10/01/16 02:49:59.26 6l3qCDgT
>>1の続き
村田社長は4年程前に青森の馴染みの店のホステスであった斎藤さんと出会い、その後東京に上京した斎藤さんから
「水商売をしたい」と相談を持ちかけられたのだという。その後、斎藤さんは実際銀座のホステスとして働き始めたが、
今度は「モデルみたいな仕事がしたい」と相談を持ちかけられた。
企画としてイケると思った村田社長は、まずドキュメント本を出版し、映画やドラマ化に繋げ、講演活動などもこなす
文化人的な存在に仕立て上げようとしたそうだ。そこで光文社の編集者に声をかけた。
村田氏は、斎藤さんを自身のプロダクションに所属させ、『筆談ホステス』の印税の75%を自分が受け取り、
残りを斎藤さんが受け取る契約を結んだのだという。
だが、予想を超えて『筆談ホステス』が売れると、その関係は悪化していった。
週刊新潮では、村田社長は「光文社はわたしから里恵(斎藤さん)を遠ざけようとした」と語っている。
昨年9月に出版された「67の愛言葉」は、村田社長の知らない間に企画が進んでいたのだという。
これに対し、光文社は週刊新潮の取材に「斎藤さんと直接出版契約を交わしており、著作権は全て斎藤さんにある。
「筆談ホステス」に関して、斎藤さんの単なる客の一人である田村氏個人に、出版までの協力の対価をすでに
支払っていますが、同時に映像化などの二次使用に関しては対価は発生しない旨の覚書を交わしています。
第二作の出版に関しては村田氏は全く関係がありません。」と答えている。
印税をめぐってドロドロの権利合戦・・・。
しかし、筆談ホステスで一躍売れっ子となった斎藤さんも無関係とは言えないようだ。
新潮には、青森時代に彼女を世話したママの暴露インタビューや同棲していた元彼の存在、
転々とした店の関係者などの彼女への不満話も掲載。
波乱万丈・・・というより、奔放自由で身勝手な彼女の振る舞いを余す事無く暴露している。
ホステスというのは、ある程度したたかでないとやっていけない商売。必要以上に美化された斎藤さん自身も、
その例に漏れなかったというだけなのだが・・・。現実は何とも夢の無いものだ。
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