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大学4年のとき、都内の小学校で、学習障害児に付き添うボランティアに励んだ。芯が強くて明るく、人前で弱音を吐くような性格ではなかった。
だが、亡くなる前、親たちが授業を見に来た後、友人に「自分がふがいない」と打ち明けている。「保護者対応が気持ちの面で一番つらかったと思う」と、当時の娘の心中を父親は推し量った。
個人情報保護を理由に、連絡帳はいまだ、遺族に開示されていないが、区教委が両親に口頭で内容を説明し、「初任者である教諭が見たらショックを受けるだろう」と伝えている。
「なんで子どもに漢字で名前を書かせないのか」「期待したような宿題が出ていない」などのほか、
「結婚や子育てもしていないので経験が乏しいのではないか」といった教諭個人を中傷するような文言もあったという。
女性教諭の死から4か月余りが過ぎた06年10月、両親は公務災害を申請した。
自殺する直前、精神科医は「適応障害の疑い、抑うつ状態」と診断していた。だ
が、2年後、精神疾患との因果関係が認められないとし「公務外」と認定された。再審請求をしたが、結果は出ていない。