09/12/27 18:02:34.21 8n4jvVya
>>123
けれども、スブーティよ、今、如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人が、
この上ない正しい覚りとして現に覚られたような法はなにもないのだから、それだから、
わたしは、ディーパンカラ如来によって、若者よ、あなたは未来の世に、
シャーキヤムニという名の如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人となるだう、と予言されたのだ。
それはなぜかというと、スブーティよ、〈如来〉というのは、これは、真如の異名なのだ。
スブーティよ、如来というのは、これは、生ずるということはないという存在の本質の異名なのだ。
スブーティよ、如来というのは、これは、存在の断滅の異名なのだ。
スブーティよ、如来というのは、これは、究極的に不生であるということの異名なのだ。
それはなぜかというと、スブーティよ、生ずることがないというのが最高の真理だからだ。
スブーティよ、もしも誰かが、如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人が、
この上ない正しい覚りを現に覚られたと、このように言ったとすると、その人は誤りを言ったことになる。
スブーティよ、かれは、真実でないことに執着して、わたしを謗っていることになるだろう。
それはなぜかというと、スブーティよ、如来がこの上ない正しい覚りを現に覚った
というようなことがらはなにもないからだ。
また、スブーティよ、如来が現に覚り示された法には、真実もなければ虚妄もないのだ。
それだから、如来は、あらゆる法は、めざめた人の法であると、説くのだ。