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7.稷山で解生率いる明軍先遣隊八千と黒田長政率いる五千の部隊が遭遇戦
→一進一退の攻防の末、明軍は戦意を喪失。日本側に援軍が現れたのを機に撤退
8.楊鎬、麻貴率いる明軍四万四千と、朝鮮軍一万二千の連合軍が完成前の蔚山城を急襲(蔚山城の戦い)
→加藤清正を指揮官とする篭城側一万が防戦、
その後日本軍一万二千が駆けつけ連合軍を大破
日本軍は敗走する連合軍を30里に渡って激しく追撃し、壊滅的な打撃を与えた
9.麻貴率いる明軍二万四千、 金応瑞率いる朝鮮軍五千五百の連合軍が再び蔚山城を襲撃(第二次蔚山城の戦い)
→日本軍は防戦に徹し、これを退ける
10.董一元率いる明・朝鮮連合軍およそ三万七千(公称20万等諸説あり、明側の史料には明軍の死者8万と記述)が泗川城を襲撃(泗川の戦い)
→島津義弘配下七千が城外へ打って出て連合軍壊滅(すげえ)
11.劉テイ率いる明軍二万二千、権慄率いる朝鮮軍六千、
陳リン率いる明水軍二万、李舜臣率いる朝鮮水軍七千からなる連合軍が順天城を襲撃(順天城の戦い)
→小西行長配下一万三千が防戦し、これを撃退
12.明・朝鮮連合水軍五百隻が島津水軍五百隻と激突(露梁海戦)
→双方に甚大な被害。しかし島津水軍は小西行長らを撤退させるという作戦目標を達成し、連合軍は明水軍副将の鄧子龍、朝鮮水軍大将の李舜臣が戦死した