10/03/06 21:57:47.32 i1RldPpE
まことに古くさい宗教エピソードなんだけど
お釈迦さまは悟りを開く前に、バラモンたちと混ざって「苦行」を行ったと。
バラモンたちの中でぬきんでた苦行を積んだけど、一向に心に浮かんだ疑問や迷いは晴れなかった。
そして菩提樹の木の元で瞑想し、「思索」することで悟りに至った。
苦痛を味わえば真理に至る、成長するという「苦行信仰」は、何千年も前に、一つの宗教の始祖によって
否定されているわけさ。
宗教の教理は、そのまま受け入れられる物は少ないけど、これは受け入れられる物の中の一つだと思う。
苦痛に耐えれば成長する、上達するなんてのは、単なる勘違いだよ。
例えば、あるスポーツで苦しい練習に耐えて上達するという過程は、その苦しいトレーニングがどういう
方向に結実するかを予測しているから行うわけであって、己が高められる方向もわからないままに苦痛に
耐えるなぞ、「奴隷の忍耐心」を養成するに過ぎないんだ。
苦痛を耐えて、試練を乗り越えて成長するというのは、自分自身がその道筋を主体的に見据えている
場合にこそ成り立つ話で、他者が勝手に「苦行」を与えて成長が果たせるなどは、勘違いも甚だしい。
「若い連中は鍛え直さねばならん」などという連中は、そういう身勝手な勘違いが通底していると思う。