10/02/07 00:28:31.85 S6nG+Vv+ BE:4093049489-PLT(12000) ポイント特典
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人は、自ら目標を定めて努力して育つ
32年間の長い教員生活で学生たちと飲むことは多かったが、一番盛んだったのが大学へ転職した最初の年だった。
その年の4年生と飲むことが多かったのだ。「ヘーイ、タクシー」と言った最もワイルドなY君は、今度、大手上場企業の社長になる。
29歳で転職した先の東大船舶工学科の研究室は、船舶工学科の名門研究室だった。
私を招いた教授は、その後、文化功労者になったし、そのまた前の代の先生は文化勲章をもらっていた。
しかし、私が転職した時、その研究室は荒れていた。教員と学生との信頼関係が崩れていて、研究室の雰囲気も暗く、
研究成果も今一つと言った状態だった。だから専門分野も違う民間人の私が呼ばれたのかもしれなかった。
最初の年、卒業論文のために6人の学生が私たちの研究室にやって来た。
6人のうち1人を除く5人は、船舶工学科で成績が最も悪い5人だった。
新宿にタクシーで飲みに行ったりしていたことからも分かるように、結構不良学生だったかもしれない。
着任早々だったが、6人のうち4人の卒業論文は私が指導することになった。
私の大学教員生活はこの4人のワイルドな学生と付き合うことから始まった。
大学には色々な名目でコンパと言う飲み会がある。ところがこの研究室では教授があまりに偉いので、盛り上がらない。
いつも20時半までは教授の話を静かにお聞きする会だった。料理も決まりきって寿司とビールだった。
20時半に教授が帰ると少し元気が出るのだが、それでも雰囲気は今一つといったところだった。
私は研究室を明るく元気な形にしたいと思った。そして次のコンパが迫った頃、Y君に言った。
「コンパを盛り上げるように何か企画しよう」
「カラオケを持ち込んでもいいですか?」と彼は言い出した。
6人の卒論生のうちの3人とは歌舞伎町でたくさん親交を深めていたので、6、7歳しか年の違わない私とは信頼関係が深まっていた。
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