを勧められ、看護師自身が描いた宍道湖の抽象画を手渡された。
「生きる希望がわき、絵を描くことを思い出した。生きた証しを残そう」と、絶望のふちに立っていた大海さんは色鉛筆をとった。
当初は指を動かすこともままならなかったが、数カ月後、24色の色鉛筆で細微に風景を描き出す作風を確立した。
昼下がり、大海さんのアトリエ兼自宅を訪れた。ちょうど一枚の絵が完成直前だった。色鉛筆で塗っては電動消しゴムで余分な線を消していく。
「こうするとツヤが出るんだ」と布で画用紙の上をこすりだした。夕焼け空の下、富士山が湖面に輝きだす。まるで写真のような精密さだ。
病状は安定したが、完治したわけではない。今も一日50錠の薬を飲む。
「死ぬ思いをして感受性が変わった。病気にならなければ絵は描けなかった。今はもう、絵を描くことが生きることそのもの」と笑みを浮かべた。【佐野格】
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