09/08/24 18:51:32.65 hszgbJsP BE:188436825-PLT(12000) ポイント特典
sssp://img.2ch.net/ico/kitawa2.gif
「全員野球で」と、鳩山由起夫氏は、党代表に就任した折、第一声で、確か、そう言っていた。
その時、テレビの画面を見ながら、わりと簡単に納得した気分になったのは、たぶん私がオッサンだからだと思う。
男でも中高年でもない、日本人のうちの四分の一ほどを占めるヤングでフレッシュな人々は、
鳩山代表の発言をうまく理解することができなかったはずだ。
われわれオッサンは、政治であれ人事であれ、M&Aやシェア争いであれ、いずれにしても勝敗のからんだ話は、
野球になぞらえて考えることになっている。
その野球が、五輪の正式競技から外れて3年、復活の道もまた消滅することが、この度、正式に決定した。
ついに野球も終わりか、と、私自身、かなり気落ちした。単に野球のためにではない。
野球とともに、野球が代表していた何かが失われていく予感を覚えたのだ。
野球は、ただのスポーツではない。サッカーネーションにとってのサッカーがそうであるように、
野球文化圏の国々にとっての野球は、その国の人々のものの考え方の骨格を形成するものだ。
文化なら、簡単には失われないのではないかと、そう考えることも可能だ。
でも、文化である以上、伝承が途絶えはじめると、後戻りがきかなくなる。
たとえば、プロ野球中継の視聴率が低下し、放送の頻度が激減した結果、野球のルールを知らない子供たちが増えている。
で、その、ルールを知らない子供たちは、野球に興味を持たない。と、野球に興味を持たない世代が多数派を占めるように
なった結果、ますます視聴率は低下していく。野球の放送頻度はますます低くなり、冒頭に戻ってループ……深刻な状況だ。
前にもちょっと書いたことがある(「本田△」の回)が、野球は、意外なほど複雑なルールの上に成立している競技で、
その意味では、初心者には非常にハードルが高い。
野球がこの世の中から消えるということになると、私たちの言葉のかなりの部分は、そもそも同世代のオッサンにしか
通じなくなる。「全員野球」みたいな比喩表現が伝わらなくなるということは、われわれ中高年の人間が使っている言葉の、
かなりの部分が無効化することを意味している。これは、キツいことだ。
抜粋:全文はソース
URLリンク(business.nikkeibp.co.jp)