10/02/06 00:42:30.22 Ww1ntEp4 BE:3249708678-BRZ(10100) ポイント特典
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ライトノベルも深夜アニメも見ない私としては、涼宮ハルヒと遭遇する機会はまずないだろうと安心していた。
だから角川の編集者に、いかに熱くその魅力を目の前で語られろうとも、これまでは軽くいなすことができた。
だが映画化されるとなれば話は別だ。もう避けて通るわけには行かない。
しかし、よりにもよってインターネット上でこのタイトルについて下手なことを書けば、間違いなく批評家生命を失うことになろう。
そんな恐るべきプレッシャーの中で、しかし私は命がけでこの記事を書くことに決めた。
クリスマスが近いある日。
普段のように登校したキョン(声:杉田智和)は、これまた普段どおりにハイテンションなハルヒ(声:平野綾)や、
その対極にいる長門(声:茅原実里)らいつものメンバーと、変わらぬ日常を過ごしていた。
しかし、キョンの「日常」はその日が最後であった。翌日、登校した学校にハルヒの姿はない。
それどころか、いるはずのない人物が、ハルヒの席に座っていた。これまでにないほど強烈な非日常に突入したキョンが、最後に頼りとする長門はしかし……。
いかにもラノベ的な、思い付きを並べたような過剰に一文が長いモノローグ。
音声で聞くと、あまりに邪気眼風味で気恥ずかしくなり、のっけから本気で席を立ちそうになった事をまずはここに告白しよう。
だが、絶対領域がまぶしいかわいい顔をした女の子が、ありえないテンションで騒ぎ始めてから「これ面白いかも」と思い直し始める。
やがて綾波のコピーみたいのや、巨乳しか能のないオドオドちゃんといった、確信的なまでに類型的なキャラクターが登場するのを見て、私は気づいた。
なるほど、これは新時代の水戸黄門なのだ、と。こういう設定に、ファンはなにより安心感を得るのである。
考えてみれば、いまどきの若者は案外保守的である。生まれたときから不況しか知らぬ彼らがそうなるのは、ある意味必然。
その証拠に、彼らが愛するセカイ系のアニメ作品は、本作を含め似たような構図ばかりだ。
ただ、決してそれは悪いことではない。過去のひながたを利用して、
そこに新たなアイデアを加えていくのは日本のものづくりの王道。それ自体は批判すべきことではなかろう。
URLリンク(movie.maeda-y.com)