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讀賣新聞 11月13日付 編集手帳
無意識に、人は演技をする。ドラマなどで見た誰かの役を演じてしまう。カメラの前では、なおさらだろう。
〈悲しみの際はケネディ家の例から学んだしきたりに従い、勝利の表現にはテレビで見た運動選手のゼスチャーをまねる〉
◆スコット・トゥロー「推定無罪」(文春文庫)の一節だが、「仕分け人」なる人たちはどうだろう。
つい、犯人の嘘(うそ)を突き崩す取り調べの刑事役を演じてしまった人もいるかも知れない
◆国会議員や民間人などからなる「仕分け人」が各府省の担当者と公開の場で議論し、事業の要不要を
その場で決めていく。政府の行政刷新会議による無駄の洗い出し作業「事業仕分け」が佳境に入った
◆問答無用とばかりに仕分け人が発言を遮ったり、耳を傾けていい意見に取り合わなかったり、
「いじめを見ているようで、つらい」という識者の声も聞かれる。斬新で有意義な作業なのに、相手を嘘つきの
悪玉と決めてかかり、“やりこめてナンボ”の正義の味方役を演じてしまえば、仕分けの目が曇るだろう
◆本来、ドラマには不向きな、地味で複雑で専門的な作業である。芸達者は要らない。
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事業仕分け 狙いは分かるが手法が問題だ(11月13日付・読売社説)
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