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1953年(昭和28年)のある真夜中、チヨが中学2年の14歳のときのことだった。
相沢家では家族9人が狭い2部屋で寝起きしており寝ていたが、父親の文雄が密かにチヨの寝床に入ってきて、いきなり体を求めた。
驚いて声を出そうとしたが、家族を起こしてしまうと思い、唇を噛んで父親を受け入れてしまった。
多いときは3日に1回、2日連続ということもあった。チヨは朝、父親の顔を見るのが嫌になり、我慢ができなくなって
関係ができてから約1年後に、母親の香代に訴えた。香代は驚き、子どもたちのいないところで、文雄を問い詰めた。
「実の娘にそんなことをするなんて、あんたはケダモノだよ!」
文雄は狂ったような目つきで包丁を香代に突きつけた。
「ガタガタぬかすと、殺すぞ・・・・・・」
「父とのセックスで、快感がなかったと言えば、ウソになります」と、チヨはのちに供述している。
1956年(昭和31年)そんなゴタゴタを繰り返しているうちに、チヨは妊娠してしまう。17歳のチヨはどうすればいいのか判断がつかず、
ただ父親から逃れたい一心で、田植えの手伝いにきていた男(当時28歳)と黒磯市へ駆け落ちした。
だが、それほど遠い所でもなかったこともあって、居場所が文雄にばれてしまった。
「貴様、勝手なことをするんじゃねえ!」
一緒に駆け落ちした男は文雄に一喝されただけでチヨを手放してしまった。
文雄は酒を飲むと狂暴になり、色魔に変身し、精力が尽きることがなかった。
「父は私を全裸にするばかりか、エロ写真のような恥ずかしい体位や、ありとあらゆる方法で性行為を要求し、それも毎晩1回だけでは済まないのです」
この間に、チヨは5人の子どもを産み、2人は生後まもなく死亡、長女と次女、三女だけが育った。
この他に5回、妊娠中絶をし、6回目のとき、医師に体をこわすと忠告され、不妊手術を受けるように勧められている。これには文雄も賛成した。