09/05/16 11:58:13.01 zOrMr2DG
桜の頃に広告屋時代の同期と会ったときに、この話出たよ。
彼の上司が入社研修のときに言った言葉というのが(ちょうどベルリンの壁が壊れた直後だったのだが)
「ペンキの色のついた無価値なコンクリートの破片ですら、ベルリンの壁の破片だといったらお金をとることができる。
宣伝屋の仕事というのは、そのままでは無価値なコンクリートの破片に物語をつけて、
それにみんなが共感して価値以上のお金を払うようにさせること」
そしてその後の仕事を通じてしょっちゅう怒られたのが、
「こんなコピーで生活者がコンクリートの破片にカネ払うか?このバカヤロウ、死ね!」
そしてその根底にあるのが、人々がこの商品を買うと本当の自分になれますよ・・・という洗脳なわけ。
要するに、この商品を買うとあなたの欠けた部分を補うことができる、と。
そして宣伝マンの仕事というのは、その欠けた部分を補うストーリーなるものを作り上げて、
それを消費者に受け入れさせるテクニックを提供することなんだな。
今になって思うに、マス広告に効果がなくなったというのは、ネット広告が増えたことや、
不況のせいで消費が実用的になっただけではないと思うんだよ。
つまり、そうした外部から提供されるストーリーで自分の欠けた部分を生めることはできないということに、
日本人が気がついてしまったからではないのか?
新世紀エヴァンゲリオンの人類補完計画というのがあるが、不完全な自分の自我の欠けた部分を、
同じく不完全な他人の自我で補完出来るかというと、そんなものは不可能なんだよ。
それに本能的に気がついているから、消費者はCMに「共感しなくなって」しまったんだよ。
クリエイターの大部分はそれに気がついていない。
まだ我々エリートがバカ消費者どもの欠けた部分のストーリーを創って提供してやるという考えを、どこかに持っている。