10/05/30 13:53:07.53 7utW0dzn
>>1の続き
―記者に抵抗感はなかったのでしょうか。
平野 それが当たり前の時代でしたから。でも、朝日新聞の記者だけは応じませんでした。「自分の信条だ」とか何とか言ってました。
ほかの記者は、政治家や派閥と仲良くやって情報を取る、それが仕事だと思っていて、後ろめたさは持っていませんでした。
また、そういう記者がその後出世して行きましたよ。
■封筒の厚さからすると、30万円程度かそこら
―今の話に出てきた記者の中で、今も政治評論家などで活躍している人はいますか。
平野 活躍というほどではないですが、現役の評論家もいます。某紙では幹部になった人もいますが亡くなりました。
―そうした慣行は、ほかの政治家担当の記者たちの間でもあったのでしょうか。また、いつごろまで続いたのでしょうか。
平野 私たちが特別な事をしている、という意識は当時全くなかったですね。野党対策もマスコミ対策も「世論対策」という意味では
同じでしたから、広く行われていたと思います。以降は、私たちの10年下ぐらいまでは続いたでしょうか。感覚的に、ですが。
―ほかにも機密費のマスコミへの使用経験はありますか。
平野 非自民・共産の連立政権である羽田孜内閣(1994年)のときにあります。当時私は参院議員で、自民を離党し小沢(一郎)さんたちと
与党の新生党にいました。あるとき、熊谷弘・官房長官と私とある政治評論家の3人で食事をすることになったのですが、熊谷さんが急に行けなくなりました。
その際、評論家の人に渡すように、と熊谷さんから封筒を預かりました。中は現金で、厚さからすると、30万円程度かそこら、50万はなかったですね。
料理屋で渡すと彼は自然に受け取りました。あれは間違いなく機密費でしょう。そう説明を受けた訳ではないですが。
彼は今でもテレビなどで時々見かける活躍中の人です。名前は言えません。