10/04/10 22:59:07.28 4jY4GdAY
川口みたいにならなきゃいいが・・・
注目を集め入団した1998年2月のキャンプ。最初から歯車は狂っていた。
3日目のキャッチボール。コーチは言った。「(投球時に)ひざを折るな」。ためをつくり、独特の間合いを生む軸足を折る投げ方を注意された。
「できません」と声に出したが、通じなかった。「プロのコーチが間違ったことを言うはずがない」と信じた。頭は理解したつもりでも、体は納得していなかった。
見失ったフォーム
投げ方をいじられるたびに体に拒否反応が広がり、肩、ひじが悲鳴を上げた。毎年のように故障を抱え、フォームは崩れていった。
4年目。2軍の試合で7連続四球を含む15四球を記録している。自分で野球をしている感覚がない。そんな状態だった。
取り戻そうとしたのは高校時代のフォームだ。甲子園のビデオを繰り返し見ては、深夜に鏡の前で投げ続けた。
コーチの指示をうのみにせず、肩に負担の少ないフォームを自分で探した。5年目は初先発を含め1軍7試合に登板、6年目はオープン戦で好投を続けた
。確かな手応えを感じたが、1軍定着は遠い。結婚し、子どもも生まれることになった。「使ってくれ。生活がかかってるんやで」。いら立ちは募った。
昨年10月、戦力外通告を言い渡された。合同トライアウトに参加したが、打者3人だけの形式的なものに見えた。
最後まで1軍で通用する自信は持っていたが、もう自分をアピールする機会はない。ユニホームを脱ぐ決意を固めた。
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