10/05/06 00:27:58.40 wHcev5iv BE:265671476-PLT(12001) ポイント特典
sssp://img.2ch.net/ico/u_utyuu.gif
「八甲田山」生還の後藤伍長の手紙見つかる 栗原
199人が犠牲となった1902年の青森歩兵第5連隊八甲田山雪中行軍遭難で、生還した後藤房之助伍長(1879~1924年)が、
宮城県姫松村(現栗原市栗駒)に帰郷した後に弟あてに送った手紙4通が、栗原市内で見つかった。
後藤伍長は凍傷ですべての指を失っていたが、手紙の筆遣いは巧みで、離れて暮らす弟を気遣う文面から温かい人柄がしのばれる。
弟の虎狼さん(故人)が婿養子に入った栗原市志波姫の家で昨年6月、虎狼さんの孫家族が手紙入りの封書を見つけ、
今年3月末に後藤伍長の孫の公佐さん(72)=栗原市栗駒=に譲り渡した。
封書の消印はいずれも明治40年代で、封筒の裏の差出人名が「後藤房之助」とある。帰郷した5年後から10年後に書いたとみられる。
送り先の住所は、1通は虎狼さんが所属していた弘前歩兵第52連隊第7中隊で、3通が志波姫の家だった。
今では使われなくなった漢字や表現も多く、公佐さんは正確な意味を読み取れるよう、専門家の協力を得ながら現代語訳を進めている。
除隊が近い虎狼さんの衣類を気に掛けたり、虎狼さんに倹約と貯金を勧めたりしている内容だという。
公佐さんは「包帯で筆を手にくくり付けて書いていたと聞いている。手が不自由ながらも立派な字でまっすぐ書かれており、驚いた」と語る。
手紙の一部は「弟思いだった祖父の人柄を知ってほしい」と、青森市の八甲田山雪中行軍遭難資料館に寄贈する意向だ。
資料館は「遭難と関係あることが書かれていないとしても、生還者が書いたという点で貴重な手紙と言えそうだ」と話している。
雪中行軍は、日露開戦に備えた訓練として行われ、210人が参加。後藤伍長は凍傷で両脚のひざから下も失った。
帰郷後は結婚し、5人の子を育てたほか、姫松村議2期も務めた。
URLリンク(www.kahoku.co.jp)
URLリンク(www.kahoku.co.jp)
URLリンク(www.kahoku.co.jp)