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韓国が竹島の実行支配に至った経緯
昭和27(1952)年、韓国は国際法を無視した李承晩(初代大統領)ライン(李ライン/(自称)平和ライン)を設置。
「李ライン」の内側には、サンフランシスコ条約で確定された日本領の竹島が含まれていた。
日本の外務省は直ちにこの李ラインに抗議、アメリカ・イギリスもそれを支持した。
この間、韓国は李ラインを盾に日本漁船に対する銃撃・拿捕などを繰り返した。
その過程で4000人近い日本漁民が拘留され、44人もの日本人漁民が負傷・1名死亡した(4名死亡説も有)。
捕らわれた日本の漁師達は1965年まで拘留され、人質として外交カードに利用された。その年月、最大13年。
日本政府は彼らを帰してもらうために、472人もの在日朝鮮人犯罪者を仮釈放し特別在留許可を与えた。
国際法上認められていない、自称”平和線”によって拿捕(拉致)した漁民を人質として利用していたのだ。