09/06/10 14:24:09.63 9nv8PxYn BE:49278522-PLT(12000) ポイント特典
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慰安婦:「韓国の女性たちを見て勇気が湧いた」
今月8日、オランダのハーグで開幕した「韓国・オランダ・ドイツ性奴隷展」(北東アジア歴史財団主催)を訪れたブルーフさん(86)は、
旧日本軍の元慰安婦だ。日本軍がオランダの植民地だったインドネシアを占領した1942年春、ブルーフさんの家族はジャワ島中部の
スマランにあった収容所へ連行された。それから2年後のある日、日本軍は「病院や事務所で働く事務員を募集」するとして、
若い女性30人を選んだ。ブルーフさんはほかの女性14人とともに、上流階級の居住地区にある「仕事場」へ連れて行かれた。そこは日本軍の将官のための公娼街だった。
60年余り前のことだが、ブルーフさんはこの経験を忘れていない。「日本軍にとっては快楽を求める場所だったが、わたしには恐怖と悲しみ、
恥辱(ちじょく)が満ちた地獄以外の何物でもなかった」。彼女は反抗する意欲も無くし、ただ早く無傷で解放されることを祈るだけだったという。
3カ月後、ようやく解放され収容所へ戻った彼女は、着ていた服を収容所へ戻るバスの窓から投げ捨てたという。「自分の体を汚された」というのがその理由だった。
ブルーフさんは長い間、日本軍の慰安婦だったことを誰にも話さなかった。90年代に入り、まず韓国の元慰安婦たちが立ち上がり、
オランダでも友人のオヘルンさんが口を開いたことで、ブルーフさんも勇気を出し告白した。ブルーフさんはオランダの「対日道義的債務基金」(SJE)の助けを
借りて証言集を発行し、日本の戦争責任の認定や補償を求める裁判に証人として出廷した。オランダ人の元慰安婦は約300人とされ、このうち10人ほどが生存している。
「日本の人々が過去を反省し、責任を認めることに消極的な様子を見ていると、怒りを覚える」。ブルーフさんは澄んだ目で「わたしが体験した
悲劇を繰り返さないためにも、日本が犯した罪について若い世代へ伝えていきたい」と語った。
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